4月から支援級へ。娘が「学校めっちゃ楽しい!!」と言い始めた理由 ——不登校から支援級へ【#4】
「不登校から支援級へ——わたしたちの決断記(全5話)」
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🌱 はじめに
無事に審査を通過し、4月から娘は支援級(情緒級)に所属することになった。
1月から支援級の手続きと並行して、約3ヶ月間、別室登校に加え、国語と算数の取り出し授業をしてもらっていた。
だから正式に入級した4月は、「新しい環境に入った」というよりも、
「すでに居場所になっていた場所に、やっと所属できた」
そんな感覚だったように思う。
前回の記事では、役所と学校の間に立ち、振り回されながら進めた手続きの大変さや、心身ともに削られた日々について書いた。
今回はその続きとして、支援級に所属して約1年が経った今、実際に見えてきたリアルな変化を、正直に書いていこうと思う。
第1章:入級前から始まっていた「支援級での時間」
支援級への正式な入級が決まる前から、娘はすでに支援級で過ごす時間を持っていた。
3年生の後半、教室に行けなくなり、ほぼ別室登校しかできなくなっていた頃。その中で国語と算数の取り出し授業を、お試しという形で支援級で受けるようになった。
最初は、やはり緊張していたと思う。
知らない教室。
知らない先生。
知らない空気。
でも、持ち前の社交性と、支援級の子どもたちのあたたかい歓迎ムードのおかげで、きっと思っていたよりも早く、慣れていったのだと思う。
「今日ね、支援級で算数やったよ」
「支援級の朝の会で、クイズに正解したんだ!」
そんな言葉が、少しずつ、でも確実に増えていった。
毎日が綱渡りだった日々
ほぼ別室登校しかできなくなってから、学校に行けるかどうかは、毎日が綱渡りだった。
教室の前まで一緒に行っても、中に入れず、かといってすぐには帰れず、その場で1時間近く立ち尽くすこともあった。
やっと解放されても、そのまま学校に残れず、一緒に帰宅することも少なくなかった。
そんな日々を過ごしていた娘が、今ではほぼ毎日、登校するようになった。
それは、親から見ても、あまりにも大きな変化だった。
だから4月に正式に支援級へ入級したとき、「新しい場所に入った」というよりも、
「ここなら、安心して過ごせる」
言葉にしたわけではないけれど、娘は、きっとそう感じていたのだと思う。
これは、入級前にゆっくりと慣れる時間をもらえたことが、娘にとって、どれほど大きな意味を持っていたか——そのことを、あとから実感する出来事だった。
第2章:支援級の"日常"は、思っていたよりずっと現実的だった
支援級に所属してしばらく経つと、その「中身」が少しずつ見えてきた。
外から見ているだけでは分からなかった、支援級の日常。実際は特別なことばかりではなく、とても地に足のついた毎日だった。
複数の先生が関わる、手厚い体制
娘の学校の支援級では、子ども一人に対して担任の先生が3人程度つき、それとは別に、支援級全体を見渡す先生が8人ほどいる。
困ったとき、一人の先生だけに頼らなくていい環境。「すぐに大人の目がある」
この安心感は、娘にとってとても大きいと思う。
ある日、他の子がやんちゃをして物を壊しそうになり、それを娘が注意したことで少しトラブルになったことがあった。
その場で、担任ではない先生が2人すぐに気づき、状況を整理し、それぞれに声をかけてくれていた。
先生が複数いることで、トラブルの発見も対応も早い。いろいろな大人の言葉や関わり方に触れられるのも、支援級ならではのメリットだと感じている。
所属は「支援級」。交流級は"肩書き"に近い
書類上、娘には「◯年◯組」という交流級の所属もある。けれど、実際の生活の拠点は支援級だ。
ランドセルも荷物も支援級に置く
交流級が学級閉鎖になっても、支援級が閉鎖にならなければ登校する
授業参観も、少しややこしい。
交流級の日に見に行っても、その教科が個別対応の対象だと、そもそも交流級の授業に参加していないこともある。
それを知らずに、仕事や幼稚園のお迎えを調整したのに、前日の夕方になってから事実を知り、ただ職場と園に迷惑をかけただけになったこともあった。
——支援級に所属すると、「交流級基準」で考えるとズレが出る。
これは、事前に知っておいたほうがいいことの一つだと思う。
国語・算数は20分の個別授業。それが、ちょうどいい
国語と算数は、個別で20分ずつ。残りの時間は、ぬり絵などの自由時間になる。
最初は正直、思った。「20分って、短すぎない?」と。
でも、担任の先生はこう言った。
「娘さんは理解力があるので、普通級の1時間分を、20分くらいでできてしまうんです」
普通級の授業は、説明や板書、他の子の発表を聞く時間が長い。娘にとっては、集中しづらい時間が延々と続く環境だった。
