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【note過剰考察vol.5】エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ(小海いとさん)

メンバーシップ版note過剰考察シリーズ第5弾です!


今回は、小海いとさんのこの作品

小海いとさんは、存じ上げるようになったのは比較的最近かと思いますが、積極的に投稿や行動をされていらっしゃると思います。

アカウント紹介文には「躁鬱を抱えながら一生書く」とあります。書くことに並々ならぬ想いみたいなものを感じます。

「9年間で200万文字」という記載がありました。すごい量です😲

そんな小海いとさんですが、メンバーシップを始められるそうです!楽しみ!


「一生書きたい」って標語としていいなあって思います。
「書く」って実は誰でも当たり前のようにできることとは限らない。書けない人って意外と周りに結構います。
そうだとしたら、今noteを当たり前のように「書く」ことができているありがたさというものを身に染みて感じられるような気がします。

文章は読みやすくて、流れるように読めます。
一方で、時折、ちょっとドキッと心揺さぶられるようなことが書いてあるときがあります。

たくさん書き続けていらっしゃるからかなと思ったりします。

書きながら見出していったものがたくさんある方というふうにできるのかもしれません。
「書く目的」は、人によって違うと思いますが、続けていくとだんだんと見出されていくものがあるとおもいます。
それが楽しくて書いている人はけっこういると思います。私もそういうところがあります。最近はあんまりビューとかスキ数が気にならなくなってきた気がします。

小海さんもそんな書き手の方なのかもしれません。

ということで、今回の記事に入っていきます!






改めて、今回過剰考察するのは、こちらの記事です↓


エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ


まず、ちょっと触れておきたいのは、この記事のシチュエーション設定ですね。

この文章は、「15歳のわたしへ」当てた手紙というコンセプトです。
親しみやすいエッセイで人気の猿荻レオンさんの企画です(すいません。勝手に引用失礼します)。

このシチュエーション設定で面白いのは、「ときを超える文章」という設定です。

未来のことは誰にもわかりません。
なので、未来のことを文章にするのは難しい。

未来の予言とか予想になるわけです。
でも、逆に言うと今の予想と変わる可能性があるということ。

逆に、過去のことは経験をした人はわかっています。
一方で、逆にいうともう変えることはできないということ。

過去のことを書くときの難しさは、もう記憶が薄れてしまっているということと、そのときのことを正確に文章化できるのか(そもそも正確に文章化する必要があるのか)ということではないかと思います。

ここに面白さがあるような気がします。

つまりこんな感じ。

「15歳のわたし」には、その先の未来はわからない。

でも、書き手である現在のわたしは、「15歳のわたし」にとっての未来を知っている。そのうえで、どんなメッセージを手紙に託して書くことができるのかという発想です。

いわば、思い出の振り返りの一種かもしれませんが、「15歳のわたし」に当てた視点という描写によることで、メタ的な視点で書くことができる
そんなシチュエーションではないかと思います。

そんなことを踏まえたうえで、小海さんの文章を見ていきましょう。


書き出し


誰にもしたことのない話を、あなたにならできそうです。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

書き出し。
一発で撃ってきました(笑)

さっきのシチュエーションを踏まえてのこれですよ。

「わたしはあなたの未来を知っている」「なぜならわたしは未来のあなただから」この「ときを超えた文章」の冒頭が、この一文とはおそろしい……

まず前段の「誰にもしたことのない話」は、15歳のわたしにしか言えない話ということ、それは「誰にも言えない話」ということです。
そして、後段の「あなたにならできそう」のところ、これは「本当はいいたかったこと」という含みをはらんでいるように思えます。

お題として出されている文章のシチュエーションの特徴を完璧に捉えつつ、誰にも言えなかったけど本当は言いたかったというサインで、先を気にならせる。

控えめにいって最高な出だしだと思いました。

次。

まずは高校受験、お疲れさまでした。

「共学に行かないと結婚できなくなる気がする」という謎の強迫観念で志望した公立高校、尋常じゃない倍率でしたね。ドンマイ。

あなたは宿題や小テストで忙しいでしょうから、さっさと本題に入ります。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より


