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これが“プロ”の記事か……過剰考察なんて言ってたことが恥ずかしくなってきたけど過剰考察するよ

少し前に相互フォロワーのみくまゆたんさんから、過剰考察のリクエストを頂いておりました。


これはフリか……??と思ったら

 いつの間にか!やる前提になってました!笑さすがwww

 最初は3年n組の新聞部のネタにしようかなあと、そして、モノカキングダムのエントリー記事にしようかなとも思ったりしました。

 そうしたら、ちょうどみくまゆたんさんの本業のほうでの記事が、RealSoundに掲載されていました。
 バズってます!すごい!!

 そこで、バズってる記事を載せた方がウケがいいだろう……という下心丸出しで、当該記事を拝見してみました。



 そうして、己の愚かさを恥じました。衝撃を受けてしまいました。

 こ、これは……プロだ……(当たり前、失礼)

 今まで、モノカキングダム過剰考察とか言って、無事完結して、それなりの成果物が出せた!と、調子に乗っていたつもりだったのですが、そんなことを言っている自分が恥ずかしくなってきてしまいました。

 自分の文章は所詮アマチュアでした…

 みくまゆたんさんの過剰考察、最初は、3年n組の新聞部のネタにでもして面白可笑しく書こうかなぁと思ったのですが、あまりにも衝撃的でしたので、真面目に書くことにしました。

 ということで、初の別媒体の記事の過剰考察に挑戦してみます。


みくまゆたんさんの文章


 みくまゆたんさんと仲良くさせていただくようになったのは、昨年の夏に真夏のリレーnoteという企画に参加させていただいてからだと思います。

 15人の参加者が毎日順番に夏をテーマにした記事を投稿していくという企画でした。
 lionが14日目で、みくまゆたんさんが15日目でした。

 最初は、全く気がついていなかったのですが、この企画のおそろしい(笑)ところは、後半に行くにつれてプレッシャーが半端ないということでした。
 1日目から高クオリティの記事が出されるわけですね。それが毎日出てきて、だんだん自分の順番が近づいてくるわけです。途中からこれヤバいのでは?という異様なプレッシャーがかかってきました(笑)

こんな感じで、バトン受け取る直前は励まし合っていました(笑)

そんな流れできたアンカーのみくまゆたんさんの記事がこれ

みくまゆたんさんのnoteの記事の印象を自分なりに言うとしたら

「滝」


みたいだと思っています。
出力がものすごい。常に最大の出力で入ってくる。そして、文字数も多い。流れ続ける感じ。なので「滝」ですw


これなんか2万文字です(笑)


最大出力で文字数が多いってすごいことだと思うのです。脳内がモンスター級に書きたいことであふれている状態だと思います。読んだ側は、一本読んだだけなのに2,3本の記事を読んだかのような感覚になります。

でも、そんななかでもすごいと思ったのは、

それでも最後まで一気に読める


ということです。

プロのライターさんに向かって言うのは大変失礼なのですが、これが「筆力」なのだと思います。長文を書く人って結構いると思いますが、書けるのは書きたいことと強い思いがあれば文字数はかさむのかもしれない。でも、最後まで読ませるのは筆力というかテクニックだと思うのです。

まるで右脳にあふれ出る情報を、一気に書き切っているかのよう、でもそれでも最後まで読み手が一気に読めることを可能にしているのは、「筆力」。
こんなふうに思っていました。


以前、みくまゆたんさんが「本気で推し活ができない理由」という記事を書かれていました。

この記事を読んで「自分と真逆だ!」と思いました。
とにかく、感受性がめちゃくちゃ高い。何かに対しての感受性だけで、ものすごい量の出力があふれ出ているのではないかと思いました。

自分はどちらかというと、感受性が低い。というか、感情で受け取る前に分析とか考察を始めてしまう。
あまりに真逆で面白かったので、全く同じタイトルで記事を書いてしまいました(笑)

