Sidestory⑮:本編七章Act.3直後‐水瀬綾香と関谷稔之、断罪への秒読み開始。学園小説relationship
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Act.1:奇跡を刻んだまま、日常へ還る列車。
三月下旬の宮崎の昼前は、昨夜の名残を溶かしきるような眩しい光に満ちていた。その明るさの中で、二人の距離だけが、昨日とは違う静かな温度を帯びていた。
その光を背に受けながら、綾香と稔之は帰路へと向かっていた。高千穂を発ち、延岡駅から特急に乗り込み、新幹線へ乗り継ぐため小倉方面へと揺られていた。
車内は、特急特有の金属と布地の匂いが静かに漂い、並んで座る二人の間には、昨夜の名残を隠すようなわずかな温度が揺れ、言葉より先にその空気だけが距離の変化を微かに知らせていた。
綾香はなるべく稔之の顔を見ないように、そして自分の照れを悟られないように景色の流れる窓ガラスに頬を貼り付ける様に外を眺めていた。ガラスの冷たさが頬の火照りの熱を奪い取っていく。

帰路の車内で昨夜を思い出し
関谷稔之の顔が直視出来ない
水瀬綾香。
「綾香」──真横から届いた稔之の声は、いつもの響きのはずなのに、窓ガラス越しの風のような柔らかさを帯びて、そっと彼女の心を包んだ。
振り返るより先に、視界の端へ稔之の長い指がふっと現れ、綾香のパーカーの襟元へと静かに伸びていった。
「髪がファスナーに絡まっている」──稔之は、フードの付け根のファスナーに絡んだ綾香の髪を、指先で丁寧に解きほぐした。そしてファスナーから離れた髪の毛を一度、綾香の耳元まで軽く持ち上げ、絹糸に触れるかのように指先を毛先まで滑らせて髪の毛を静かに離した。サラリと綾香の髪が肩先へと舞い降りた。
稔之は一瞬、自分の指先を名残惜しそうに見つめると綾香の方に視線を向けた。切れ長の眼にいつもの鋭さを潜め、微かに宿した熱が綾香の瞳を捉えた。口元は微かに笑みを浮かべているようだった。昨夜、暗闇の中で常夜灯に照らされた稔之の熱を帯びた表情──そして自分に触れた手の感触が、綾香の脳裏に鮮やかに蘇る。押さえていた鼓動が一気に跳ね上がり、思わず息が止まりそうになった。そして、綾香が感じた稔之の一番の変化は
(……優しくなっとるっ!)いつもなら身だしなみの綻びを真っ先に見つけて眉を吊り上げて注意してくる彼が、今日は別人のようにその綻びを包み込む。
目の前の稔之が“いつもの稔之”と結びつかず、綾香は思わず固まった。
しかし、その綾香の驚きが、日常へと向かう現実へと感覚を引き戻していった。稔之の熱意を受け止めたことで、亮哉への想いに影を落とした自分の心の重みが、照明の灯りがゆっくり消えていくように綾香の表情を暗くしていった。座席の足元へと視線をゆっくり落とした綾香の様子に、波長を合わせるように稔之の容貌もいつもの鋭さを取り戻していった。
「……彩賀には、俺が強く押してきたと言ったらいい……」
校庭で、好意を寄せる女生徒を怜悧に拒絶して歩いていた亮哉の氷のような横顔が脳裏に浮かび、稔之は車内の通路へと静かに視線を背けた。これから訪れるであろう亮哉の“断罪”を思うと、胸の奥が鈍く痛んだ。
相変わらず、二人を乗せる特急は一定のリズムで車体を揺らし、窓の外では春の光をまとった景色が途切れなく流れていった。
「…大丈夫。自分で何とかするよ…」空元気を見せた作り笑顔を稔之に向けながら綾香は応えた。本当に起こった出来事を正直に亮哉に話すことがせめてもの誠実さであるというのが綾香の出した答えであった。
(……そう言うと思ったぜ……)稔之は視線を自分の目の前にある座席の背もたれへ戻し、切れ長の眼を薄く細めた。脳裏には、学年一の秀才の仮面の奥で、何気ない日常の表面を静かに透かし見て、その奥に潜むわずかな歪みをも淡々と見抜いてしまう、あの静謐な亮哉の気配がふっと立ち上がった。そして亮哉はその気配を綾香には見せていない。その本性を決して見せようとしない冷静さに、稔之の本能が危機感を持って警鐘を心の中で鳴らした。しかし、綾香にはそれを告げる事が出来なかった。言えば幼稚な嫉妬と受け止められるであろうことは容易に想像できた。

