見出し画像

【中編】プロレスに興味がないのに、プロレスラーの友人ができた話【飛躍】

プロレスに全く興味がなかった私に、突如としてプロレスラーの友人ができてしまった話、今回は中編です。

前編をご覧になっていない方は、下記の前編からお読みいただくとより本記事がお楽しみいただけるかと思います。

田中選手と知り合ったことで、ワールドプロレスリングを録画して見るようになりました。生観戦は数回しか行っていませんでしたが、自分が見に行った試合とかが放送されるとテンション上がりますね。新日本プロレスワールドがサービスを開始したときはすぐに入りました。

そんなわけで、田中選手の試合を見ながらLINEでまさに今行われている試合の感想を送ったりしていました。竹刀で頭をぶったたかれた試合があったと思うんですが「痛そ~!」って送ったら、試合後にパックリ割れた頭皮の写真が送られてきたり。痛い痛い痛い痛い!!!!!!!

あとは田中選手の誕生日を祝うツイートのまとめを作成したりして、自分なりに田中選手を応援する日々が続きました。

誕生日に近い日程で一緒に遊ぶことがあったのですが、彼には「今日はミステリーツアーです」と言って、目黒にある「ステーキハウス リベラ」に連れて行ってステーキを奢ったのですが、結構いいお値段をしてちょっとびびったのは内緒です。

なんかプロレスラーはここでステーキを食べるのが通例なんだとか。店内にはいろんなプロレスラーの写真がびっしりと貼られていました。あとスイーツが食べたいというので自由が丘のスイーツフォレストに行って野郎二人でケーキを食べたりした事も…。そういえば初めて田中選手に会った日、喫茶店で美味しそうにパフェを食べていたなぁ。

更に田中選手は先輩である中西学選手の番組のロケでDDRをするという面白いことをやっていました。

中西学選手はレスリングでバルセロナオリンピックに出たという凄い経歴の持ち主でした

撮影場所は今は亡き川崎ウェアハウスですね。ここはゲームセンターとは思えない衝撃的な内装が度々話題になっており、閉店が発表された後は物凄い人出になっていたのを覚えています。主にガチのカメラを構えた人が店内をがっつり撮影しまくっていたイメージです。それだけ内装が凄かったということでしょう。

そんなこんなで田中選手とLINEでやり取りをしたり、たまに会って一緒にDDRをしたりという日々が続きました。田中選手に気付いた人が声をかけてくるケースが何回かあったのですが、その全てにものすごく丁寧に対応をしていたのが印象的でした。これは話した相手が試合会場に足を運びたくなるやつですね。(笑)

田中選手と会うときにいつも聞いていたのが、ヤングライオンは道場の管理を任されているため、なかなか長時間留守にはできない、という事でした。外出するにしてもしっかりトレーニングをしてからでないといけない、といったルールを聞いたような記憶があります。

2時間だけ時間ができたので一緒にDDRしましょう、というお誘いもありました。行き帰りの時間を考えたらプレイできるのは1時間程度なので、4~5プレイしたら終わりです。ただ、それだけに田中選手が本当にDDRが好きであることが伝わってきました。

そして私と会ったときの田中選手は、道場を出る前にものすごい量のトレーニングをこなしてきているわけなのです。その状態で更に足を酷使するDDRをプレイしまくるとか凄すぎる…!(彼曰く「これは楽しいだけで、全く苦にならないです」とのこと。やはり凄い。)

そして、ある日「奇跡」が起きたのです…。

私は東京都多摩市にある「カプセル永山」というところで不定期にDanceDanceRevolutionの大会を開催していました。同じビルにスーパー銭湯があって、ゲームセンターと経営会社が同じなので、責任者の方に相談すれば「二次会で風呂&宴会」ができるという、DDR大会にはあまりにも理想的すぎるロケーションなのです。(ちなみに今でも館内着のままゲームセンターに行ったり、ボウリングしたりできます)

その「カプセル永山DDR大会」の第5回開催のときに、なんと田中選手が「出場」できることになったのです!!!

1.土日は基本的に移動や試合なので無理
2.試合がなくても道場の管理をする日であることが多いので無理
3.長時間外出が無理

というヤングライオンが、土曜日にまるまるスケジュールが空いているという奇跡が起きたわけです!おそらくこの日道場を守ってくれていたのは同期の小松選手ですね。本当にありがとうございます!!

