乗り越えた先は明るかった
不安?心配?さびしい?
正直に言えば、自分がこんな感情になると思ってもみなかった。
車から降りて駅に向かって歩いていく姿を見ながら、私は手をぶんぶん振っていた。
キャリーバッグとともにエスカレーターに乗ってから私の方を振り返り、片手を小さく振っている。
少し微笑みながら。
◇◇◇
子どもが不登校になってから、我が家は大嵐に突っ込んでいく感覚だった。
私の頭は子どものことでいっぱいになり、他を構っていられなくなった。
父親と母親では子どもへの接し方がそれぞれ違うのは当たり前なのに、お互い理解できなかったし、認められなかった。
仕事もお互い多忙で、会話する時間もほとんどなかったと思う。
また「父親とはこうあるべき」が強すぎる親と、その思いをまともにぶつけられる子どもとの間に亀裂が入るのも必然だった。
数年後、私のメンタルもついには崩壊し、別居の話も出た。
我が家は一度バラバラになった。
◇◇◇
もちろん不登校だけが原因というわけではない。
おそらくそれがなかったとしても、何か別のきっかけで当時の我が家ならバラけていたのだと思う。
「それぞれ違う」をわかりあえないまま、そして話し合うことができないまま、過ごしてきていた。
私のメンタル崩壊がきっかけで、家庭内で少し距離を置くことにした。
当時自由な時間が全くなかった私は、子どもに振り回されるだけの毎日を手離し、自分を優先することに意識を向けた。
◇◇◇
すると、見方が変わってきた。
それぞれが別の世界を持つことで、自分をより理解することができた。
自分の考えを伝えるということがうまくできていなかったのが、丁寧に言葉にすることができるようになっていった。
不思議な感覚。
そうか、あまりにも視覚が狭くなり過ぎていたのだ。
自分の環境を俯瞰で見られなくなることは、自分を見失うことだった。
「足る」を知ることができなかったのだ。
私が変えられるのは「私」しかいない。
相手に対して「自分の思い通りに変わってほしい」なんて勝手なことを思うから、歪が起こる。
変わるなら自分からだし、自分が変わることで周りも変わるのだから。
◇◇◇
子どもも大人も、会話が増えていった。
お互いを思いやる言葉も、大笑いすることも増えた。
親子全員で同じものを食べたり、くだらない豆知識を披露したり、ただそんな時間がとても大切だったと思い出した。
子ども達もずいぶん落ち着いてきて、徐々にまた「家族」という輪に戻ってくることができた。
親である大人たちも「これから」を見据えるようになってきた。
私はゼンタングル認定講師となり、NPO法人にも参画して不登校支援を続け、自分の足で立つようになった。
そして旦那さんも資格を生かすべく、今後のキャリアを真剣に考え、この年齢で転職に踏み切った。
任期付きではあるけれど単身赴任。
長男が赤ちゃんだった時以来、我が家にとっては18年ぶりの二重生活だ。
住む場所は離れるけど、「家族」の輪が戻ってきた今だからやっと踏み出せたのだと思う。
◇◇◇
ただ、たぶん本人もわかっている。
実は自分が寂しがり屋だったり、実は弱い部分があったり。
だから「父親とはこうあるべき」を強く振りかざすしかやり様がなかったのだろう。
トゲトゲした部分が各々からなくなって輪が整ってきた矢先、ひとり住む場所が離れてしまうこと。
私はそれが寂しいし不安だし、心配になってしまったんだ。
◇◇◇
でもよく考えてみて。
「あるべき」を手離した我が家ほど強いものはないんじゃないか。
そして、お互いの「弱さ」を理解し合えた我が家は最強なんじゃないか。
きっともう大丈夫。
それぞれの場所で輝けるように奮闘しながら、「家族」という輪に出入りしながら繋がっていると思うから。
嵐を越えた先は、柔らかく、あたたかく、明るい。
#メイプルさん トプ画、ありがとうございました。
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