一方、支援級の個別授業は、
必要な内容だけ
待ち時間がない
分からないところはすぐ聞ける
短時間でも、密度が高い。
「娘には、この形のほうが合っている」
そう思えたことで、わたしの中の不安も、ひとつほどけた。
朝の会で「見通し」を持たせる仕組み
娘の学校の支援級では、原則として毎朝1時間目は「朝の会」から始まる。
そこで必ず、その日の流れを確認する時間が設けられている。学年がバラバラなため、子どもたちは自分専用の時間割を見て、自分で予定を確認する。
先生は言った。「見通しが立つほうが、動きやすい子ですね」
娘は、
何時間目に何があるのか
いつ終わるのか
嫌なことがどれくらい続くのか
それが分からないと、拒否して動かなくなることもある。
でも、最初に把握できていると、「今日はここまで頑張ればいい」そうやって、気持ちを整えられるようになった。
支援級の連絡帳には、毎週末、次週の時間割が綴じられる。これは保護者用であると同時に、娘自身が見通しを持つための道具でもある。
行き渋りの朝、「今日は図工があるよ」「今日はリフレッシュデーだね」そうやって楽しみを見つけ、登校できた日も何度もあった。
支援級ならではの、現実的な負担もある
支援級に所属すると、支援級と交流級、2つの教室を行き来することになる。そのため、防災頭巾やお道具箱も2組必要だった。
これは、完全に盲点だった。
「え、2つ必要なの?」
慌てて準備し、最低限のものを支援級用にそろえた。
支援級は、子どもの負担を減らしてくれる場所。その分、親の準備や物理的な負担が増える部分も確実にある。
泥遊びをしてドロドロで帰ってきた日、「着替えを置いておけばよかった……」と後悔したこともあった。
これは、実際に入ってみないと分からない。
畑、買い物学習、初めての親なしお泊まり
学校の敷地内には、支援級の子どもたちがお世話をする畑がある。
夏場は毎日、野菜のお世話をする。
「なす担当になったんだ!」
「今日はオクラを持って帰ってきたよ!」
支援級で過ごす時間が増えてからは、学校の話をするときの表情や温度感が、以前とは少し違ってきたように感じている。
月に1回ほどのお誕生日会では、買い物学習や調理実習もある。お金を持って、自販機で飲み物を買う。
教科書だけでは学べない、生活に直結する学びがそこにある。
さらに、もうすぐ支援級の子どもだけが参加できる、自治体主催の宿泊研修も予定されている。
娘にとって、人生で初めての親なしお泊まり。
「行きたい!!」
その表情は、不安よりも楽しみでいっぱいだ。
「行きたくない教科だけ外す」柔軟さ
支援級では、その日の状態に合わせて対応してくれる。
交流級に行けない日
給食も支援級で食べたい日
社会科見学には行きたくないけれど、登校はしたい日
理科や社会も、必要に応じて特例で支援級で対応してくれている。
書き初めに遅れて登校した日には、「次の時間から、一緒に2時間やろうか」と声をかけてもらったこともあった。
体育で跳び箱が低すぎて怖かったときには、支援級で6段に挑戦させてもらい、自信をつけて帰ってきた。
「全部参加しなきゃ意味がない」ではなく、「学校に来ることを大事にする」。
その姿勢が、娘の心を守ってくれている。
第3章:少人数だからこそ、落ち着ける場所
普通級にいた頃、娘は30人以上のクラスの中で、常に気を張っている状態だった。
人の声。
人の動き。
教室全体の空気感。
ひとつひとつは些細に見える刺激でも、それが同時に、絶え間なく降り注ぐ。
娘にとって学校は、「学ぶ場所」である前に、耐え続ける場所になっていたのだと思う。
廊下のざわつきがつらくて、イヤーマフを用意し、持参したこともあった。それくらい、音や周囲の気配に敏感だった。
支援級は、20人程度の少人数。教室の空気は静かで、動きもゆったりしている。刺激が圧倒的に少ない。
「ここなら、自分のペースでいられる」
娘は、言葉にしてそう言ったわけではない。けれど、表情や行動を見ていると、そう感じているのが伝わってきた。
支援級は全学年が同じクラスで、学年の違う子どもたちが一緒に過ごしている。娘自身は「みんなちょっと幼く感じる」と言うこともある。
それでも、自分専用にカスタマイズされたカリキュラムがあり、無理のないペースで学べることを、娘はとても大切にしているようだった。
人数が少ないからこそ、一人ひとりに目が届く。比べられすぎず、急かされすぎず、「今の自分」でいられる。
それが、娘にとっての支援級だった。
第4章:登校ペースが、少しずつ安定してきた
支援級へ移ってから、娘ははっきりと、こう言うようになった。
「学校、めっちゃ楽しい!!」
気を遣った言い方でも、無理して絞り出した言葉でもない。本気でそう思っているのが分かる言い方だ。
