路地の奥の静かな祈りと、開かれた象徴——御徒町と渋谷のモスク【日本での記憶#05|東京編-01】

(御徒町・台東区/2019年)
2019年。
入口の看板には「みんなの広場」とあり、英語とアラビア語の表記も並んでいた。東京の下町の小さなビルが、そのままイスラム教の礼拝所だった。
礼拝時間の数分前にぞろぞろ人が入ってきて、誰も慌てず、その流れのまま礼拝が始まった。
私が最初に驚いたのは、その場が思っていた以上に淡々と「普通」だったことだ。
その少し前のこと。2010年代半ば、「邦人拘束」という言葉とともに、日本のニュースでも「自称イスラム国(IS)」という武装勢力の名をよく見かけた。その記憶が、2019年の私の見方にも残っていた。
武装勢力と宗教は別だと分かっていても、見出しの中で「イスラム」という言葉だけが大きく残り、私の中では雑に一枚札にしてしまった。遠い存在だったはずのイスラムが、言葉だけ先に近づいてくる。
だから東京散歩のついでに、見出しで先に近づいた「イスラム」を確かめようと、礼拝所をのぞいてみた。
劇作家・歌人の寺山修司の言葉「書を捨てよ、町へ出よう」じゃないけれど、見出しのままにせず、まず現場の空気を見たかった。

御徒町では、まず1階に人がいて事情を説明した。
「私はイスラム教徒ではないけれども、ちょっとどんな世界か見たい。見学をさせていただけないでしょうか。」と、丁寧に正直に告げた。
日本語で通じた。表情は淡々としていたけれど、拒絶ではない。「礼拝ももうすぐだから見ていったら?」という温度だった。
すぐに礼拝の場所へ案内される。
建物はモスクのイメージとはほど遠く、階段を上がっていく感じは、礼拝所というより「ふつうの建物の上階」だった。
特別扱いもされないし、こちらも過剰に気を使わない。ホワイトボードの時間を見て「次、この時間だね」くらいの空気で、私は何を聞けばいいかも分からないまま、なんとなく説明を聞いていた。

始まる前は3、4人ほどだったと思う。
礼拝時間の数分前になると人がぞろぞろ入ってきて、部屋が埋まるくらいの数十人になった。そのままの流れに沿って、何事もなく礼拝が始まった。
「特別なイベント」ではなく、日常の延長。
私には初めての特別感があったけれど、向こうにとっては当たり前の生活の手続きだった。
礼拝が始まった瞬間、この界隈にこんなにムスリムの人がいるんだな、とその「密度」を実感した。見えなかったものがまた一つ見えた。

ハラール(イスラムの戒律で許されているもの)
礼拝後、場は少しざわつく。帰る人もいれば、世間話をしている人もいる。その中で私は数人に囲まれて、日本語でイスラム教やコーランについて少し説明を受けた。「神(アッラー)が宇宙を創造した」といった話から、偶像崇拝はない、という話まで。日本語ができる人と、できない人が混じっているのも印象に残っている。
説明が続いていると、誰かが説明者に向けて「もうそのぐらいにしたら?」というニュアンスを投げた。説明者もそれを受けて、「こんな感じですね」と着地させた。
宗教の話でもあるけれど、それ以上に、人の集団がバランスを取る。その感じが興味深かった。
入口に「みんなの広場」と書かれていた通り、ここは「地域の場」として回っているように見えた。私の体感では、日本の町内会の寄り合いに近い空気だった。
帰り際、入口の掲示が改めて目に入った。

(鶏そば Ayam-YA)
その帰り道、礼拝所を出てすぐ、静かな路地の一角にハラール(イスラムの戒律で許されているもの)のラーメン店があった。ハラールを前面に出した店は当時の私にはまだ珍しく、少し驚いた。
店内には、旅行者に見えるムスリムと、この界隈で暮らしていそうなムスリムが同居しているように見えた。日本語以外の会話が飛び、ふっと海外の食堂に紛れ込んだ気分になる。日本人は、私が見る限り私だけだった。

とりあえず券売機(メニュー)を眺めて、何を頼むか考えた。ラーメンだけじゃなく、ジャカルタ風混ぜ麺みたいな「変わり麺」もある店だ。迷った挙句、ジャカルタ風まぜ麺を頼んだ。
汁がある・ないの違いはあっても、味の設計は「日本のラーメン」の延長に感じた。この店は、「日本人が納得する味」に寄せている。その方向性はこの一杯で伝わった。

(JAPAN HALAL FOUNDATION)
だからこそ、次に気になったのは「味」より「前提」だった。
日本人とムスリムでは前提が少し違う。日本のラーメンを食べたくても、そのままでは食べにくい人がいる。だからここでは、日本のラーメンがハラール、ムスリム仕様に置き直されている。
その「置き直し」が、味にも空気にもちゃんと馴染んでいた。壁を作らない回し方が、そこにはあった。
帰り際、「おいしかった。日本の味だね」と言ったら、相手が少し嬉しそうにしたのを覚えている。排除されていないし、歓迎されすぎてもいない。
ただ普通がそこにある。私は普通に座って、普通に食べた。
礼拝所で見た「日常の手続き」は、そのまま食の場にも延長されていた。

(代々木上原駅近く・渋谷区)
御徒町で、礼拝所と食が同じ手触りで回っているのを見たあと、私は渋谷(代々木上原駅近く)のモスクにも足を運んだ。
代々木上原駅にほど近い閑静な住宅街のど真ん中に、一本の塔とドームが、いきなり立っている。日本最大級のモスクとして知られる「東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センター」だ。