この出だしに対しての次ですね。
これ案外難しいと思います。

小海いとさんは、高校受験のことを書きました。
ここの効果は、「わたしはあなたのことをすべて知っています」ということを示しているという効果があるんじゃないかと思います。
15歳のわたしが、高校受験で苦労したこと、宿題や小テストで忙しいことを知っている。

「わたしはあなたのことを知っている」ということを示す書き方というのがあるのかもしれません。

つまりこういう感じ。

未来から来た●年後のわたしに15歳のわたしが遭遇したとして、最初は信じることができないわけです。
そこにおいて、高校受験のこと、試験がダメだったことだけじゃなくて、共学を強く志望した理由(私しか知らないこと)を示すわけです。
そうするとこう思うじゃないですか。

もしかして、「本当に●年後のわたし……?」

こんなシチュエーションを作れるわけです。

ここまでのシチュエーション設定をまとめます

① あなたの未来を知っている未来のわたし
② 誰にも言えなかった話がある
③ 15歳のあなたにだったらいえそうな気がする

です。

このお膳立てです。

このお膳立てを踏まえて、入る本題が次です。


中盤①


あなたは高校で、とある女の子を好きになります。
誰のことかは大体予想がついていますね。一番仲の良い彼女です。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

一発で刺しにきました(笑)

インパクト大です。

正直に言います。大変失礼だったら申し訳ないのですが、ちょっと混乱してしまいました。
「あれ小海いとさんって男性だったっけ?」と考えてしまいました。私の狭量さと言いますか、想像力をなさを反省しました。

逆にいうと、だからこそ効いた。

私は、この前までの文が非常に効いていると思います。

つまり、

① あなたの未来を知っている未来のわたし
② 誰にも言えなかった話がある
③ 15歳のあなたにだったらいえそうな気がする

このお膳立てが非常に効果的だと思います。

そこに、突然入る「刺す」一文。ここの部分は、こんな印象でした。


そして、恋愛ものです。

正直一番自分と遠そうな世界です(笑)

そういえば、恋愛ものを過剰考察するのは初めてかもしれない。このあとの部分、どうやって書いていこう(笑)

でも、これも他の方の文章を通して、自分の文章と向き合う良い機会。
気にせず進んでみます。


あなたは彼女に告白をしますが、彼女は恋をしたことがなく、好きだとか付き合うだとかよく分からない、と断られてしまいます。
でもずっと親友でいてくれました。

彼女はおそらく、わたしが33年間生きてきた中でも、一番ケンカをした相手です。修学旅行先でですらケンカします。
あれほど感情を全力でぶつけ合える人は、後にも先にも彼女だけです。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より


感情を全力でぶつけられる相手って貴重だと思います。
わたしにはいないなあと思いました。友達がいないわけでもないのですが、たぶん少ないし、家族にも、感情をぶつけるってことはあまりないですね(正直に妻や子どもにそんなことなかなかできない)。

感情をぶつけることができるのは、信頼関係があるからなのではないかと思います。信頼関係がないままに、ありのままの感情をぶつけることはもしかしたら、それこそ関係性の崩壊につながってしまうかもしれない。でも、絶対にぶつけたいタイミングってあって、そういうのを人知れず飲み込んでいる人もけっこういらっしゃるのではないかと思います。
それに対して、「あれほど感情を全力でぶつけ合える人は、後にも先にも彼女だけ」とまでいえるのは強い信頼関係を感じます。

一度告白をして、断られて、それでもずっと親友でいてくれるというのも、その表れなのではないかと。

そういう意味で「関係性」とか「信頼関係」って難しいですよね。近すぎても遠すぎてもダメ。あっけなく切れてしまうときもあれば、あれだけ酷いことがあったのにつながり続けることもある。この距離感って、「気遣い」の裏返しなのかもしれない。ときにはめんどうだし、疲れてしまうときもある。

