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青ヶ島・二重カルデラ——観光の景色と、島で暮らす手触り【日本での記憶#06|東京編-02】


青ヶ島の二重カルデラ。外輪の内側に内輪が見え、奥に海が広がる。
青ヶ島の二重カルデラ
外輪の内側に、もう一つ輪がある

青ヶ島の二重カルデラ。
外側の輪(外輪)の内側に、もう一つ輪(内輪)が立っている。風景というより、まず形が前に出てくる。
自然が描いた幾何学、という言い方がいちばん近い。

2019年。この形を、この目で確かめたくて島へ向かった。
ただ、行ってみるとすぐに分かった。青ヶ島は「二重カルデラがすごい」で終わる島じゃない。
そこへ入るまでの手段と、島で当たり前に回っている暮らしの発想が、観光の言葉だけでは収まりきらなかった。

八丈島空港のターミナル。滑走路脇に建物と車両が並ぶ。
伊豆諸島の有人島で最南端、青ヶ島へ
八丈島からはヘリコプターを選択

青ヶ島は伊豆諸島の南の端にあって、八丈島経由になる。
便は少なく、天気にも左右される。最初から「行けない・帰れない」を前提に予定を組んでおく必要がある島だ。
行き方は船かヘリコプター。私はヘリを選んだ。
このあたりの海は荒れやすいと聞いていて、船だと欠航や足止めの可能性がヘリより高いらしい。できるだけそのリスクを減らしたかったのと、観光でヘリに乗る機会はそうないからヘリにした。
定員は9席。予約が取れるかどうかが、旅の入口だった。

ヘリコプター機内から海を望む。窓枠と座席の背が写る。
「観光の高揚」とは少し違う空気

ヘリは高い上空を飛ぶというより、海と島の輪郭が近い高さを通っていく。
機内の空気は、窓の外を見たい「観光の高揚」の私とは裏腹に少し違っていた。
観光は少数派で、島に帰る人や、仕事で行く人が多い。ヘルメットを持っている人もいて、インフラ工事とか、そういう現場に向かう人たちなんだろうと想像がついた。島が「生活の場」だという手触りがした

窓の外ばかり見ている私に、窓側の女性が声をかけてくれた。「変わります?」みたいな軽い一言。
彼女は島の人らしく、いつも見ている風景だからという感じで席を譲ってくれた。その声掛けが、「生活手段としての移動ヘリ」というのが伝わった。島の手触りを、もう一度受け取った。

ヘリの窓から見た青ヶ島の断崖。緑の台地が崖で切れ落ち、下で波が白く砕けている。
青ヶ島
緑の塊が、いきなり海に落ちる
赤茶色の地層が露出した断崖と、その下で砕ける波を上空から写した。
赤い層の下で、波が砕ける
岬の先端と青い海。崖沿いの道が見え、島の端が切り落ちるように見える。
岬の先で、島が切れる

窓から見える青ヶ島は、漫画に出てきそうな孤島だった。
緑の塊が、いきなり断崖で海に落ちる。崖の途中に赤茶けた層が見えて、線が強い。海は広く、島は硬い。空と海の大きさに対して、島の輪郭がやけに鋭い。
この孤島の雰囲気が私には美しく見えた——これは現実なのか。
確かめるみたいに、シャッターを切る手が止まらなかった。

青ヶ島のヘリポート。着陸したヘリのそばにスタッフが立ち、周囲は草地と丘。
ヘリポート到着
迎えの段取りが動き出す

ヘリポートに降りると、出口のあたりに人が集まっていて、ざわつきの中に歓声めいた声も混じっていた。
家族で迎えに来ている人もいて、私が頼んだレンタカー屋もその場で待っている。
人口が200人に届かないと言われる青ヶ島で、思った以上に人が集まっていて、その規模の出迎えに驚いた。島の側が到着に合わせて動いているのが伝わってきた。

島に入る道は限られている。港か、ヘリポート。
いまはヘリの時間で、島の側がヘリポートに集まり、警察車両まで出ている。
こうやって迎えが立ち上がるところも、青ヶ島なんだなと分かった。

尾山展望公園から見下ろした青ヶ島の外輪。外輪の内側に森が落ち込み、奥に海が光っている。
尾山展望公園から見下ろす
外輪の内側へ、森がすとんと落ちる
尾山展望公園から見た青ヶ島の二重カルデラ。手前に内輪の稜線、奥に外輪の壁、その向こうに海。
輪の中に、もう一つの輪
入れ子の地形

早速レンタカーを受け取って、まず尾山展望公園へ向かった。
外輪の上に立つと、二重カルデラが「地形の構造」としてそのまま見える。
外輪の壁の向こうで海が光り、足元の森が一段落ち、その底からもう一つの輪が盛り上がっている。
輪の中に輪——入れ子の地形。
写真で知っていたはずの形が、目の前では急に現物になる。「自然が作った」で片づけるには、静かに強すぎた。
冬の午後3時過ぎの光の中で、海が少し青紫がかって見えたのも印象的だった。今日はそれで十分。
滞在中、私は何度もここへ通った。見飽きなかった。

