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「おとぎの国」のピアノ教師たち:③大人にとって「指導」とは、社会でしくじった時に社会から受ける「懲罰(懲らしめの罰)」を意味する。

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前回の記事はこちら👇

この記事でも書いたのですがね👇


ピアノの先生方は「おとぎの国」に住んでいて、そこから一歩も現実社会に出たことがないから、わからないんでしょうが、

大人が「指導」を受けるのは、社会的にしくじって社会から「懲罰」を受ける時だけなんですよ。
「懲罰」って「懲らしめて罰せられる」ってことです。

たとえば、
「〇〇社が公正取引委員会から行政指導を受けた」っていうニュースを聞いたとき、どう思いますかね?
〇〇社について良いイメージが湧きますかね?
湧かないでしょ?
むしろ、
「〇〇社は、国から「指導」を受けるような、社会的な「しくじり」をやらかしたんだろうなぁ」
って思うでしょ? 
〇〇社について悪いイメージが湧くでしょ?


私は、
一般大学を卒業して一般企業に就職してから、
「指導」という言葉を直接言われたり、「指導」されたことが、ないんですね。

というのは、
子どもが「真の意味で」大人に成って、
大人の世界(一般社会)に出て働くようになると、
「指導」されることが、無くなるからです。

もちろん、
一般企業に新卒入社したら、ふつうは、
職場の4~5年上の先輩が、新入社員にべったり貼り付いて、
仕事の仕方から企業社会における行儀作法まで、
3か月間ぐらい、手取り足取り、新入社員に仕事を仕込んでくれます。
先輩社員にとっては、自分の日々の業務を遂行しながら新入社員の面倒を見るのだから、大変な重労働です。 
そして、この行為は、
「先輩社員による新入社員に対する指導行為」では、ない!んです。
このような行為を「OJT研修 on-the-job training」と呼びます。
「実際の仕事の現場で、働きながら受ける研修」のことです。
「研修」です(「指導」では、ない)。
新入社員にとって、4~5年上の先輩社員は、
自分より数年早く一般社会に出て働き始めた、
社会人としての「お兄さんやお姉さん」であって、
自分も何年か働いて一本立ちしたら、同じ部や課でひとつの業務プロジェクトを一緒に遂行する「同胞」になるのです。
彼らより上長である、
課長や部長はというと、
課長や部長は「管理職」であって、「指導者」では、ない。
課長は、部長から課せられた自分の課(チーム)のスタッフが行う業務プロジェクトが、つつがなく円滑に遂行されるように、チーム全体を管理することが仕事です。
もし、チームの中に、「無断欠勤が多い」社員がいた場合に、初めて課長はは、その社員に対して「指導」を行います。
このような、
上長から部下への「指導」は、「懲戒プロセス」といって、企業でそのプロセスが決められているのが普通です。
「懲戒」とは「懲らしめて戒める」ことです。
つまり、
課長であっても、おいそれと「無断欠勤が多いダメな部下」を、気安くは「指導」できないのです。
ちゃんと会社の「懲戒プロセス」の手順に従って、「ダメな部下を指導」にあたるのです。
この「懲戒プロセス」の最終段階が「懲戒免職(ダメ社員の解雇)」です。
ただし、
「懲戒免職(ダメ社員の解雇)」までは、めったに行きません。
「懲戒免職(ダメ社員の解雇)」とは、たとえば、
その「ダメ社員」が「刑事的な犯罪を犯して逮捕された」場合などです。
日本では「正社員」の身分が手厚く守られているため、
課長や部長や社長の一存で「ダメ社員」を気軽に「懲戒免職(解雇)」することができないような仕組みになっています。
日本では、ちょっとぐらいの「ダメ社員」は「社会的な極刑」までは簡単には行かない。 良い国ですよ、日本は。

企業社会で「指導」=「懲戒(懲らしめ戒める)」が行われる理由は?
というと、
課長(1人)と部下10人で構成される課(チーム)のなかで、
部下の一人だけが無断欠勤ばかりしていると、
チームの仕事はどうなるでしょうか?
部下10人で力を合わせて行う業務プロジェクトのうち、
1人は「欠勤ばかりで仕事ぶりが当てにならない」人間になる。
結局、9人で10人分の仕事をしなければならない。
当然、真っ当に働く社員9人の士気(employee morale)は低下する。
その結果、
課(チーム)全体の業績が低下する。
課(チーム)の業績が低下すると、
その部の業績が低下し、ひいては、
その会社の業績が低下する。
会社の業績が低下すると、
会社の株価が下落する。
そうなると、
その会社の株主が損をする。
「ドルコスト平均法」で「グロカン」を買い続けているような、
一般の人たちの保有金融資産の評価益まで、目減りする。
究極的には、
社会全体の価値が、目減りする。
「現実社会」とは、「真っ当な大人」が、自分の人生の時間を削って日々働いて、社会に経済的な価値を貢献している場所です。
「ダメ社員」とは、
社会の構成員である「社会人」が、それぞれの持ち場で、朝から晩まで働いていて築いている「社会の価値」を「棄損する存在」なので、
「ダメ社員」に社会に居てもらっては、困るのです。 
みんなが人生を削って貢献した「社会の価値」が損われるからです。
だから、
ちゃんと決められた「懲戒プロセス」によって、
「ダメな社員」は、最初は直属の上長から「指導」され、
それでも「更生」しないと、
こんどはもっと厳しい「指導(懲戒)」を順々に受け、
それでも「更生」しないと、
「懲戒免職」されて、企業からも、そして現実社会からも、ハズされるのです。 そうなった場合は、
国の「更生施設」=「塀の向こう」に送られて、
国によって「更生」されるかどうかは、その人次第ということになります。 


