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「人生紙芝居 その1・少女編」       北大最初の女子学生・加藤セチ


「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
 著名な化学者として成功した、
 北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。

 今年、創基150年を迎えた北海道大学から、
 お招きを受けて、
 北大の歴史を辿る講演会で、
 セチを紹介しました。

「紙芝居」でセチの生涯を、
 駆け足でプレゼンしました。

 折角なので、
 同じ「紙芝居」を使って、
 noteでも、テキスト講演会
 今回が1回目。


 加藤セチは、明治26年(1893)生まれです。
 場所は、山形県の海に近い側、庄内地方。

 江戸時代にお城があった鶴岡から、少し北。
 今は、三川町(みかわまち)と呼ばれる農村があります。
 そこが、セチの故郷です。


 セチの実家は、あたり一帯を治める、大地主でした。
 大変なお金持ちでした。

 江戸時代の後期に、
 相撲の番付になぞらえて、
 庄内一帯のお金持ちをランキングした、
 長者番付が作られたことがありました。
 世間を、大いに賑わせました。

 庄内には、
「本間」
 という全国的に知られた、大金持ちがいました。
 ランキングするのも恐れ多いので、
 長者番付では、真ん中あたりに、
「行司」
 として、別格扱いされていました。

 さて、セチの実家である、加藤家はどうかと言えば、
 その本間の隣に
「西の行司」
 として、書かれていました。
 つまり、本間と並べられるレベルの
 大金持ちだった、ということですね。


 もう一つ、別の話には、
 庄内にある、二つの大きな町、
 海沿いの「酒田」
 城下町の「鶴岡」
 25kmほど離れているのですが、
 セチの実家の者たちは、
「他人の土地を、一歩も踏まずに」
 行き来できた、と伝えられています。

 実際、その財力は、
 7千~8千石。
 小さな大名に、匹敵する規模でした。


 そんな、大金持ちの家に生まれたセチ。
 どんな暮らしぶりかと言えば、
 当然といえば、当然ですが、
「乳母日傘(おんば ひがさ)」
 のお嬢様育ちでした。

 小学校に通うにしても、
 本当に乳母がついてきて、
 下々の子たちには、
 なれなれしくさせない。

 そもそも、
 通っている小学校からして、
 セチのお祖父さんが、
 丸ごと寄付した土地の上に建っていた、
 という有様でした。

 何一つ、不自由のない、
 幸せな子供と思われるでしょうが、
 当のセチは、
「なまじ、金持ちの家に生まれたばかりに、
 齢の近い子たちとも、自由に遊べない。
 孤独で、寂しい思いをした」
 と、後に述懐しています。

 まあ、贅沢な悩み、と言ってしまえば、
 それまでなんですが——

             ↓「人生紙芝居 その2・少女編」に続く


↓ 本日のお話、関連する記事はこちら

 

紙芝居反省会

 講演会のために、
 AI生成で急造した、
 紙芝居。
 突っ込みどころが、満載です。
 そこで、おまけの反省会。

 本日の紙芝居は、
 私が、人生はじめて、
 AIに生成させた絵でした。

 簡単なプロンプトでしたが、
 意外にも、さほど苦労なく、
 ほぼ意図どおりの画像が、生成されました。

 せいぜい、
 校庭に立っている、若い女の先生が、
 拝むようなポーズに描かれてしまうのと、
 セチに、舞妓さんのような簪(かんざし)を付けてくるのを、
 修正したくらい。

 日傘がモダンだな、
 と思ったのですが、
 明治30年ごろでも
 洋傘が大流行していたそう。

 ただ、見つけた当時の写真では、
 黒いこうもり傘が多かったので、
 紙芝居のような、かわいい傘は、
 普及していたのか、どうか——

 ご興味のある方は、
 大正ロマン研究家の
 宮寺理美 さんが、
 詳しくお書きになられておられます。

 もうひとつ、
 noteで見つけた、
 明治の日傘について、
 教えてくださる記事。


「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
 第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
 下記リンクよりご参照いただければ、
 より詳しくお知りになれます。

 第1回「美人すぎて、科学者には向かない」

(タイトル画像および挿絵は、AI生成です)


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