彩賀亮哉の「断罪」を
憂う関谷稔之。
だが、「断罪」は確実に行ってくるであろう。そこまで思考を巡らせた稔之はついに激情を言葉に出した。
「……だけど、奴が必要以上に強く非難してきたら俺に言えよ……」声の調子が低くくぐもり、眼光に殺気が伴ってきた威圧感が隣の綾香にも伝わってきた。
(うわっ!!まずいっ、このままではっ)T市での初対面時から亮哉と稔之の波長の合わない様子を間近で見ていた綾香は、自分の立場も忘れて稔之の静かに湧き上がる激情を鎮める事に思考を巡らせた。そしてゆっくりと開けたばかりのポッキーの箱を稔之の前に突き出した。
「関谷君、とりあえず、今はポッキーを食べようか」沈み込んでいた自分の気配を表面的には消し去り、綾香は少し大げさな真剣さで稔之にポッキーを勧めた。
綾香の少しズレた切実な声に、稔之は急に我に返る。無意識のうちに冷静さを失っていた自分自身に一瞬赤面した。そして指先をポッキーの箱の方へと伸ばした。

関谷稔之を咄嗟にポッキーを
渡すことで鎮める水瀬綾香。
「おう……」ポッキーを1本、箱から引き抜くと自分の口へと運んだ。かじる音が微かに響いた。
綾香に遠回しに諫められた稔之は思考の方向を変えた。ポッキーを口に咥えながら、昨日、自分にしがみついてきた綾香の姿を視界の片隅に思い浮かべた。亮哉への想いを打ち消してでも知りたかったその瞳の奥の追い詰められた覚悟を想像すると、少しでも苦しみを和らげたい気持ちが稔之の中に湧き上がってきた。ふと稔之の頭の中に、一筋の案が閃いた──
その瞬間、綾香の不満げな声が稔之の思考を容赦なく遮った。
「……関谷君、ポッキーほとんど食べてる……」少し芝居がかった大げさな悲しみの声をあげて綾香は自分のお菓子の大半を食べられた事を抗議した。
「……あっ。悪りい。乗り換えの時、買う」完全に我に返った稔之は無意識の内に箱に伸ばした手を引っ込めた。
「もー。今食べたかったのに。2箱買ってね」瞳を少し吊り上げて綾香は追加を要求した。
「……綾香から何かもらうといつも倍返しだな」呆れつつも稔之は承諾した。既に普段の調子に二人は表面的には戻っていた。
特急は相変わらず一定の揺れを刻み、春の光をまとった景色が、何事もなかったかのように日常の速度で流れていった。
そして亮哉の「断罪」は二人の予想とは全く異なる形で降りかかるのであった。
Act.2:『断罪』は波乱の幕開けと共に。
同じ頃。立華大学付属高校写真部部室。
突然、部室の床に鈍い衝撃音が落ち、続いて陶器の割れる乾いた音が跳ねた。
「あっ!西谷さん、すいませんっ」
悠平が西谷の横をすり抜けた拍子に、愛用の湯飲みが床へ転がり落ち、真っ二つに割れていた。

湯飲みを不注意で割ってしまった
阿佐巳悠平。
「あーあ。だけど怪我がなくて良かったよ」
西谷は堀田から受け取った箒を握りながら、穏やかな表情を崩さずに言った。
「けど、見事に真っ二つですね。こんな割れ方初めて見ましたよ」
堀田はちりとりを構え、割れた湯飲みの欠片を見つめながらしゃがみ込んだ。
(……この所、嫌な予感ばかりする……。一体…?)
欠片を拾い集めながら、西谷は胸の奥に沈む不安が、またひとつ形を持ち始めたような気がしていた。
Sidestory⑮終わり
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