映画『国宝』感想——3回通った理由は、あの鷺娘だった
映画『国宝』を初めて映画館で観た日、場内が明るくなっても私はしばらく席を立てなかった。
言葉も出なかった。
ただ、「とんでもないものを観てしまった」という感覚だけが、体の真ん中に残っていた。
頭はぼーっとしているのに、体はどこかふわふわしている。これは「感動した」というひと言では片づけられない、もっと別の何かだった。あえて言うなら、美に圧倒された、が一番近い。
映画「国宝」のあらすじ
映画『国宝』は、吉田修一の同名小説を李相日監督が映画化した、約3時間の大作だ。任侠の家に生まれた喜久雄(吉沢亮さん)は、父の死をきっかけに上方歌舞伎の名門に引き取られ、当主の実子・俊介(横浜流星さん)とともに、女形として芸の道を生きていく。この映画は、その二人の人生を描いた物語だ。
※この記事は、終盤に演じられる演目など、映画の内容に踏み込んでいます。まっさらな状態で観たい方は、ぜひ観てから戻ってきてください。
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なぜ私は、3回も映画館に通ったのか
正直に言うと、私が『国宝』を映画館で3回観たのは、物語の内容を確かめたかったからではない。
あのラストの「鷺娘」シーンを、もう一度浴びたかったからだ。
あの時間を、もう一度味わいたかった。それだけだった。
そして回を重ねるごとに、鷺娘のシーンの受け止め方も、映画そのものの見え方も、確かに変わっていった。
1回目は、ただただ圧倒された。
2回目は、物語を理解しながら観られた。
3回目は、登場人物たちの演技そのものを観ていた。
意外かもしれないけれど、一番泣いたのは2回目だった。
物語の流れをもう知っているぶん、ストーリーを追う必要がなくなって、喜久雄や俊介、その周りの人たちの感情に、まっすぐ目を向けられたからだと思う。
普通、結末を知ると感動は薄れていく。でも『国宝』は逆だった。知っているのに、また泣いてしまう。むしろ深く入り込んでしまう。それが、この作品の不思議なところだ。
白い着物が、鮮やかな赤に変わった瞬間
鷺娘とは、叶わぬ恋に苦しむ娘の心を、白鷺の精に重ねて描いた歌舞伎舞踊だ。雪景色のなか純白の衣装で現れた娘は、「引き抜き」という早替えの技で、白から赤へ、さらに次々と衣装を変えていく。その鮮やかな衣装替えは、この演目の大きな見どころのひとつだ。
ラストの鷺娘を観ているとき、私はもう、喜久雄という登場人物を観ていなかった。
そこにいたのは、一人の芸の求道者だった。
表情も、目線も、舞も、音楽も、衣装も、照明も。そして、映画館全体を満たしていたあの静かな空気も。そのすべてが折り重なって、忘れられない時間になった。
なかでも一番強く焼きついているのは、白い着物から、鮮やかな赤い着物へと切り替わった、あの瞬間だ。
初めて観たあの日、色が変わったその一瞬で、胸が震えた。涙が止まらなくて、心臓が高鳴るような、人生で初めての高揚感だった。今まで生きてきて、あんな美しさを観たことがなかった。
「あの映画みたい」でも「あの舞台みたい」でもない。ただ、「こんなの初めて観た」としか言えない。
歌舞伎なんて、興味がなかった
恥ずかしい話だけれど、『国宝』を観るまで、私は歌舞伎にまったく興味がなかった。
敷居が高くて、お金持ちが観る日本の伝統芸能のひとつ。東京の歌舞伎座の前を通ることはあっても、好きな人から話を聞くことはあっても、いつも「ふーん」という感じだった。
それが、この映画で、ガラリと変わった。
今は、本物の歌舞伎をこの目で観てみたいと思っている。映画が、私の興味の扉をひとつ開けてくれたのだ。
喜久雄は、本当に幸せだったのか
ラストの鷺娘を観終わったあと、私の心に残ったのは、ひとつの問いだった。
喜久雄は国宝になれたけれど、本当に幸せだったのだろうか。
あれほど周りの人を犠牲にして、それでもなお舞台に立ち続けて。彼は、その意味を見出せたのだろうか。
この問いは、3回観たあとも、しばらくずっと私の頭から離れなかった。考え続けてしまった。
『国宝』は、観客に答えを説明してくれる映画じゃない。だからこそ、エンドロールが終わったあとから、頭のなかで「上映」が続いていく。私にとっての『国宝』の上映時間は、3時間では終わらなかった。
あの日、私は幸せな時間を過ごした
不思議なのは、喜久雄の人生は決して幸福一色ではないのに、観終わった私が思い出すのは、こんな言葉だということだ。
あの日、私は幸せな時間を過ごした。
たぶん私は、「幸せな映画」だったから幸せだったのではない。人間の業も、悲しみも、大切な人達の死をぜんぶ含んだうえでの、圧倒的な美しさに触れられたから幸せだったのだと思う。
映画館で3回観て、配信でも観返した。それでも私がもう一度『国宝』を観たい理由は、結末を確かめたいからじゃない。あの鷺娘で感じた、胸が震えるような高揚感を、もう一度味わいたいからだ。
もし、まだ『国宝』を観ていない人に、ひと言だけ伝えられるとしたら。
劇場での上映はもう終わってしまったけれど、配信でもいい。
これは、人生で一度は観てほしい映画だ。
そしていつか再上映の機会が来たら、そのときは迷わず映画館へ。あの鷺娘は、スクリーンで浴びてこそだから。
喜久雄が本当に幸せだったのか、今でも私にはわからない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
あの日、私は幸せな時間を過ごした。
そして『国宝』を映画館で観られたことは、これから先もずっと、私の人生の喜びのひとつであり続けると思う。
あなたは、何回目で泣きましたか。鷺娘のどこで胸が震えたか、コメントで教えてもらえたら嬉しいです。
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