第四章「変わる未来・彩賀亮哉登場」 Act.3「スタートライン」 学園小説relationship
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Act.3「スタートライン」
文化祭という祭典が幕を閉じ、学校が日常の静寂を取り戻した水曜日の昼休み。 午後の授業を告げる予鈴の代わりに、教室には弁当を広げる微かな音と、穏やかな談笑が満ちていた。
西谷武久は、手に持ったクラブハウスサンドを一口かじると、後ろの席に座る親友へと振り向いた。 「……水瀬さんに、今度の日曜日、T市に来いって言ったんだって?」
西谷は二年生への進級時、成績優秀者のみが集められる「特別進学科」へと編入していた。そこでの生活は、かつての普通科とは一線を画すストイックなものだったが、そこで出会ったのが彩賀亮哉という少年だった。
亮哉は鞄から取り出した弁当の包みを、指先一つ乱さぬ所作で解きながら答えた。 「ああ。彼女の写真の技術向上に、俺の知識が役に立てばいいと思っただけだよ」 一点の曇りもない、明快な声だった。
「気持ちは嬉しいんだけどさ、急にそんなことを言われても……。生憎だけど、僕はあの日、模試なんだ」 西谷の困惑を含んだ声音に対し、亮哉はキビキビとした動作で食事を進め、さらりと言ってのけた。 「別にいいじゃないか、彼女が一人で来たって。……俺としても、その方が都合が良い」
その言葉の裏にある亮哉の「思惑」を察し、西谷は眉をひそめた。 「おいおい……」 「武(たけ)ちゃん、何度頼んでも紹介してくれないだろう? この学校にあんなに魅力的な女の子がいて、彼氏がいないなんて信じられない」
亮哉は、清涼感の中に揺るぎない自信を滲ませた笑みを西谷に向けた。

語り合う彩賀亮哉と西谷武久。
(彩賀亮哉が水瀬綾香を知ったのはSideStory⑤参照)
「……水瀬さんは普通の女の子とは少し考え方が違うんだ。それに、僕は無理に紹介するような真似はしたくない」 「彼女に、好きな奴でもいるのか?」 「いや……そういうわけじゃないけど……」
西谷は几帳面な手つきでサンドイッチのラッピングを折りたたみながら、関谷稔之のあの鋭利な容貌を思い浮かべていた。
実は、西谷は稔之のためではなく、友人としての亮哉を案じて忠告していた。 理由は定かではない。けれど、西谷の「観測者」としての鋭い直感が、亮哉と綾香をこれ以上接触させることに、名状しがたい不安を覚えていたのだ。亮哉を展示室に呼び寄せたことへの、かすかな後悔と自責。 だが、確証のない憶測を口にすることを嫌う彼は、あえて話題を変えた。
「……そういえば、この間、正岡君と藤野さんが喧嘩しただろう? あれ、原因の半分は君にあるんだよ」 普段は温厚な西谷にしては手厳しい指摘に、亮哉は心外そうに眉を上げた。 「何故だ? 物理の課題で解き方が分からないから教えてほしいと、彼女の方から頼んできたんだ。論理的に、かつ丁寧に解説してあげるのが礼儀というものだろう?」
(……駄目だ、こりゃ) 西谷は、心の内で溜息をついた。 爽やかな外見とは裏腹に、亮哉は驚くほど我が強く、論理の正当性を疑わない。周囲への気配りを絶やさない西谷にとって、亮哉のこうした「純粋な傲慢さ」は、時として冷や汗をかかせる種となっていた。
「……分かったよ。放課後、水瀬さんに会うから、僕が彼女の意志を確認してくる。でも期待はしないでくれ。彼女は、あまり面識のない男子生徒と二人で行動するようなタイプじゃないからね」
放課後。写真部部室。 堀田と並んでゲーム雑誌を眺めていた綾香は、扉が開く音に顔を上げた。 いつもは和やかな笑みを湛えて入ってくる西谷が、珍しく何事か考え込んでいる様子に気づき、綾香は椅子から立ち上がった。 「文化祭の疲れが出ているの? 今日は早く帰った方がいいよ」
「いや、大丈夫。それより……」 西谷は、綾香の前に立つと、真剣な眼差しで切り出した。 「今度の日曜日、僕は用事があってT市へ行くことができないんだ。場所も遠いし……彩賀の誘い、断っておこうか?」
その深刻な表情から、綾香は西谷が「亮哉と二人きりになること」を懸念しているのだと直感した。亮哉が自分に向ける関心が、単なる写真の技術的な興味だけではないことも、綾香は察していた。
(彩賀君は、西谷君以外で初めて、私の写真の本質に触れてくれた人……) 向上するためのヒントをくれた彼への感謝。けれど、一人でT市へ赴くことは、彼に対して別の期待を抱かせてしまうかもしれない。 一度しか言葉を交わしていない亮哉への気持ちは、まだ自分でも分からなかった。
その時、綾香の胸を、鈍い痛みが一瞬だけ通り過ぎた。
(……いつも、そうだ。私は西谷君に気を使わせてばかりだ)
そして脳裏に、屋上で見た稔之の真剣な眼差しが蘇る。 自分はいつも二人に助けられ、守られている。一人で突っ走っているようでいて、実はその優しさに甘え続けているのではないか。 その自覚が、綾香の迷いを断ち切った。
T市へ行こう。R寺の庭園で、自分自身の殻を破る「何か」を掴み取るために。
「やだなあ、二人とも、そんなに心配しなくていいよ」 綾香は照れ隠しのように西谷と堀田を交互に見ながら早口で言った。 「T市くらい一人で行けるし、彩賀君だって西谷君の友達でしょう? 私がしっかりしていれば大丈夫だよ」

西谷武久に自身の決意を告げる水瀬綾香。
(この章のラスト直後の話はSideStory⑩)
「……分かった。彩賀にはそう伝えておくよ」 西谷は、いつもの温和な笑みを返した。
「今日はもう帰ろうか。文化祭の片付けで疲れているだろう? 途中で、ソフトクリームでも食べていこう」 「わあ、食べたい! 堀田君、早く行こうよ!」 綾香は堀田を急かし、西谷の後に続いて部室を出た。
校舎の外は、すでに薄闇が支配し始めていた。 遥か遠くのグラウンドでは、野球部員たちが放つノックの音が、霞の中をかすかに響いている。 空を見上げた綾香の瞳に、澄み切った冷気の中で瞬く一番星が映り込んだ。
その時、晩秋の、透明度の高い冷たい風が三人の髪を乱した。 それは、穏やかな日常の終わりと、差し迫る冬の到来を告げる合図のようでもあった。 三人は、背後に迫る冷気から逃れるように、足早に校門へと向かっていった。
第四章「変わる未来・彩賀亮哉登場」完
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