ちなみにこの大会の翌日は「G1 CLIMAX 24」の優勝決定戦が西武ドームで行われる日でした。

大会にエントリーした人たちも「現役のプロレスラーがDDR大会に参加だって!?」とざわざわしていたのを覚えています。

更に面白い話がありまして、この第5回大会は本当に「変わった人が会場にいる」大会でした。というのも、当時DDRに楽曲が収録されたアイドルの「柊木りお」さんも遊びに来てくれて、DDR筐体の上で1曲披露するというかつてないイベントになったのです。

これは以前、秋葉原で柊木りおさんが「私の曲がDDRに収録されたからみんなでDDRをしよう!」というファン向けのオフ会をやっていたときに私が見学に行って、マネージャーさんと名刺交換をしたことがきっかけで実現しました。

DDRのジャケット画像に関する秘話もお聞きしました

「プロレスラーとアイドルが参加するDDR大会」として、当時大きな話題となりました。そのおかげもあって参加者の数もとんでもないことになっていました。ありがてぇ…。(大会スタッフの火雪とarkia_0901さんとしずるさんは本当にお疲れ様でした…)

ちなみに柊木りおさんはこのあとDDRに沢山楽曲が収録されることになりました。とにかく歌唱力が高いので、納得しかありません。

TAGさんが曲を作ることが多かったですね

ちなみに様々な名曲を生み出したコンポーザーのTAGさんは、現在KONAMIを退職してフリーで活動しています。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が彼の運命を大きく動かしたと知ったときはぶっ飛びましたね…。いつか一緒にカラオケに行きたい。

さて、DDR大会に参戦した田中選手ですが、とある部門で3位決定戦まで進む大健闘を見せます。しかしそこで惜しくも敗れて4位となりました。そして現役のプロレスラーがDDR大会で4位に入賞したという話は界隈にすぐに広まっていきました。

なんと大会の開催地である永山は『荒武者』後藤洋央紀さんが大学時代に過ごしていた場所だそうです。後藤さんはpop'n musicが好きなんだとか。荒武者がポップンしている姿が想像できない…!

この当時は本隊だった後藤選手とBUSHI選手とDDR大会に関するやり取りをしていて面白かったです。

そんなわけでDDR大会はかつてない盛り上がりを見せて終了しました。

そしてそのまま同じ建物にあるスーパー銭湯「竹取の湯」に移動してお楽しみの入浴&二次会です。ありがたいことに田中選手も二次会に参加してくれることになっていたので、会場の入口に小ネタを仕込んでおきました。

二次会開始前にみんなで大浴場に行って、田中選手の肉体SUGEEEEEEEEEEEEEEEEってやってました。プロレスラーの裸が拝めるDDR大会はカプセル永山DDR大会だけ!(←

温泉で体を癒したあとは広い宴会場に移動して、飲めや歌えの大騒ぎです。

田中選手は参加者たちにめっちゃファンサービスしてくれていました。

そんな中、何故か突然プレシズコールが沸き起こり、なぜか私が田中選手と一戦交えることに…。なんで????????

結果は…。

プロレスラーって本当に強い、そう思った二次会でした。


そんなこんなで、笑いが絶えない二次会も終わり、明日ビッグマッチでセコンドをつとめる田中選手は道場に帰っていきました。

その他大会に関する当時のツイートをまとめてあります。雑多にまとめただけのものですが、当日のDDR大会における参加者の熱狂っぷりが気になる方はお楽しみください。

DDR大会も無事終わり、翌日の西武ドーム(G1 CLIMAX 24優勝決定戦)も終わった、その翌日…

アフターサービスが手厚すぎて笑いましたw
いや、サービスだったとしてもこんなに嬉しいコメントはないですよ!主催者冥利に尽きます。


そして、その後もたまに会って遊んでいたわけなのですが、遂に運命の時がやってきてしまいました…。

田中選手と小松選手の無期限海外遠征が決定。

行先はメキシコだそうです。ヤングライオンは海外遠征を経て、大きく成長して日本に帰って来るのが通例なんだそうです。人によっては成長だけでなく、大きく変貌して帰って来る人もいるんだとか…。(海外遠征に行ったあと行方不明になってしまう選手もいるようです)

