海越し立山連峰は、列車の窓から——べるもんたと雨晴の一日【日本での記憶#04|富山編-01】

最強の景色は、最初から線路の上に用意されていたのかもしれない。
富山の観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」、通称べるもんた。
この日の主役は、どう考えてもこっちだった。
そもそものきっかけは、ガイド本の一枚の写真だ。
海の向こうに立山連峰、その手前にぽつんと女岩(おんないわ)。
「海越しの立山連峰」と呼ばれる景色で、見た瞬間に「ここだ」と思った。
それだけで、朝イチの電車で雨晴海岸(あまはらしかいがん)に向かった。

高岡からローカル線に乗り、雨晴駅で降りる。
まだ空気はひんやりしていて、駅から数分歩けば、もう海岸の浜だ。
線路のすぐ向こう側が海で、その先に女岩が見える。
ガイド本で見た構図の絵がそこにあった。

浜に近づくと、人影がやけに多い。
「やばい、出遅れたかな」と思いながら、少し小走りになる。
浜に出てみて、驚いたのは人の多さだった。
数十人のカメラマンが、三脚をずらっと並べて同じ方向を向いている。
「みんな同じ写真を狙いに来ているんだ」と、すぐにわかった。

私も少し離れた場所に陣取って、カメラを構える。
朝日が美しい。空はよく晴れている。海もおだやか。風も強くない。条件だけ見ると、「今日は勝ち」でいいはずの朝だった。
……ところが、いくら待っても、山が出てこない。

空がじわじわ明るくなり、水平線のあたりがオレンジ色に染まっていく。
海には朝日が筋を引き、女岩の輪郭がくっきりしていた。
が、立山連峰は、いない。
「こんなに天気が良いのに、見えないのか」と心の中でつぶやきながら、それでもシャッターは切った。海と岩と朝日だけでも十分美しい。「これはこれでアリだな」と思わされてしまった。
結局、本命の「海越しの立山連峰」は、この朝は最後まで姿を見せてくれなかった。

浜から雨晴駅に戻ると、ホームには理想の「海越しの立山連峰」が大きく引き伸ばされた写真パネルが掲げられていた。
パネルの中では雪景色の白い稜線がくっきりと浮かび上がっている。見えないものは見えないかぁーと苦笑いしながら、その写真をぼんやり眺めていた。
ただ、せっかく高岡からここまで来たのだから、このまま引き返すのも惜しい。そう思って、私はさらに先の氷見まで足を伸ばすことにした。



氷見では、港町をぶらぶら歩きながら、富山県氷見港魚市場食堂で寒ブリの乗った海鮮丼を平らげた。そのあと氷見温泉郷 総湯でひと風呂浴びた。
藤子不二雄Aゆかりの光禅寺や、まんがロード沿いのキャラクターウォッチング、比美乃江公園の展望台からは富山湾と港をまとめて見渡した。
滞在時間は短かったけれど、氷見を十分楽しんだし、なにより、寒ブリがおいしかった。
立山連峰は立山連峰で、この日は縁がなかったのだろう。そんなふうに半分あきらめかけていた。

氷見駅に戻る。
時刻表の中に、見慣れない名前がひとつ混じっていた。
「ベル・モンターニュ・エ・メール」。豪華観光列車、べるもんた。
高岡行きの次の列車が、ちょうどこのべるもんただった。
観光列車だから、急には乗れないだろうなと思いつつ、ダメ元で駅員さんに聞いてみると、「数席だけ空いてますよ」と返ってきた。必要なのは乗車券と、指定席料金だけ。
せっかくなので、私はそのまま、べるもんたに乗り込んだ。

車内に入ると、いつものローカル線とは空気が違う。
窓は大きく切り取られ、観光列車らしい「これから景色を見てもらいますよ」というムードが、車内全体にうっすら漂っている。
出発のときには、沿線の人たちが手を振ってくれて、ちょっとしたお見送りまでついてきた。

そして列車が、海岸沿いにさしかかったときだった。
「……いるじゃん。立山連峰。」
車窓の向こうに、雪景色の白い稜線がふっと浮かび上がった。
朝には、そこには何もなかったはずの場所だ。今は車窓のフレームにおさまっている。
「おおお、これを見たかったんだ!」
あわてて窓際に身を寄せ、車内から写真を撮りまくる。
さっきまで半分あきらめていた景色が、
豪華列車の窓の外に、いきなり「標準装備」みたいな顔で現れたのだ。

本命の一枚は、砂浜からではなく、べるもんたの車窓からやってきた。
きちんと早起きして立っていた浜では現れず、帰りの列車の「ついで」の時間に、何事もなかった顔で現れた景色だ。
私にとっての「海越しの立山連峰」は、朝の雨晴海岸ではなく、この窓から見えたあの一瞬として記憶に残っている。
振り返ってみると、主役はべるもんたの窓だった。
*これは2020年の記録です。
追記|
|雨晴海岸の名前と義経伝承|
雨晴(あまはらし)という名前には、源義経の伝承がくっついている。
義経一行が北へ落ち延びる途中、このあたりでにわか雨に遭い、岩陰で雨宿りをした――やがて雨がさっと上がり、立山連峰まで見渡せる景色が開けた、という話だ。
「雨が晴れる」情景から、この地が雨晴と呼ばれるようになったと言われている。今は“映える”海岸として知られているけれど、もともとは逃避行の途中で空模様を待っていた場所でもある。
|氷見の寒ブリと藤子不二雄A|
氷見といえば、冬の日本海で育った寒ブリが看板だ。「氷見の寒ブリ」はブランド魚としても有名で、港の食堂では刺身やブリ丼、焼き魚などでその脂ののりをそのまま味わえる。
もう一つの顔が、「忍者ハットリくん」などを描いた漫画家・藤子不二雄Aの出身地であること。市内には、生家である光禅寺のキャラクター石像や、「まんがロード」に並ぶブロンズ像が点在し、散歩しながら作品世界をあちこちで見つけられる。
参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。
日本での記憶
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#00|目次:北海道編/秋田編/鹿児島編/富山編
