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渡辺温の事故の流れを年表にまとめる

様々な記事や資料を引用して、温の事故の様子を整理した。
唯、その記事は非常に長く5万文字を超える為、軽く把握する為に簡単な年表を作った。

詳細や論拠を確認したい方は記事の方をどうぞ。
渡辺温の死に就いての記録を読む

また此れらのエピソードをカレンダーに纏めた物はこちら
渡辺温の事故前後の出来事をカレンダーで見る。

渡辺温の事故の流れ


大正13年11月

・渡辺温、谷﨑潤一郎に見いだされ「影」がプラトン社のシナリオで一等を取る。

昭和2年

・1月 渡辺温、博文館に入社。編集長・横溝正史と共に新青年を担当する。
・新青年、温を通じて谷﨑潤一郎へ原稿依頼をし始める。

昭和3年頃

・渡辺温、岡田時彦・横溝正史・新居格・上森健一郎らと銀座で食事をした帰りに、温の知人の交通事故現場に遭遇。その時、岡田に「何時か交通事故で死にそうな気がする」と話す。

7月

・温、バー・サイセリアの山田まりと同棲開始。事実婚で内縁関係。

昭和4年

8月

・新青年の編集長に水谷準が就任。
・横溝が水谷に温を再度新青年へ入れてくれと頼む。

8月29日(木)

・温が母へのハガキに、9月に谷﨑のところに原稿依頼へ行くと書く。

10月頃

・博文館・文芸倶楽部の編集をしていた岡戸武平が、水谷準の依頼で谷﨑潤一郎の元へ原稿依頼へ行く。谷崎の返答は煮え切らない物だった。

11月

・渡辺温、博文館・新青年に再入社する。
・温、谷﨑潤一郎の元へ原稿依頼に行く。

昭和5年1月

・温、友人・小泉淑夫に「今年は活躍する!」と抱負を述べる
・温、夙川で長谷川修二に会う。この時は谷﨑邸には行っていない様。
・新青年、3月号に「4月号に谷崎潤一郎の新作」という予告を掲載して印刷に回す。

2月初め

・水谷準、温に再度谷﨑への原稿依頼に行って貰うこと決める。
・温、長谷川修二に電話をし「谷崎さんに原稿を頼んでくれ」と依頼する。修二が断ると「原稿を頼みに行く事を伝えてくれ」と頼むが此れも修二は断る。然し、結局修二は温の頼みを断れず、原稿獲得のために協力することになる。

2月7日(金)

・谷﨑潤一郎、午後になって原稿が書けそうにないと温に電報を打つ。
 →温、退社前にその電報を受け取る。
・岡戸武平、渡辺温を家に招待し、妻と共に三人で鴨を食べる→その後、温の誘いで温の知人の店、中野のバーへ。→温がバーのママと喧嘩をして自分のお守りを踏みつける。

2月8日(土)

※渡辺温と長谷川修二は、谷崎に8日の朝に電報を受け取って即、谷﨑邸に来たという事にしている。それ故谷崎は「電報を送った翌朝、出社して温は電報を受け取った」と思って居る。

渡辺温の動向。
・兄・渡辺啓助に「夙川から帰ったら赤ちゃんに会いに行く」とハガキを出す。
・荒木十三郎に「フランスへ行く」と云って退勤する。
・夜、銀座で城昌幸と酒を飲む
・東京発20:45の夜行列車で一旦長谷川修二が住む兵庫県西宮市夙川へ向かう。

・長谷川修二、仕事終わりに谷﨑の家へ行き、明日温と共に原稿依頼に来ることを告げる。
・谷﨑は夜遅くの帰宅で家人からその事を聞く。

2月9日(日)

・修二、谷﨑への原稿依頼のことを考えて一睡も出来ず、8時頃にようやく眠り始める。
・温、9:08に大阪駅の到着。その後、阪神急行で夙川へ行き、9:30頃に修二の家に到着する。
・12時頃 温と修二、夙川から二駅隣の神戸岡本の谷﨑邸へ。所要時間は15分程度。
・14時頃 谷﨑邸を辞した二人は神戸の街へ出掛ける。