大きな飛躍への一歩なので喜ぶところなのですが、やはり長期間会えない(試合も見られない)となると寂しいものです。でもどんな風に成長して帰って来るか楽しみだなぁとポジティブに考えることにしました。

すると田中選手から「●月●日にメキシコに旅立ちます。良かったら空港まで見送りに来てくれませんか?」と連絡がありました。行かないなんて選択肢があるでしょうか。バリバリ平日の昼間だったので速攻で有給休暇をとり、その日は早めに成田空港に向かいました。

田中選手と合流して、せっかくなので旅立ちの日付を入れたサインを貰ったり。小松選手もいたので挨拶だけでもしようと思ったのですが、仙台から見送りに来たご両親とお話をされていたので、ここは空気を読んで話しかけないことにしました。

あとここで驚愕の事実が判明しました。私はてっきり田中選手が友人らに声をかけていると思っていたのですが、なんと呼ばれたのは私だけだったみたいです。嬉しいような、恥ずかしいような。

ワールドプロレスリングの撮影クルーの方々もいらっしゃったのですが、どうも私は友人ではなく何らかの報道関係者だと思われていたみたいで挨拶されてビックリしたり。すみません普通こんなところに一般人が紛れ込んでるなんて思わないですよね…。

ここでトラブルが発生。メキシコ行きの飛行機が(確か)5時間遅れになったとのこと。国際線ではたまにあるやつですね。ここでワールドプロレスリングの撮影が始まりました。撮影を終えたあとの田中選手と小松選手は思い思いの時間を過ごしていました。

滅多に来ない成田空港を散策していた自分も、さすがに5時間待つのはアレなので最後に田中選手に挨拶をして帰ることに。空港内の喫茶店で人と話しているというので探してみたところ、何やらガタイの良い人たちと一緒に座っていました。

そのうちの一人が…

一足先にメキシコで武者修行をしていたカマイタチこと「高橋ヒロム」さん

彼は日本に一時凱旋帰国しており、ドラゴンリーとの試合に勝ってベルトをとっていました。その試合は自分もワールドで見ていましたが、まさかご本人を目にすることができるとは…。いまでは新日ジュニアを語る上で欠かせない人物になっています。八王子出身だそうです。

まだまだニワカなので試合展開があーだこーだみたいな凝った事は言えず、ただ一言「ベルトおめでとうございます!」とお伝えしたのを覚えています。

そしてメキシコで活躍する日本人レスラーのOKUMURAさんもいらっしゃいました。

このときは不勉強でここまで凄い方だとは知らず…!最後に「田中選手をよろしくお願いします!」とお伝えしたような…ここらへんは緊張していて記憶が曖昧です。

そして田中選手に「頑張って!」とだけ伝えて、成田空港を後にしました。なんか、イマイチ現実味のない時間でした…!

そして田中選手と小松選手はメキシコに渡り、「雷神」「風神」タッグとして活躍することになりました。

メキシコに渡っても彼らの絆は相変わらずのようですw

このあたりから、時差とかもあるだろうと思い、LINEで連絡するのは控えるようになりました。たまに田中選手から「メキシコの試合会場の近くにピストルの弾痕がありました!!」とか恐ろしいメッセージが飛んでくることはありました。治安ェ…。

その後風の噂でアメリカのプロレス団体であるRing of Honor(ROH)に参戦しているという話も聞きましたが、武者修行に専念してもらおうと思い、こちらからは連絡しないようにしていました。ここで数か月くらい連絡が途絶えました。

なお本記事を書いているときにこちらのnoteを見つけて読ませていただき、彼らの海外遠征中の動きを詳しく知ることができました。皆様も是非お読みください。


そして時は流れ…


ある日、その出来事は突然訪れました。

ロッキー・ロメロが挑戦者の2人をどこかから連れて来るとの事…

是非この動画を見て、当時の私の心情を想像してみてください。(サムネでネタバレしているのは見なかったことにしていただきたく…)

2017年10月9日、SHOとYOHが当日まで誰か伏せられていた「X」として両国国技館に登場し、瞬く間にジュニアタッグのベルトを奪取したのです!!

あの田中選手が、新日本プロレスのチャンピオンになったーーー!!!

なおこの日私は外出していたため、最初に田中選手を教えてくれた友人から「おい!両国で大変なことが起きたからすぐに見ろ!!」と連絡があってこのことを知りました。いやもうホントにビックリしました。

更に凱旋後に彼が使うフィニッシャーの名前はなんと「ショックアロー」!!