最近では、連休中に家で親子バトルになると家の方が居心地が悪くなり、
「もう!早く学校行きたいわ!!」
と、怒りながら言うことすらある。
もちろん、毎日が順調というわけではない。ただ、うちの場合は「なんとなくしんどそうな朝」ではなく、行けない日は、最初から断固拒否だ。
行けるか、行けないか。その境界は、今もはっきりしている。
それでも、登校のペースは確実に変わった。
出欠の記録を見ると
1学期:欠席13日(遅刻あり)
2学期:欠席11日(遅刻含み/学校閉鎖は含まず)
以前は、週に4日行けたら「かなり調子がいい週」。実際は、週2〜3日が平均だった。
学校まで一緒に行けても、教室には入れず、そのまま一緒に帰ってくることも多かった。
娘の厄介なところは、集団に入ると「楽しそうに見せてしまう」ことだ。
周りからは「大丈夫そう」「楽しそう」と見えても、本当は限界まで気を張っている。その反動が、帰宅後に一気に出る。
家で大荒れになることも、珍しくなかった。
だからこそ、「学校に行けたかどうか」だけでは、娘の状態は測れなかった。
それが今は、週3〜5日、学校に通えている。しかも、無理して踏ん張った結果ではなく、「行きたい場所」として通えている。
不登校の定義は、年間欠席30日以上。もしかすると今年度は、そのラインを切れるかもしれない。
たった数字の話に見えるかもしれないけれど、これは、我が家にとっては「かなりの進歩」だ。
支援級に移ったことで、娘にとっての学校は、頑張り続ける場所から、安心して戻れる場所へと、少しずつ変わってきている。
第5章:娘の表情が、少しずつ変わっていった
ある日の夜、娘がこんなことを言った。
「明日ね、七輪でお餅とウインナー焼くんだー!」
「明日は図工で彫刻刀使うから、4年生の図工に行くんだよ!」
その話し方は、説明というより、楽しみの共有だった。
学校の出来事を、「報告」や「義務」としてではなく、「楽しみにしていること」として話している。
以前から、娘は楽しかったことを話してくれる子ではあった。でもその頃は、その日の朝の気分で「行ける」「行けない」が大きく揺れ動いていて、学校の話題は、楽しさとしんどさが常に隣り合わせだった。
支援級に通い始めてから、そのバランスが少しずつ変わってきた。
「明日、これがある」
「それが楽しみ」
そうやって、未来の学校の話をするようになったのだ。
行くか行けないかは、今も日によって違う。でも、学校そのものへの「ネガティブな気持ち」はなくなってきている。
娘にとっての学校は、頑張り切らないといけない場所から、自分のペースで関われる場所へ。
その変化は、劇的ではないし、分かりやすくもない。
登校日数という「数字」だけ見れば、変化はかなり大きい。でも、娘の気持ちの変化は、一気に反転したというより、ゆっくりと重なってきたものだった。
でも、何気ない一言や、ふとした表情の中に、確かに積み重なっている。
支援級に通い始めて、娘の中で「学校」という言葉が持つ意味は、静かに、でも確実に変わり続けている。
🌿 おわりに
4月から支援級へ。
この一年で、娘の表情は少しずつ、でも確実に変わっていった。
毎日が劇的に変わったわけじゃない。不安がゼロになったわけでもない。
それでも——
「学校」という場所が、娘にとって耐える場所から自分でいられる場所に近づいてきた。
「支援級に入れてよかった」
そう思える瞬間が、気づけば、特別な出来事ではなく日常の中に増えていった。
ただし。
支援級は、万能な場所ではない。親の負担が増える場面もあるし、割り切れない気持ちが残ることもある。
「支援がある=楽になる」
そんな単純な話でもなかった。
それでも今、あのとき選んだ道を、間違いだったとは思っていない。
💌 次回予告
📚 次回(2/11)は「不登校と支援級⑤:支援級のデメリットと親の葛藤」
次回は、実際に通ってみて初めて見えてきた支援級のデメリットや、親として抱えた葛藤、それでもこの選択を「よかった」と思える理由を、できるだけ正直に書こうと思う。
更新ペースを見直しました:
より丁寧に書くため、2月から2週間に1回の更新にします。
📖 水曜日に記事更新中
今後の更新予定:
2/4 お休み
2/11 不登校と支援級⑤(完結)
2/18 お休み
2/25 わたし自身、当たり前ができないこと
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👩💻 著者プロフィール
2年間のライバー活動を経て、現在は2児の母。
上の子は限局性学習症で、不登校経験あり。
「完璧じゃなくていい」を大切に、子どもの学びを支える選択肢を発信中。
📖 水曜日に記事更新中
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