宿のテレビ画面に映る青ヶ島港のライブ映像。暗い港と岸壁がノイズ混じりに映っている。
宿のテレビモニター
青ヶ島港(三宝港)のライブ映像(朝)

翌日。夜明け前に目が覚めた。まだ外は暗い。
宿のテレビをつけると、青ヶ島用のチャンネルがあって、港の様子がライブでずっと流れていた。音もドラマもない。あるのは、海が荒れているのか、落ち着いているのかという気配だけだ。
島に入る道は限られている。昨日はヘリで入ったけれど、港はもう一つの「入口」で、その状態が部屋の中にまで持ち込まれている。
島の暮らしは「港が動けるか」に寄っている。島の予定が、まず海と天気に合わせて組み直される。そういう「段取り最優先」が、画面の流しっぱなしだけで伝わってきた。
――そして昼、同じチャンネルなのに、映っている岸壁(桟橋)が違っていた。

青ヶ島港(三宝港)のライブ映像(昼)
映す岸壁(桟橋)を切り替えて、今の状態を流す

あとで資料を見て分かったのだが、青ヶ島港は「一つの港」でも、海に突き出た岸壁(桟橋)は北側と南側、二つに分かれている。
朝と昼で映像が切り替わっていたのは、その使い分けがあるからだと考えると、すっと腑に落ちた。漁や作業の気配が濃い側と、人や生活物資が動く側。港は一つでも、入口の「働き方」は一つじゃない。
画面の流しっぱなしは、生活の時間に合わせて、入口の見え方(映像)が切り替わり、段取りの最優先を黙って教えてくれた。特に「生活物資」が届かないのが続くと死活問題にかかわる。
青ヶ島の手触りがここにもあった。

朝の暗さが少しほどけた頃、レンタカーで集落の方へゆっくり回った。
小中学校の建物があった。「学校がここにあるのか」と思いながら通り過ぎた。その先に「信号機」が一本だけ立っていた。

夜明け前の坂道の交差点。横断歩道の上で信号が青く点灯し、赤い歩行者信号が見える。奥に海と明け色の空。
夜明け前、島に一本だけの信号機

人口や交通量を考えたら、なくても困らない。なのに、ちゃんとある。私は「え、ここに?」と思って、わざわざ写真を撮った。
後で聞いた理由は、交通量のためじゃなく、子どもたちのため。島の外へ出たときに困らないように、信号を「体で覚える」ための信号機らしい。
これが刺さった。
島の中だけを見れば、実用性は低い。でも島の外まで含めると、必要になる。そう聞いてから見ると、信号機は島の道路のためというより、島の子どもが外の世界を歩くために立っているように見えた。
一本の信号機に、「島の外へ出る前の段取り」が滲んでいた。
その手触りを抱えたまま、私はもう一度、尾山展望公園へ向かった。

左から朝日が差し込み、山の稜線と深い谷が影になって見える。谷の下に小さな建物が点在し、奥には海が広がっている。手前に草が写る。
日が昇り始める
青ヶ島が小さく見える朝

日が昇り始めていた。
視界の先は海だけで、水平線が支配的だった。

見ているうちに、ふと「地球が丸いかも」と思う。スケールの大きさに引っ張られて、青ヶ島はますます小さく見える。小さくて、入口は限られている。
この島の小ささ――人も物も出入りが細いという現実が、暮らしを「段取りから始める」島にしている。
ここでは予定が先じゃない。外とのつながりの具合を見ながら、暮らしがそれに合わせて組み替わる。

左から朝日が差し込み、山の稜線と深い谷が影になって見える。谷の下に小さな建物が点在し、奥には海が広がっている。手前に草が写る。
朝の光が外輪をなぞる
二重カルデラが立ち上がる

そして朝の光が外輪をなぞると、二重カルデラがまた立ち上がる。圧倒的な形なのに、見ている私は妙に落ち着いている。
ヘリの時間に人が集まり、港の都合で一日が組み替わり、一本の信号機が「外へ出る前の段取り」を子どもに教えていた。あの積み重ねが、景色の受け取り方まで変えてしまった。

日はまた昇る。
ここではそれは、希望でも何でもなく、ただ「今日を回す」合図に見えた。
青ヶ島は二重カルデラの島である前に、外を前提に暮らしを組み立てる島だった。
私にとって青ヶ島は、その手触りがいちばん鮮明になる場所だった。


*これは2019年の記録です。


追記|

|今回の記事について|

島暮らしは「自然が豊か」「時間がゆっくり」みたいな言葉でまとめられがちだけど、青ヶ島はそれだけでは説明しにくい。
出入りが細く、天気と便に左右される現実があるからこそ、暮らしが先に段取りを持つ。港のライブ映像も、信号機も、その延長に見えた。
同じ伊豆諸島でも、大島や八丈島は本土からのアクセスが比較的現実的で、観光客の出入りもある程度見込める島だ。だから「島の外」との行き来が前提として太い。
一方で青ヶ島は、その前提が細いぶん、共同体が暮らしを回す手つきが前に出てくる。

この記事は、二重カルデラを見に来た私の視線が、いつの間にか「段取りの手触り」へ引っ張られていった、その感覚を書き留めました。


参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。



日本での記憶

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