自分でもひねくれてるな~と思ったのですが、この2つの記事について、MikataDaiさんが、持ち前の驚異的な分析力で、みくまゆたんさんを右脳派、lionを左脳派を整理していました(結果的に一番の左脳派はMikataDaiさんだとわかりました)。


みくまゆたんさんの場合、右脳派であるがゆえに、直感的に書きたいことが湯水のようにあふれ出てくる、そして、その出力が最大の状態が伝わってくる。それにもかかわらず、最後まで一気に読めるのは左脳で冷静に文章化しているから。

自分の場合はどうかと思ったのですが、たぶん右脳からの入力がすごく少ない、それを何とか伸ばし伸ばし文章化しているだけ、そんな気がしてきてしまいました。


そうして、よくよく考察しながらみくまゆさんの記事を読んでみると意外なことに気がつきました。


そんな前提で、今回、みくまゆたんさんがモノカキングダムにエントリーした際のこちらの作品を改めて見てみます。

この文章の序盤

4歳になる娘は、まだ言葉が話せない。出せる言葉は「あーーーーー」といった形にならないものばかり。

 生まれてきてくれてありがとう。それは毎日思っている。君が大好きだよと、毎朝声をかけている。すると娘はいつも、にこにこしながらギュッと抱きついてくれる。その瞬間が、たまらなく嬉しい。

今の状態でも、充分満たされてはいるけれども。欲を言えば、キリがないのはわかっている。けれどやっぱり、いつか娘から「お母さん」と呼ばれたい。

 いつになったら、その日は来るのだろう。

あの子の声が、聞きたかったはずなのに


一文一文を考察してみて、気がついたことがあります。

まず、基本的な文体が敬体(です、ます)ではなく、常体(だ、である)なんですね。わりと常体が多いイメージです。

それもあってか、「文そのものとして書いてあること」に着目すると

めっちゃ感情を抑えてる……


ということに気がつきます。

そうだとすると、それなのに、何故読んだときには「滝」のような最大出力を感じたのか。
それは……


溢れ出しそうな感情を筆力でコントロールしているから


なのではないかと思います。
たぶんこれ以上のラインを超えると読み物としてダメなラインをわかっていらっしゃるのではないかと思います。それを抑え込みつつも、なお読み物として成立させるラインで文章を書き続けていく。
だから感情をラインぎりぎりで止めている状態なのにとめどなく文章が紡がれていく。最大出力の滝のように感じる。

つまり、出力を感じるのは文体や筆力の部分だけではないということです。
むしろ逆ではないかと。書いていない部分があると気がついたときに最大出力を感じるのではないかと思いました。

例えば、ここ

義実家に向かう先で、ある事件が起きた。車で家に向かう途中、娘が突然「キィヤァァァァ!!!」と、言葉にならない声を上げ始めたのである。

あの子の声が、聞きたかったはずなのに

中盤で、読み手は衝撃を受ける部分なのですが、実は、ここ「事実」しか書いていないんです。義実家にお子さんを預けたときの「みくまゆさんの感情」は実はほとんど書いていない。「みくまゆさんの感情」が出てくるのは、例えば、ココ。着父母からの写真が送られてきたときのこの場面。

楽しそうな様子を見て、私は改めてホッとする。

あの子の声が、聞きたかったはずなのに

感情表現は実はめっちゃ抑えてるんです。これしか書いていない。なのに、「ほっとする前」の感情がありありと伝わる。最大出力を「滝」のように感じてしまう。

あるいは、義実家に帰ってきてからの会話のあと出てくるこの言葉

娘は言葉を話せなくても、ちゃんと成長しているんだ。

あの子の声が、聞きたかったはずなのに

この言葉の奥に、書いていない部分に、みくまゆさんがどれだけ心配していたのか、お子さまの様子に心を寄せていたのか、見えてきてしまうから、この言葉そのものが、控えめに見えても、書いていない部分と相まって、ものすごい出力を感じてしまう、そんな感じではないかと思いました。