2月10日(月)

1時頃 栄町1丁目(現在の神戸みなと元町付近)で温と修二がタクシーに乗る

1時40分頃 西宮市大師踏切でタクシーが列車に衝突して事故が起きる。

• 貨物列車と衝突→列車が左側客席を打ち→そのまま1丁半程タクシーを引きずって→列車が停止。
• 列車の最初の衝突で、タクシーの右ドアが開く→運転手が跳ね飛ばされ→暫くして→前列左側に座る助手が跳ね飛ばされ→後列の温と修二は最後まで車内に残る。左側後列の温の全身が列車に衝突した状態で、額と顎と首に重傷を負う。
• 長谷川修二は衝突で頭が混乱しながら、衝突現場の踏切番の小舍まで歩いて転げ込んだ。
• その間に汽車の機関手たちが温が乗った儘の壊れた自動車を線路の土手下へ投げ棄て、温は車から落ちて仕舞い土手の下に転がり落ちた。
• そのため温を探すのに時間がかかり、病院へ運ぶのに1時間半以上掛かった。
• タクシーの運転手が温を探して回収し、修二や助手と共に病院へかつぎ込んだり、警察へ駆けつけた。

3時20分頃
全員西宮回生病院へ運ばれる。意識が朦朧とした修二が警官に名前等を伝え、警官が谷﨑へ電報を打つ。
・修二、傷の縫合。その後、熟睡する。

4時35分
渡辺温、脳蓋底骨折が主因で死去。

5時頃
谷﨑、新青年への随筆4,5枚分を書き終わって眠る

5時半
谷﨑邸に長谷川修二からの電報が届く。

6時半
谷﨑、タクシーの迎えで起こされて、電報で事故を知り西宮回生病院へ行く。

6:50頃
谷﨑、病院へ到着。

7時
谷崎潤一郎の動き
 ・温が死んだことを知らせる電報を博文館宛に打つ。
 ・温のために花と線香と蠟燭を手配する。
 ・修二の後輩、ワーナーブラザーズの清水俊二に電話を掛けるが、出社前の為、病院へ来て欲しいという伝言を頼む。

8〜9時頃
・博文館に谷﨑から温の死を知らせる電報が届き、博文館が横溝正史の自宅へ届ける。(徒歩20〜30分ほどの距離)
・清水俊二、出社して谷崎に折り返しの電話を掛け、事故を知る。

9時頃
岡戸武平、水谷準など、博文館の人々が温の死を知る。水谷は「APRIL FOOL」とつぶやき、岡戸は「自殺じゃないか?」と横溝に云った。

9時〜10時頃
清水が西宮回生病院へ到着。谷﨑が帰る。

12時頃
夕刊早版で新聞社勤務の宮田新八郎が事故を知り、すぐに病院へ駆けつける。

16時頃
・及川道子、道子の父母と共に夕刊で温の死を知る。
・温の神戸の親類・殿村秀雄が病院を訪れる。
・竹中英太郎、城昌幸も訃報を知る。
・築地小劇場が温の戯曲があれば上演したいと申し出る。

19時頃〜
宮田新八郎、殿村秀雄と共に渡辺温の仮通夜をする。

19:35
横溝正史、水谷準、妻のまり、夜行列車で西宮回生病院へ向かう。

2月11日(火/祝日)

8:50頃
横溝、水谷、まり、病院へ到着。亦、福田耕太郎、広瀬将も到着。

9:00頃
谷﨑、病院を訪れ香典を持ってきたと思われる。横溝正史と顔を合わせる。

9:30-10:30頃
火葬。横溝、水谷、まり、宮田、福田、広瀬、(殿村?)参列。
修二は心理的につらいので温の遺体を見る事をしなかった。

大阪発12:25
横溝、水谷、まり、温の遺骨と共に列車に乗って東京へ戻る。遺骨の運賃は1円10銭。
福田耕太郎も通夜に参列しているようなので(供物帳より)福田・広瀬も共に帰京した可能性あり。