ここは最初から、外の人に向けて整っている。
建物自体が看板で、見学の導線があり、売店やカフェもある。観光で来た日本人が歩いている横を、礼拝に向かう人たちが通る。制服みたいな格好に見える団体も混ざっていて、その「同居」が普通に成立していた。

見学と礼拝が同居する
礼拝の時間が近づくと、空気がすっと切り替わる。
さっきまで「見せる場所」だったものが、ためらいなく「祈る場所」に戻る。その切り替えが分かりやすいぶん、「どう振る舞えばいいか」で迷わなくて済む。分からなさが薄いと、怖さの出方も変わってくる。
同じ東京でも、御徒町とは「混ざり方」の設計が違った。

表通りでハラル表示が前に出ている
それから数年後の2022年。
私はもう一度「ハラールのラーメン」に偶然出会うことになる。
昭和通り沿い、人通りのある「表側」にある鶏白湯ラーメンの店。のれんにも提灯にも、ハラルの文字が大きく出ている。道沿いで、つたない日本語で声を掛けられて、そのまま店に入った。
御徒町の静かな路地の一角とは違って、ここは最初から「見える」店だった。

メニューには英語が併記され、パクチーをネギに変えられる、といった案内もある。英語も、変更オプションも、要するに「初めて来た人が迷わない」ための情報だ。
さらに、ハラル認証や暖簾の表示は、ムスリムには安心材料になり、日本人には店の前提を説明する看板にもなる。
こういう細かいようで、それぞれの客にとっては大きい「見える段取り、ルール」が先に分かると、こちらの距離感、身構え方も変わる。

味は、やっぱりちゃんと日本のラーメンだった。鳥の出汁のスープがうまい。
でも印象に残ったのは味そのものより、その「ハラル運用」が、店の空気にちゃんと馴染んでいたことだった。排除でも過剰な歓迎でもなく、ただ混ざって、普通に回っている。
結局、私の印象を分けていたのは宗教そのものというより、「見える化」の濃淡だった。

「ハラル認証申請中」と状態が見える
その延長で、2025年になって改めて地図を見ると、上野・御徒町界隈のハラールの店は、思った以上に増えているように見えた。増えたのか、私の側が「見えるようになった」のかは分からない。けれど少なくとも、以前より視界に入ってくる。
──ここまでを一度、引いて眺めると、「見え方の設計」の違いがいちばん分かりやすいのは渋谷だった。

(東京ジャーミイ/渋谷区)
渋谷の礼拝堂は、最初から「見せ方」が設計されている。
建物が象徴になり、案内や見学の導線が整い、ドレスコードという線引きも明確だ。見せることと守ること、その両方が見える形で置かれているから、来る側は迷いにくい。

(アッサラームファンデーション・御徒町)
一方、御徒町の礼拝所は入ってみるまで見えにくい。
礼拝所も、ハラールの店も、路地の奥で静かに回っている。どちらも同じ日常なのに、見え方の差が、そのまま印象の差を生む。
ただ、同じ上野・御徒町でも、鳥ぶしのように表通りで「ハラールの店」を大きく掲げ、声を掛けてくる店もある。見える場所に出てくると、こちらの構え方も変わる。
見えないものは、勝手に怖くなる。
見えると、日常に戻る。
だから私が怖がっていたのは相手そのものというより、分からない部分を想像で埋めてしまう自分だった。
ニュースで刷り込まれた「怖さ」は、現場では薄れ、排除でも過剰な歓迎でもない、「普通の運用」として目に入った。
私に残ったのは、先入観と実体の差。その差を埋める鍵は「見える化」なのだろう。
結局、私にとってイスラムとは何だったのか。
答えはたぶん、「遠い宗教」ではなく、東京の中で普通に回っている、誰かの生活だった。
今は、いったんそこまでにしておく。
*これは2019年、2022年の記録です。
追記|
|今回の記事について|
記事に関して、誤解が起きないように、補足だけ書いておきます。
渋谷のモスクは見学や観光の導線が最初から整っていて、外の人が入ることも想定されている。だから「見える化」という点では分かりやすい。
一方で御徒町は、そもそも見学者を前提にした場所ではないはずなのに、急に訪れてお願いした私を受け入れてくれた。そのことが強く心に残っている。スタッフも少ない中で、感謝しています。
この記事で言う「見える/見えにくい」は、御徒町が閉鎖的とか、渋谷が上だとか、そういう話ではない。むしろ両方とも開放的で、私の「イスラム」のイメージを変えてくれた。
鳥ぶしは2022年の新規開店まもない頃に入った店だが、いまネット上の評判をざっくり見ると、コメント数もかなり増えていて多くの人に受け入れられていそうに見える。Ayam-Yaは移転したらしいが、こちらも順調そうだ。どちらもおいしくいただけて、良い記憶として残っている。
|用語メモ(本文に登場)|
ムスリム:イスラム教の信徒
モスク/マスジッド:礼拝を行う場所(モスクのこと)
サラート:イスラム教の礼拝
ハラール:イスラム法上「許されている」もの(特に食の文脈で使われやすい)
ヒジャーブ:髪などを覆うスカーフ(呼び方や着用の形は人・地域で幅がある)
参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。
日本での記憶
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