そんなことを踏まえましての、今回のお仕事記事です。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さ



一通り読んで、まず思ったこと。

うわっめっちゃ抑えてる(笑)


いや正確にいうと、これがプロの仕上げ方なのかなと。

普段のみくまゆたんさんの文章を読んでいるからこそかもしれないのですが、書いていない部分の行間を大量に感じました。


書き出し


元「Sexy Zone」のメンバーで、愛称はケンティーの俳優・中島健人。吸い込まれるように澄んだ黒目に、整った鼻筋。大きな口を開くと、白く整った歯を覗かせ「セクシーサンキュー」「サンキューデリシャス」と、カメラ目線で自信満々に語る姿に、魅了された人は多いのではないだろうか。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さより


紹介記事なんで、第三者的立ち位置からの考察なんです。「事実」のように書いてある。でも、私情を挟みかけてるのが分かります(笑)

さらっと書いてあるように見えて、特徴の描写、豊富すぎませんか。

たぶんみくまゆたんさんだったら、中島健人に関する上記の一部分のことだけで5000字くらい書けちゃうんですよ。この描写を書くために実際にどのくらいケンティーを見ていたのか、あるいはファンたちの情報をリサーチしていたのか。
それをここまで凝縮して、しかもすごくあっさり読めるように書いている。

こ、これがプロか……と思ってしまいました。

中盤①

思い起こせば、中島健人は地上波のドラマ・映画では、癖の強めな役を演じる機会が多かった。真逆の成長を遂げた2人の恋模様を描く『彼女はキレイだった』(2021年/カンテレ・フジテレビ系)では、「プロ意識のない人間は必要ない」などと毒舌を振りまく。『リビングの松永さん』(2024年/カンテレ・フジテレビ系)」では「おい、ちょっと待てよ!」「寄り道しないで帰れ」と、命令口調のアラサー男子を演じた。その他にも、最悪の出会いから距離を縮めていく映画『黒崎くんの言いなりになんてならない』(2016年)においても、彼は俺様キャラを巧みに演じていた。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さより

ここもものすごいサラっと書いてあるんですよ。あたかも事実を羅列しているだけかのように。

でもよく見たら、一個一個に評価があるんです。

この一段落を書くところに辿り着くために、どのくらいの時間を費やしたのか。それは、みくまゆたんさんが普通に中島健人をプライベートで見ていた時間も含まれるかもしれません。でも、仕事としてやったリサーチも含まれるかもしれない。
ただ、この一節を納得のいく形で書くためには、ものすごい時間のかかる準備を要すると思うのです。
それが、文体としてはものすごいサラっとした一節で短くまとめられている。このさっぱりした文のためにここまで……仕事に徹するってこういうことかと……

noteって字数制限がないので、いくらでも書けます。いくら書いても所詮、自分のアカウントの中の話。それだけで誰かに迷惑をかけるわけではありません。
一方で、業務上の記事は普通は文字数制限があると思います。そのほか書かなくちゃいけないこととか、誰かのニーズに応えないといけないとか、いろいろな制約があるはずです。あんなに時間をかけてしらべたんだ、どうせなら書きたい!だからこそ一歩間違えると、独りよがりの想いをダラダラ書いてしまいたくなる。
でも、プロはそれではダメなのだと。
そんななかで、これしか書かない、でも、伝える。この凄みを感じました。

逆にだからと言って、書き手のオリジナリティを入れなかったとしたら、それは、ただの宣伝記事でしかありません。制約のある中で如何にオリジナルさを出して見せるか。
それを感じたのはこの部分でした。

そう、彼の「目の演技」には、嘘がないのだ。そこが彼の凄みではないだろうか。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さより

タイトルにもある「瞳」です。

「目の演技」に着目することで、視点に変化を持たせ、書き手のオリジナリティを含ませる。

こうすることで何が起こるか。

読み手は、中島健人の「瞳」が見たくなる。


つまり、


この映画が見たくなる(笑)


