口紅を引いて、デパートへ。
数カ月前のこと、何かにつけ、意欲を失っている母がいた。
✣
ごみ捨て程度ならスッピンで行くが、ちょっとした買い物でも化粧をして出かけていた母が、常にスッピンで過ごすようになりました。
先月、母の受診の際に駅で待ち合わせをしたら、スッピンの母が先に来ていて待っていました。
会うなり私は、今までにない母の姿に、一瞬、面食らいました。
「珍しいね。化粧していないなんて」
と言うと、
「マスクしているからいい」、と。
以前は私が化粧せずに実家に帰ったりしたら、
「身だしなみなんだから、出かけるときは化粧しなさいよ」
と言っていたのにもかかわらず、ずいぶん変わったものだと思っていました。
白内障の手術の後、化粧をしてはいけない期間がありました。
それ以来、すっかり手間をかけるのが億劫になったようです。
化粧のみならず、行動範囲も狭まり、以前は2ヶ月に1度程度は、電車に乗って数駅先まで買い物へ出かけるのを楽しみにしていたのに、私と病院に行くときと趣味の習い事のとき以外は、電車で出かけることがなくなっていました。
しかも「私、行けるかしら」と弱気な発言まで出てくる始末。
母が電車で出かけなくなった時期には、ただ億劫という以外に、私が知らない理由があったのかもしれません。
母はもともと肌の手入れを丁寧にするタイプではありません。
基礎化粧はそこそこに、ファンデーションや口紅を塗って、アラを隠すようなタイプでした。
それが、基礎化粧の手入れさえ、全くしなくなっていました。
そのせいか、一段とシワが深くなり、肌も荒れているように見えました。
それから1ヶ月ぶりくらいに、実家の庭仕事に行きました。
以前は庭掃除が大好きだった母。
ところが、積もったままの枯れ葉が大量にあり、落ち葉の後始末もままならない様子に、ずいぶん年を取ったように感じました。
その日、母は外出するわけでもないし、私も化粧することの方が少ないので、化粧しないことに対して気にしませんでした。
母に頼まれて化粧品の注文をすることがあるのですが、母に会うタイミング
でちょうどクーポンが来たので、この機会に買うか尋ねると、
「いらないかな。ほとんど化粧品は使ってないから」
あらためて母の顔を見ると、以前にも増して乾燥が進み、肌が砂漠のように見えました。
「お母さん、肌がガサガサ。化粧水とか乳液だけでも着けたら?」
と言うも、反応が薄い。
その場は、まぁ、元気でいてくれればよいと思い、それきり化粧の話はしませんでした。
このまま、化粧もせず、行動意欲もどんどん低下していく一方なのかもしれない、どうしたらよいかと気を揉むことが増えていました。
ところが、先日、ビデオ通話をかけると、とても晴れやかな顔。
どうしたのかと思っていたら、
「今日、整形外科に行った後に〇〇まで行って、お中元の注文をしてきた。」
「あと、喫茶店で冷製パスタ食べたの。アイスコーヒーもおいしかった」
とやや興奮気味に話す子どものように、目を輝かせて話し出しました。
「冷製パスタには、トマトとしそ、他におろし大根、ツナが入っていて、おいしかった〜。
コーヒーも苦味がきいていて、すっきりしていておいしかったわ」と、いつにも増して表現豊かに感想を話していました。
化粧はどうしたかと聞いたら、 「もちろん、していったわよ」と、明るい声で、少し照れくさそうにはにかみました。
夜寝る前なので、当然、化粧はしていない状態なのですが、画面越しには艶が戻ったようにも見えました。
母にとって、デパートは今でも「少しおしゃれをして出かける特別な場所」なのかもしれません。
その日以来、ちょっと母の生活が変わりました。
「3分クッキングの本を買ってきて、レンジを使った料理をしてみた」
と言うこともありました。
化粧をすることも、案外悪くないのかもしれません。
少なくとも母にとっては、鏡の前に立つことが、外へ向かう気持ちをそっと後押ししてくれたようでした。
「健康寿命を延ばすこと」を一つの目的にしている私にとって、母が自ら外へ目を向け始めたことは、何よりの喜びです。
私も、化粧する頻度を増やしてみようかな。
さて、こちらはどうなることやら。
本日の一葉 アジサイ de うえむきましょっと

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