電磁場の電荷密度と重力場のエネルギー密度の非決定性
アインシュタインが一般相対論を「紙と鉛筆(万年筆)」だけで理論的に構築できたのには、重要なヒントはありました。それが「等価原理」です。自由落下する観測者にとっては重力は存在せず、また加速運動する観測者にとっては重力が生まれるという考え方です。この等価原理こそが、重力の本質を深く突いたものだったのです。
重力場のエネルギー分布は、等価原理のせいで、一般座標変換でのテンソルの成分として振る舞いません。座標を変えると、任意の時空点において必ず重力場のエネルギー密度は零にできます。また閉じた有限体積領域の中にどれだけ重力場のエネルギーが入っているかも座標次第で変わります。つまり重力場のエネルギーは観測者や観測者が用意する座標系に強く依存するのです。このことは、重力だけでなく、この宇宙自体が、量子情報に基づいたホログラフィックな存在である可能性も示唆しています。
3次元的に見えるこの空間も、観測者にとっては所詮情報に過ぎず、そしてその情報は空間無限遠方の2次元境界や、ブラックホールの事象の地平面に存在しているというのが、ホログラフィ原理の内容です。
ところで電磁場でも、似たようなことが起きています。重力場の源がエネルギー密度であったわけですが、電磁場の源は電荷密度です。そして、量子力学では、量子重ね合わせ状態があるために、電荷密度も観測前に決まっていないことがわかります。
空間全体での総電荷量の値は決まっているのですが、その電荷がどの空間領域にどれだけ溜まっているかは、観測者による測定の前には、決まっていません。これは観測者が知らないだけでなく、その電荷密度自体の値が、実在していないのです。測定が電荷密度の値を創発するというのが、量子力学の考え方です。これは量子もつれ状態における、ベル不等式の破れからの帰結です。
ゲージ理論である量子電磁力学における電荷分布の非存在性と、一般相対論におけるエネルギー密度の非存在性は、それぞれ異なる形ではありますが、深いところでその2つは繋がっている可能性が高いのです。このような視点は、超弦理論でも使われている高次元時空のコンパクト化理論から得られます。このコンパクト化のアイデアは、カルツァ=クライン(Kaluza–Klein、KK)理論が起源です。この立場では、そもそも電磁場も、曲がった高次元時空における重力場の成分に過ぎません。KK理論については、下記記事で触れています。
ですから重力場と電磁場、そしてその源であるエネルギー密度と電荷密度は、互いに関係していもおかしくはないのです。ただしKK理論では電荷はエネルギーではなく、運動量に対応をしています。相対論では、エネルギーと運動量は相対論的なベクトルを組むので、互いに繋がった存在です。なので、電荷密度が測定前には非存在であることと、重力場のエネルギー密度が観測に依存していることの間には、繋がりがあるはずなのです。
ただ量子電磁力学は量子論であり、一般相対論は古典論です。実は一般相対論には、古典領域で生き残っている量子重力の効果も知られています。例えばAdS/CFT対応理論でも、3次元反ドジッター古典時空の理論では、その宇宙項の絶対値に反比例する中心電荷cが出来てます。量子力学的な概念である、このcの値こそが、量子重力の生き残りの1つと言えます。同様に、重力場のエネルギー密度の観測者依存性が、量子重力理論における電荷密度の観測者依存性と同じ根を持っていることは、興味深い可能性なのです。このように時空の理論である一般相対論と、物質の理論である電磁気学は互いに密接に繋がっているのです。
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