これが「もっていき方」……。オリジナリティと執筆依頼者or読み手側のニーズ、いずれにも応える文章。
ちょっと自分、過剰考察とか言ってるのが恥ずかしくなってきております(笑)


中盤②

このオリジナリティとニーズに応えるの両立。
それは、この部分からも感じます。

仕事への真摯な姿勢は、彼の公式YouTubeチャンネルにアップされた「【密着】中島健人が初めて語る「どうしてソロになったんですか?」』での発言にもあらわれている。
(中略)
その表情は決め顔のケンティーというより、『知らないカノジョ』で見たリクのようでもあった。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さより

まず、ここでも「準備」が際立っていると思います。
どこまでがプライベートで、どこまでがリサーチなのかというのはわかりませんが、時間をかけていないとこの文に辿りつかない。なぜなら、おそらく取り上げなかったことがたくさんあるはずだからです。そこから、「チョイス」をした。他にかけたリサーチはもしかしたら、もっとあって、文の中には全く書かれていないことも多いのかもしれない。
そして、これは中島健人ファンへの配慮でもある。おちゃめな表面に対する裏側の真摯な姿勢。ここにも配慮しつつ、バランスを失さずに仕上げるわけです。

そして、「中島健人」「ケンティー」「リク」の対比です。

パブリックイメージのお茶目な「ケンティー」
素の仕事に真摯な「中島健人」
ピュアで真面目な「リク」


映画での「リク」の演技に、素の仕事に真摯な「中島健人」を見る、かと思いきやあるシーンでは、決め顔の「ケンティー」を彷彿とさせる演技もあるそう。
ここの重層性。カメレオン俳優の片鱗が垣間見えるのかな。ここに関しても、描き方が秀逸でした。それがここです。


終わらせ方

(中略)
そのシーンを見て、ふと「リクを演じているのはケンティーだった」と思い出すくらいに
、リクはケンティーでも中島健人でもなく、1人の女性を真面目に愛する「リク」でしかなかった。
 ひとつの役を召喚させ、表情で物語を彩るのが上手い役者とも言うべきだろうか。ケンティー、いや中島健人なら、きっといろんな表情をこれからも私たちに見せてくれることだろう。

中島健人に惹かれる理由は“瞳”にあり “ケンティー”とは別人の『知らないカノジョ』の凄さより


「気づき」で、中島健人の演技の重層性を描き出しています

やっぱり上手いなあ(失礼笑)

ちなみに、この「気づき」描写。実は、ある効果的な伝わり方をするので、私も結構好きな表現テクニックです(笑)

これって状況理解に動きが出るんですよ。今まで気がつかなかったものに気がついたっていうのは、動的。言ってしまえば、プチストーリーです。だから、読み手もそのプチストーリーに乗っかりたくなる。それは、どういうことか。つまり、この映画が見たくなる(笑)

これを最後に持ってくるのは流石です。


さて、ここまで読んで、最後に感想めいたことを申し上げるとしたら

絶対、みくまゆさんこの案件で書きたいこともっとたくさんあるwww


です。

noteで縦横無尽に書きまくっているみくまゆたんさんが、なぜnoteを書いているのか、その目的が垣間見えたような気がしました。

でも、この書きたい衝動を抑え込んでいるからこそ、大量の行間が忍び込まされた記事が仕上がっているのではないかと思うと胸熱です。
そして、繰り返しになりますが、それを可能にしているのが、みくまゆさんの「筆力」なのではないかと思います。

これはぜひいつか中島健人さんご本人に読んでもらえるといいな~。


みくまゆたんさんのこの記事の執筆の経過はここに書いてあります。

夢が叶ってよかった!おめでとうございます✨


みくまゆたんさん、リクエストありがとうございました!わたしなりの最大出力で好き放題書かせていただきました✨


そんなわけで、みくまゆたんさんの記事をよんであ~今度映画でも見に行こうかな~と思いつつ、「今日一日を最高の一日に


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