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イタリア古建築をつくる【第11話】 ベルニーニが気色ばんだ

【ポポロ門とサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂③】

今回は、ポポロ門を制作していく。
ついにローマへ至る扉が開かれる。

ポポロ門から覗き見た双子聖堂とオベリスク。これぞローマだ。(撮影:筆者)

この門、1585年には天正遣欧少年使節たちもくぐっている。

当時の記録によると、伊東マンショたちの使節は直垂ひたたれで正装して騎馬で(中浦ジュリアンは高熱のため輿に乗って)行進したようで、異国情緒あふれる絢爛豪華なパレードは沿道に集まった市民ロマーノたちを熱狂させたという。

「500年近くのときを超え、われわれ遠征隊も彼らと同じ風景を見ている」

と、ついつい興奮してしまったのだが、広場にオベリスクが立ったのはその4年後だし、双子聖堂の建設が始まるのはさらに80年近く後のことになる。
彼らと同じ風景を見たわけではなさそうだ。残念。

アントニオ・テンペスタのローマ地図(一部)。左端がポポロ門だ。1593年の制作ということで、オベリスクは既に立っているが、双子聖堂はまだない。(出典:The Metropolitan Museum of Art, Public domain)

ところで、いままで教会のことをそのまま「教会」と記載していたが、今後は「聖堂」としたい。いま読んでいる『教皇たちのローマ』*1 で「教会」を「聖堂」と記しているのが気になりネットで調べてみたところ、「教会」は建物だけではなくそこに集う信者たちも含む概念であり、建物そのものを指す場合は「聖堂」なんだそうだ(以前の記事も、折を見て書き直すつもり)。

肝心の模型のほうは、聖堂を3つもつくってきた恩寵なのだろう。さくさくと作業が進む。
3✕3mmのプラ棒を組み合わせた基本形に、0.5mm厚のプラバンやΦ1.2mmのプラ棒などを適宜貼り付けて装飾していった。

とくに門の内側(広場側)の装飾はベルニーニが手掛けているので、オーバースケールになるのを顧みずに作り込んでいった。さすがに、門の上端にあるキージ家の紋章(広場の改修を命じた教皇アレクサンデル7世はキージ家出身)などは小さすぎてうまくいかなかったのだが。
心の中のベルニーニにも「これが?」と嫌な顔をされた。
バロックの芸術家たちは、殺人を犯したカラバッジョとか、愛人にちょっかいをだした弟を殴り倒したベルニーニとか、とにかく荒っぽい連中が多いので、心の中に突然現れるとちょっと対応に困ってしまう。

筆者の模型を見て顔を歪めるベルニーニ。じゃなくて、ゴリアテに向けて投石しようとするダヴィデ。ベルニーニ《ダヴィデ像》ボルゲーゼ美術館。ダヴィデの顔はベルニーニ自身だという。(撮影:筆者家族)

筆者の技量のせいで再現できなかった個所だけじゃなく、妥協した部分もある。
例えば、外側(街道側)の門の上に並んでいる狭間メルロンは本来14個なんだけど、小スケールということもあってさすがにすべてを並べるのは難しくて、12個に減らざるをえなかった。
また、門に飾られている聖ペテロ像と聖パウロ像もいったんは省略した。広場の噴水の彫刻をどうすべきかまだ決めかねているのだが、再現する場合はこちらの像もつくるかもしれない(現状では柱間が狭くて像が入らないため工夫が必要なんだけど)。

塗装前のポポロ門。左が外側(街道側)で、右が内側(広場側)。

それから門の制作と並行して、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂の対面にある建物も簡略化してつくってみた。塗装はまだだ。
この建物、ポポロ聖堂のサイボ礼拝堂と同じようなクーポラが屋上にある。
聖堂かと思って調べてみると、以前は教皇庁の兵舎で、今日では国家憲兵隊カラビニエリの駐屯地として使われている。クーポラは、19世紀にジュゼッペ・ヴァラディエがポポロ広場全体の景観をシンメトリーにするために、クーポラを加えたということだ。聖堂とは関係がないらしい。

現状はこんな感じ。

建物が増えて賑やかな広場の雰囲気になってきた。

次回は、ポポロ門の仕上げて、あとは全体をもう少しきれいに塗り直そう。

*1 石鍋真澄『教皇たちのローマ』平凡社、2020


【第12話】「ローマの松」を植える につづく
【第10話】 ポポロ3兄弟の記念撮影 にもどる
【第1話】『サン・ピエトロが立つかぎり』があるかぎり にもどる


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