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生きるを整える。「まだできる」の中にあるこころの居場所

母は、化粧をきっかけに意欲を取り戻しました。



義母は、選ぶ機会が減ったことで、以前の生き生きした姿が少しずつ見えにくくなってきました。



かつては抜群の目利きで魚や肉を選んでいました。


「今日はこれにするわ」と、
誰よりも早く新鮮な食材を見つけ出す時の、
あの誇らしげな横顔。


選ぶことは、義母にとって自分の生活を自分で差配する、大切な儀式だったのだと思います。


もちろん、安全や生活リズムを考えれば、条件的に難しいことも出てきます。


それでも私は、「選ぶ」という行為そのものが、人の意欲を支えているのではないかと感じるのです。



そんな二人を見ていて、ふと父のことを思い出しました。


父は料理をすることが好きな人でした。

父が台所に立っていた頃、家の中にはいつも包丁の小気味よい音が響き、食欲をそそる香りが満ちていました。


今でも父が作る焼き飯やお好み焼きを懐かしく思います。

私は、少しでも父を楽にしてあげたいと思っていました。

「今日は私が作るから。」

「お父さんは休んでいて。」

当時はそれが親孝行だと信じていました。


でも今振り返ると、父から料理をする機会を少しずつ奪ってしまったのかもしれません。



認知症になる前も、なってからも、人は「できること」を続けることで、自分らしさを保っていく。


料理は、父にとってはただの家事ではなく、「自分の役割」だったのではないかと思うのです。


父は、ある頃からこう口にするようになりました。

「ワシャ〜、もうだめなんだ。」


昨日できていたことが、今日はできない。


その悔しさや情けなさを、何度も口にしていました。


私はその言葉を、「認知症だから」と受け止めていました。


今思えば、まだ「軽度認知障害」という段階だったのかもしれません。


でも当時の私は、その言葉で片付けてしまっていました。


今思えば、父は能力だけでなく、自分の居場所まで失っていく感覚を抱えていたのかもしれません。


母が化粧で笑顔を取り戻したこと。


義母が選ぶ機会をなくし、無気力に見えること。


そして父が、「もうだめなんだ」とつぶやいたこと。


三人を思い返していて、私はひとつのことに気づきました。


意欲は、ただ「頑張ろう」という気持ちだけではない。


「自分はここにいていい」と思える、こころの居場所から生まれるものなのかもしれません。


だから介護で大切なのは、何でも代わりにやってあげることではなく、
その人の「まだできる」を残すこと。


その小さな積み重ねが、こころの居場所を守ることにつながるのではないかと、今は思っています。


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あなたらしく過ごせますように。


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