そんななか、感情をぶつけられる相手の存在は、そうした「気遣い」をせずとも気兼ねなく接することができる関係、小海さんにとって素敵な関係だったのだなと思いました。

だからこそ次の一文、

お別れの時が来るまで、隣にいる日々を大切にしてください。
あなたは大学生になってからある男性と交際して別れた後、晴れて彼女と付き合うことになります。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

お別れの時が来るまで、隣にいる日々を大切にしてください。

が響きます。

先ほどの①~③のシチュエーションを生かしつつ、響く。


さらに続けて、

彼女の言葉を待ってください。
大切な思い出ができます。
あの日電車の中で言われた言葉を今も忘れることができません。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

と展開します。

ここがスゴイ。言葉の中身言わないんです。
というより、「言わない言い方」がスゴイと思いました。

どういうことか。

さっきの①~③のシチュエーションです。

① あなたの未来を知っている未来のわたし
② 誰にも言えなかった話がある
③ 15歳のあなたにだったらいえそうな気がする

まず、ここのシチュエーションルールにしっかり則っているんですよ。
誰にも言えなかった話、15歳のあなたにだったらいえそうな気がする話、その大切な思い出の言葉があることを、「未来を知っているわたしが、15歳のわたしに伝える」というシチュエーションで完成させている。

だから、ことばの中身が書いていないのに、響いたのではないかと思います。

「言わない言い方」で響かせる。
ここもよかったです。


あなたは潔癖なので、彼女の選んだ進路を許せなくなる日が来ます。
別れる時はやっぱり大ゲンカでした。でもわたしたちらしかったのではないかなと思います。

4年がかりの恋でした。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

ここの展開も印象的でした。
こういう場面ってありますよね。それでも今、その場面を「わたしたちらしかったとふりかえることができる」。
そこには、寂しさとともにどこか救いのようなものを感じさせます。


中盤②

女の子を好きになるなんて、この子だけが特別で、これが最初で最後だったんじゃないかと思うでしょう。

でもあなたは社会人になってから、もう一人女の子を好きになります。

その女の子は、別れた彼女とは正反対の性格でした。
控えめでおしとやかで、すぐに人のことを考えてわがままなんか言えなくて、それで困ってわたしに頼ってきてくれるのがすごく可愛かったです。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より


中盤②をどこで区切ろうか少し迷いましたが、この場面にしました。

ここから先が何が違うか?

ここから先は「15歳のわたしが全く知らないこと」の話の場面になるというのが、その前と違うように思います。

つまり、その前までは、15歳のわたしが良く知っているひととの関係についての話でした。

一方で、そのあとは「まだ予想の余地もない未来に起こることを15歳のわたしに伝えている」というふうに読むことができると思います。

こんなとき何を伝えたいと思いますか?

例えば、15歳のわたしからしてみれば、将来どんな仕事をするのかとか、大人になって何をするかというのは正直想像もつかない。
そんな、彼・彼女に未来のわたしは、どんなことを伝えてあげたいか?
この文章を書くときはそんなことを考えるはず。
その思考過程で出てきたエピソードは、そのひとにとって、やはり大切なエピソードなのではないか、そんなところに思いが至るわけです。

その観点で見たときに、小海さんが書かれたエピソードが

お色直しのドレスの色当てクイズ

でした。

中盤③


社会人になって好きになった女の子は、20代後半で結婚します。

その子の披露宴には、色当てクイズはありません。
でも試しに心の中で、その子に似合いそうな色を思い浮かべてみてください。

当たりますから。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

こちらもちょっとゾクッとするくらい鳥肌が立ちました。マジで、①~③のシチュエーションの使い方がうまいのです。

そして、次

予想した色のドレスを着て入場するその子を見た時、あなたの「女の子が好き」という気持ちに決着がつきます。

諦めがつきます。「ドレスの色を当てられるほど好きだったのにかなわなかったのだから、しかたない」と。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