社会人によって構成される、現実の社会には、
先生や指導者は存在しない。
存在するのは、
自分より10年20年早く社会に出て、
社会人としてフル稼働して(自らの働きによって社会に経済価値を貢献して)いる、課長さんや部長さんや、もっと上長の社長さんたち、そして
自分より数年前に社会に出て働き始めて、
自分に最も直接的な「社会人の背中」を見せてくれる
「お兄さん・お姉さん」先輩社員と、
自分と、
やがて自分の下に入ってきて、一緒に仕事をするようになる
「おとうと・いもうと」の後輩社員
それだけです。
社会には、「先生・指導者」は、もはや存在しない。
新しいテクノロジーやノウハウを社員に学ばせることを、
「企業研修」と言います。
「研修」です。 「指導」でも「教育」でも、ない。
 

「本当の大人」が住む「一般社会」においては、
「指導」とは、ダメ社会人を「懲罰(懲らしめ罰する)」ことである。
企業における「指導」とは、ダメ社員を「懲戒(懲らしめ戒める)」ことである。
まっとうな大人が「指導」を受ける時は、その大人にとって非常にマズい。
大人が「指導」されるのは、社会的に「しくじった」時である。
社会的に「しくじった」大人は、生きるために死活的に必要な「お金」を稼げる機会が減るから。  

では、 
まっとうな大人が住んでいる一般社会において
「教育」とは何を意味するのか? 

「社員教育」とは、「経済的な合理性の有る洗脳」のことです。
たとえば、
カワイピアノの米国法人の社員(アメリカ人)は、カワイのピアノが一番だと信じて、カワイのピアノをアメリカ人に売っています。
スタインウェイの日本法人の社員(日本人)は、スタインウェイが一番だと思って、スタインウェイのピアノを日本人に売っています。
どっちの社員にとっても、そう信じて仕事をする「経済的な合理性」が有るから、そうしています。
彼らは、それぞれの会社から、お給料をもらっています。
お給料をもらって、日々の暮らしを立て、子どもを育て、老後の貯金もしているのです。だから、
自分が働いてお給料をもらっている会社の商品を一生懸命売っている。
「これが経済的な合理性」です。 
一方、
トヨタの社員は、日本トヨタの社員でも米国トヨタの社員でも、「ピアノを始めようかな~。どのピアノを買おうかな~」と思ったら、カワイでもスタインウェイでもヤマハでもボールドウィン(ですか?)でも、自分のお財布に見合った好きなピアノを買うことができます。
それは、トヨタの社員は、カワイからもスタインウェイからもお金をもらっていないからです。
その代わり、
トヨタの社員がホンダのクルマを買うことは、決して有りえない。

このような現実社会に対して、
「おとぎの国」では、
「教育」とは「お金を払う客のほうが洗脳されること」です。
だから「おとぎの国」なのです。 
そして、
「おとぎの国」では「お金を払う客のほうが指導される」。 

だから、
「おとぎの国」は、現実の世では、有りません。

「おとぎの国」は、ピーターパンの世界。
「子ども」の世界です。
昔風に言えば、「女・子ども」の世界です。
昔は「女性」は、社会で一人前にはみなされませんでした。
ちゃんとした家庭の「女性」は結婚して「奥様」に成るか、ずっと実家に居座る「家付き娘のお嬢様」のどちらかに成りました。 
社会に出て男性と一緒に働く女性は、そうしなければ生活できない女性と見られていました。
「女性」の社会における「仕事」は、極論を言えば「女を売る」仕事しか無かった時代もあったのです。
それが、1986年だったでしょうか?
「男女雇用機会均等法」が施行され、
「優秀な女性」に、男性並みの仕事をする門戸が開かれました。
「男性並みの仕事」とは、
会社員なら「年末調整」、自営業なら「確定申告による納税」を行える規模の年収を稼ぐ仕事のことです。
つまり、
今は「130万円の壁」になりましたが、
自分で自分の税金を払わない、配偶者に扶養してもらう身分は、
社会的には「大人」とは、みなされない。
社会的に「大人」にカウントされるのは、自分で税金を払う人だけだ。

「おとぎの国」は、
社会的に「大人」にカウントされない、事実上の「子ども」が、
「扶養控除内」で「お教室ごっこ」する世界ではないのか?
だから、
自分にお金を投げてくれるお客様を「生徒」呼ばわりして「指導」しよう思ってはばからない。
そのような了見だから、現実社会の「教室ビジネス」に、ならない。
いやむしろ、
課税所得を「扶養控除内」にとどめておくことが、「おとぎの国」の「子ども教師」には、死活的に重要なのだろう。

「おとぎの国」の「子ども教師」にとっての「現実社会での仕事」とは、「お教室ごっこ」の稼ぎを、何としても夫や親の「扶養控除内」にとどめること!なのかもしれない。

彼らにとっての「現実社会での仕事」とは、
現実の社会の中で「子ども」で居座り続けること!なのかもしれない。


今回の記事は以上です。

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~ピアノ方丈記~



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