凄まじい衝撃によって相手を痺れさせる!!

DDRプレイヤーにはお馴染みの「ショックアロー」という単語ですが、この記事を読んでいる人は「なにそれ?」な方も多いと思うので簡単に解説しておきます。

DanceDanceRevolutionは「流れてきた矢印に従ってパネルを踏む」というゲームですが、2005年頃から「踏んではいけない矢印」が出てくる譜面が出てきました。(数はかなり少ないです)

とりあえずこちらの参考動画を見ていただくとわかると思うのですが、明らかに危なそうな矢印が出てきます。

CHALLENGE譜面にしか登場しませんが、たまに例外があります

このビリビリしているやつがステップゾーンを追加するときにどこかのパネルに足が乗っていると、一瞬譜面が消えたり、ゲージが持っていかれたりと厄介なことが起きてしまいます。足を真ん中に戻すとか、大ジャンプで避けるなどの対処が必要になる、ややトリッキーな要素です。

ショックアローTシャツも出ました

まさかこの要素をフィニッシャーの技名として採用するとは…!本当にDDRが好きというのがあらためて伝わってきますね。

そして再び田中選手あらためSHOとのやり取りが復活しました。海外遠征中はやはりDDRは遊べなかったようで、かなりフラストレーションがたまっていたようです。あとはヤングライオンを卒業したので比較的時間が作りやすくなったようでした。(とはいえ土日は試合が多いのですが)

海外にもDDRはありますが場所はかなり限られます(写真は2018年にハワイで撮影したもの)


そんなわけでSHOと踏んでいたある日、突然もう一人男性がこちらに近付いてきました。

この人は…この人は!!!


同期の小松選手あらためYOH選手

なんということでしょう。ゲームセンターにIWGPジュニアタッグチャンピオンの2人が揃ってしまいました。何が起きている…???

成田空港の見送りでは空気を読んで声をかけないことにしたため、小松選手あらためYOHと会話をさせていただいたのはこの時が初めてでした。なんでも「SHOがゲームセンターに遊びに行くというからついてきちゃった☆彡」とのこと。なるほど?????

というわけでまさかのジュニアのチャンピオン2人によるDDR対戦というなんかとんでもないものを見ることができました。これ見てるの自分だけでいいんですか?お金取って配信したほうがいいんじゃ?

その後は3人で食事に行って、カラオケに行きました。とにかく自分の歌いたい曲を入れまくるSHOと、場を盛り上げるような曲を入れまくるYOHの対比が面白かったです。方向性は違えどとにかく二人の仲が良いことを実感しました。

ヤングライオン時代から常に2人で行動しているので当たり前といえば当たり前なんですが、長く一緒にいたからとかそういう雰囲気じゃないんですよね。そういうのを超越した相性の良さみたいなものを感じました。

そして私とSHOのLINEトークにYOHが加わり、私は更に新日本プロレス(特にジュニア戦線)にのめり込んでいくことになりました。推しのプロレスラーやタッグチームがあると本当に見ていて楽しくなりますね。あらためて感じました。

そしてSHOは遂に念願の「お仕事でDDR」という実績を解除することに成功しました。(厳密には以前中西学さんのチャンネルでDDRをやっていますが)

DDRが好きな彼の衣装が「金色」、そして20周年を記念して作られたDDR筐体が「金色」。これは果たして偶然なのでしょうか!?(←

この時点ではまだ誰も踏んだことがない金筐体をいち早く体験してご機嫌のSHOでした。これを聞いたときは本当に羨ましかったです!なおこの記事が掲載されたファミ通を購入して、該当のページをラミネートして保管しています。なんだかんだで自分の事のように嬉しかったのを覚えています。

というわけで中編は以上となります。


そして後編は…

後編では、これまでの雰囲気を覆すとんでもない事件が発生し、私とSHOの関係も大きく変わってしまいます…。ある日起きた「事故」、そしてそこに端を発する「事件」、更には目を覆いたくなるほどの「闇」。

次回は、覚悟してご覧ください。

あまりにも残酷で、あまりにも非情な物語が始まりました…。


いいなと思ったら応援しよう!

DDR初代足神プレシズ いただいたチップは今後の企画に役立ててまいります。