ここに、小海さんらしさが出ているようなそんな気がしました。
失恋の体験ということになるのだけれど、その子のことを誰よりも知っているという自信、それでもかなわなかったことに対して、どこかで吹っ切れたような印象その両方がありました。

ここまで考えられるのは、当時、本気で真剣だったからなのではないかと思いました。だからこそある意味すっきりと吹っ切れることもできたのではないかと。

そうして、終盤へ進みます。


終わらせ方


ここまで、「本気で真剣だった」小海さんの半生が、15歳へのわたしへというかたちで見事に言語化されてきました。

ラストは、大変含蓄に富む文章です。そのまま引用させていただきます。

あなたはいつも全力で恋をしていました。
ケンカ別れに後悔をする日も、声を上げて泣く日も来るでしょう。

それでも、かなわなくても報われる想いというものが存在します。
あなたはそれを抱えて十数年を生きていきます。

手に負えなくても、大切にしてください。
報われるということは、その愛執を手放すこととも似ていますから。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

全力で、全振りで、全身全霊でそのうえで、「手に負えなくても、大切に」と書かれているところに、スッとしみいるメッセージを感じます。

繰り返しですけど、このメッセージが「15歳のわたし」へ宛てたのメッセージというところには、どうしてもエモさを感じてしまいます。

良いことばかりではない、つらいこともある、手に負えないことも、それでも「大切にしてください」といえる。そこの部分が染み入りました。


そして、ラストの一文がまたすごい。

報われるということは、その愛執を手放すこととも似ていますから。

エッセイ:不本意ながら女子校へ進学した15歳のわたしへ より

「報われること」≒「愛執を手放すこと」

なるほど、深い……。

何かに囚われるように執着しているものがあったとして、それを手放すことができたのだとしたら、そこには心穏やかになるきっかけが存在するのかもしれません。

この一言を、15歳のわたしに送ることができる。なぜかというと、15歳のわたしのことは、今のわたしがだれよりもわかっているから
この文章のシチュエーションとストーリー鮮やかに回収する手際のよさを感じました。

いいなぁ……「愛執を手放す」か……。
わたしもどこかで使ってみたいなと思いました。

今回もすごく勉強になった!ありがとうございました✨


エンディング&次回予告


ということで、note過剰考察第5弾、無料の過剰考察編はここまで!

今回も学びが多かったです!小海いとさんありがとうございます!

で、今回の有料のメンバーシップ限定の深掘り考察ですが……


テーマはこれで行こうと思います。

一文で刺す。


意外にもちょっと強め?のテーマですが、
過剰考察のことばでいうのならば

「キラーワード」「キラーフレーズ」論

です。

小海いとさんの文章ってとても読みやすい一方で、急にグサッと刺さるような一文が入ってくるような気がするんですよね。
ここって文章そのもので刺す場合と持っていき方で刺す場合があると思います。そのあたりも含めて、深掘りをしていきたいと思います。

意図していないのですが、毎回いい感じにテーマがばらけてありがたい限りです(笑)


そして、創作大賞が始まりました。

長めの文章や小説で勝負する場合、キラーワード・キラーフレーズは必ずと言っていいほど入れるのではないかと思います。
その入れ方、その前のもっていき方、そのあとの書き方、キラーワードそのものの強め方、どれも気になるんじゃないかと思います。
この辺りに果敢に切り込んで(?)いければって感じです。

キラーフレーズが上手な方って小海さん以外にも、たくさんいらっしゃると思いますが、過剰考察を通して、この「なんとなく、感覚的な」問いをできる限り、具体的文章を通して、一般化・抽象化にしていけたらなと思います!

気になった方は、メンバーシップ是非ご検討してみてください。明日上記のメンバーシップ限定記事は、17:30公開予定です!


そして、次回の過剰考察はカオラさんのこの作品です!

次は、家族がテーマ。

次回もおもしろそうな予感がめっちゃしてます!

ということで、次回もお楽しみに!

今回も、お付き合いありがとうございました!
ということで、それではまた!「今日一日を最高の一日に


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