見出し画像

渡辺温の事故前後の出来事をカレンダーで見る。

まえがき

スケジュール帳に記入するように月間形式のカレンダーに出来事を記入することで、渡辺温の事故や関連出来事の時系列を、より立体的に捉える狙いでエピソードをカレンダーに起こした。

ただ、時間の感覚を捉える為なので、エピソードの詳細は割愛して居たり、「仕事納め」「仕事始め」等、当時は一般的にこうだろうと推測で書いている物や「3月になってからだったと思う」というような曖昧な記録は、独断と偏見で「なんとなく此の邊りだろう」と大まかな判断で記入して居る。

そのため、厳密に正確な資料ではないが、温とその周囲の人々が昭和4年〜5年をどのような雰囲気で過ごしたのかを感じ取る為だけに見て頂きたい。

引用元は記事のまとめに在り、それらのエピソードを解る範囲でカレンダーに転記したものである。

詳細は引用元の記事の方でご確認いただきたい。


カレンダー(昭和4年8月〜昭和5年6月迄)

※クリックしたら画像が大きく表示されます。

温の新青年内定は水谷の編集長が決まった後なので、もしかすると7月の内に決まって居たかもしれない。
17日、朝一で不壊の白珠を見に行っている。
お正月映画だった「恋愛第一課」。この撮影についての話を及川道子は新青年誌上の温と横溝との対談で語っている。
及川道子との対談は4月号用なので2月初旬の可能性もある。
温亡き後に啓助が書いた小説第一作の掲載と、温を失った悲しみを堪えて撮影した及川道子の映画の公開があった。温の死後、皆再び自分の人生を歩み始めている。

編集後記

殆ど冗談の積もリで「”100日後に死ぬ渡辺温”をやるとすれば何月何日から始めれば良いのだろう?」と調べて見ると、新青年編集部に再入社した日が死の101日前で、殆どその日に当たった。此処でも物語として出来すぎた渡辺温の人生と言うものを感じる。
「百日後に死ぬワニ」を僕は読んで居ないけど、あと何日後に死ぬとカウントダウンされて居る事が日常の尊さを感じさせた等、そんな話を伝え聞く。
渡辺温の人生を「百一日後に死ぬ渡辺温」として眺めると、水谷準編集長の下で再び新青年を作り始めた時期が総てそれに当たるわけで、そうして温が手がけた新青年(昭和5年1月〜4月/個人的には4年12月号も後半から関わってるんじゃないかと思うけど……)を改めて読むと、また別種の懐かしい楽しさと切なさを感じられるように思う。横溝正史と水谷準が「青春」と表現した時間と空気が詰まって居る。一層そんな事が感じられた。

当初は事故に関する出来事だけカレンダーに記入して居たが、空白が多く物足りなく感じたので、島崎博・編の渡辺温年表を参考にもう少し埋め、亦、温の身近な人たちの誕生日も記入してみた。
こうする事で渡辺温がどのような空気の中で生きて日々過ごして居たのかが多少なりとも立体的に感じられるようになった気がする。
何れ温に関する出来事の総てをカレンダーに起こしてみたいな、と思う程に僕にとって非常に手応えがあり面白く感じる作業だった。今回のカレンダーで割愛して居る分もある事だし(新青年誌上で対談をした事など)何れ機会を作って温の人生の總てをカレンダーに起こしてみたいとも思う。

それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。

編者・幾島溫


いいなと思ったら応援しよう!

幾野温|昭和四年のモダンボーイ 渡辺温や1920年代関連の研究に使わせていただきます。少しでもご支援いただければ幸いです。