第四章「変わる未来・彩賀亮哉登場」Act.2「BOY MEETS GIRL」 学園小説relationship
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Act.2「BOY MEETS GIRL」
「今日は天気が良いね。見て! あの山が見えるよ」
屋上に上がった綾香は、県南部の最高峰を指差した。 強い風に吹かれ、綾香のさらさらとした髪が踊り、形の良い額の生え際を覗かせる。稔之は何も言わず、彼女が指差す先をただ見つめていた。
ふと、綾香が稔之の持つビニール袋に気づいた。風に乗って、ソースの香ばしい匂いが漂う。 「それ……たこ焼き?」 「ああ、食うか?」 稔之は袋を無造作に突き出した。二人は給水塔に背を預けてしゃがみ込み、並んでたこ焼きを口にし始めた。
「あの写真……関谷君のおかげで撮れたんだと思うんだ」 たこ焼きを頬張りながら、綾香が唐突に言った。 「ああ……。でも、前にも言っただろ。公園には俺が勝手に行ったんだ。気にするな」 稔之は食べ終えた手を頭の後ろで組み、空を仰ぎながら答えた。
「ううん、違うの。校内撮影の日、覚えてる? 私、ずっとバスケの練習を見てたんだ」 綾香の言葉に、稔之の動きが止まる。 「関谷君、一度もシュートを外さなかった。日頃の積み重ねが、本当に凄いんだなって……。それに比べて私は、何もせずに『撮れない』って悩んでばかりいた。だけど、関谷君の姿を見て、何か吹っ切れたんだよ。ありがとう、関谷君」
「……!」 稔之は驚愕し、綾香の横顔を真剣に見つめた。 プレー中、稔之は綾香のことなど意識していない。考えているのはチームのこと、相手のこと、そして己のことだけだ。しかし、その瞬間の自分を、綾香は誰よりも見ていたのだ。
稔之が言葉を失っていることにも気づかず、綾香は彼の右手の甲にあるテーピングに目を向けた。 「これは……怪我?」 「……ああ。練習試合でぶつかった」 「そんなにハードなんだ、バスケって……」 「どんな手段を使っても、勝たないと意味ねーこともあるんだよ」 稔之の目付きが一転して険しさを帯びる。行き場を失った自分を受け入れてくれたのは、この学校しかない。自分は勝ち続け、期待に応えなければならない。それが、過去を償う唯一の方法だと信じていた。
綾香もまた、稔之の抱える重圧を何となく察していた。傷害事件の真相は知らないし、無理に踏み込もうとも思わない。けれど、本来なら強豪校で全国区のスターになっていたはずの彼が、ここで泥臭く練習に励む悔しさは理解できた。 「……来年、インターハイに出場できるといいね」 綾香の瞳が、稔之の眼を捕らえた。 「予選、西谷君たちと応援に行くよ」
その瞬間、稔之は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。 綾香は本気で願ってくれている。俺が全国に行くことを。 (必ず、インターハイに出場する) 稔之の心に、かつてない強固な決意が宿った。そして、もう一つの決断――。 (出場が決まったら、綾香に想いを打ち明けよう) 鋭い眼光に、初めて優しさが加わった。

ジャージ姿の関谷稔之と制服姿の水瀬綾香。
だが、稔之はこの時、気づいていなかった。 残酷にも、綾香の澄んだ瞳には、今の彼の熱い誓いは映っていないことに。
「……随分長居しちゃった。早く戻らないと」 稔之と階段で別れ、綾香は物理教室へと小走りに向かった。
教室の入り口をくぐった途端、綾香は未だかつて感じたことのない清涼な風を感じた。 暗幕で囲まれているはずなのに、なぜ――。 ふと受付に目をやると、見知らぬ男子生徒が悠然と腰を下ろしていた。文庫本を手にし、イヤホンで音楽を聴いている。彼は俯いたまま、綾香の存在に気づかない。
「あの……」 綾香が小さな声で呼びかけるが、反応はない。一段と声を張り上げた。 「あの! 部員じゃないのなら、受付に座らないで……」
言い終わるより先に、その生徒は文庫本を置き、顔を上げた。 綾香の息が止まる。 凛とした、それでいて端正な顔立ち。穏やかだが、圧倒的な意志の強さを湛えた視線。
「俺は、部長の西谷に頼まれて受付をやっている」 低く、よく通る声が綾香の耳に染み渡る。 「え……西谷君の、友達?」 「そう。彩賀亮哉(さいが りょうや)だ。西谷と同じクラスだ」
彩賀亮哉。全国模試の順位表で、いつも頂点に近い場所に記されている名前だ。 「水瀬綾香さんだね。話は西谷から聞いているよ」 亮哉は、知性を感じさせる穏やかな笑みを向けながら、鳶色の前髪をさらりと指でかき上げた。
「な、何を聞いているの……?」 亮哉の秀麗な顔立ちと、初対面の緊張から、綾香の声が上ずる。 「色々とね」 亮哉は余裕ある笑みを深めると、立ち上がって壁のパネルを見やった。 「これ、君が撮ったんだな。……西谷とは、全然作風が違う」 亮哉は迷いのない足取りで写真に歩み寄る。綾香も吸い寄せられるように後に続いた。
「現代庭園のモニュメントを、枯山水(かれさんすい)と同じ手法で撮ったのか」 「?」 「この植栽を、風景写真と同じ感覚で捉えている。木の刈り込みは水の流れだ。モニュメントを山の上流とするなら、この木々は大海の広さ……」
綾香の瞳が大きく見開かれた。 自分の写真の「本質」を、これほどまでに的確に言い当てられたのは初めてだった。心の底から喜びが込み上げてくる。 「……で、どうかな? 私の写真は」
「全然、駄目だ!」
毅然とした表情で、亮哉は断言した。 昂揚した気持ちに一気に冷水を浴びせられた気分になる綾香。だが亮哉は構わずパネルを指差す。 「この公園の場所は?」 「……西南部の、町にあるけど」 「なら、南側には半島の山々がはっきり見えるはずだ。その稜線を『借景(しゃっけい)』に取り入れて撮影するべきだ。自然の雄大さを風景に深みを増す技術、それが欠けている」
「借景……?」 圧倒的な知識と自信。綾香は戸惑いながらも、その言葉の響きに引き込まれていく。 「来週の日曜日、時間は空いていないか? 俺の住む市に、借景が素晴らしい寺がある。西谷たちと一緒に来るといい」

彩賀亮哉と、驚きに頬を染める水瀬綾香。
あまりに強引な誘い。けれど、自然と顔がほころんでくるのを綾香は止められなかった。自分の写真に、これほど真剣に関心を持たれたことが嬉しかった。 「彩賀君って、変わってるね。でも、ありがとう」 「それだけ、君に『筋』があるということさ」 亮哉が冗談めかして笑いかけた。その清涼感あふれる眼差しが、綾香の心を一層解きほぐした。
クラスの手伝いを終えて戻ってきた堀田は、廊下で立ち止まっている西谷に気づいた。 「あれ、西谷君、入らないんですか?」 西谷は黙って手振りで堀田を制した。 廊下から教室内を窺うと、そこには楽しげに話し合う綾香と亮哉の姿があった。
二人の間を流れる空気は、驚くほど自然に一つに繋がり、鮮烈な共鳴を生んでいる。 それはまるで、二人の精神が最初から同じ波長で響き合っていたかのような、西谷の目には確信にも似た光景として映っていた。
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