18時頃 群馬県渋川町より啓助が温の葬式のために東京へ向かう
23時頃 啓助、上野着。

12日(水)


5:30

横溝、水谷、マリ、東京に到着。
6:00前後
啓助、温の通夜が行われる文京区小日向台の横溝宅へ行き、横溝と初対面。


・小日向台の横溝宅2階で温の通夜を行う。
・辻潤が及川道子を連れてくる。
・辻潤が菜っ葉服で読経をする。
・佐藤春夫が灘(日本酒)を贈る。
・森下雨村、長谷川伸、辻潤、水谷準、が参列。他には内藤賛、和田精、松野一夫、荒木十三郎、延原謙、真野律太、田中早苗、初山滋、福田耕太郎らが香典及び供物を出して居る。

13日(木)

森下雨村宅で告別式。その後、小日向台の寺院で森下が葬儀委員長となり葬儀が盛大に行われた。

15日(土)

実家・茨城県助川町(現・日立市)にて葬儀。鏡徳寺に埋葬される。シルクハットは末弟・済、インバネスは啓助が譲り受けた。

2月12日〜2月20日頃

谷﨑、春寒の渡辺温の追悼部分を執筆する。

2月28日頃

修二、月末に退院し、谷﨑の元へお礼の挨拶に行く。

3月

乾信一郎が渡辺温の後任として抜擢される。

半ば〜下旬
啓助、水谷準から小説を書くように云われる。

4月

・新青年4月号、渡辺温の追悼号となる。谷﨑の春寒掲載。
・乾信一郎、新青年編集部に正式に入社。温のデスクに座る事になる。

5月

温、『講談雑誌』に遺稿『モダン四月馬鹿』が掲載される。

6月

啓助、新青年6月号に「血笑婦」を発表。

昭和6年

3月10日
渡辺温君を偲ぶ会。(一周忌)

7月〜8月頃
乾信一郎、谷﨑潤一郎の原稿依頼へ行き「武州公秘話」の第一話の半分を受け取る。

(時期不明)
温の妻・まりが武蔵小山に「マリオンヌ」というカフェバーを開く。

10月 
新青年10月号 谷﨑潤一郎「武州公秘話」第一話掲載。

昭和11年

渡辺温7回忌。友人・知人等が集まる。

昭和12年頃?

及川道子、渡辺啓助の鎌倉の家を訪ねる。事故の直前に、温が夙川から帰ったら赤ちゃんに会いに行くと言って居た長女を道子が抱く。

・時期不明だが、温の妻・まりは温の死後、レコード会社の人と結婚したとのこと。


編集後記

温の事故に関しては、これまで谷﨑、横溝の回想録からの引用が多かったのではないかと思うけど、これを機にもう少し世の中に事故の全貌が知られると良いなあと思う。特に長谷川修二と清水俊二の記事、こちらは温の事故に関する資料としても非常に濃密だと感じた。それから「その後」として乾信一郎の回想録も非常に興味深い。
参照元、特定に至った資料などは別記事の方にありますので、気になる方はそちらもご確認ください。
お目通しいただきありがとうございました。

編者・幾島溫


参考文献

  • 谷崎潤一郎/春寒 (創元推理文庫版)

  • 横溝正史/惜春賦(横溝正史エッセイコレクション1)

  • 横溝正史読本 小林信彦・編集(角川文庫版)

  • 水谷準 記憶の断層(アンドロギュノスの裔/薔薇十字社版)

  • 水谷準/新青年昭和5年1月1日 (J・M・)

  • 水谷準/渡邊溫君の死、戸崎町風土記(新青年昭和5年4月1日(昭和5年3月1日印刷納本)11巻5号)

  • 竹中英太郎 新青年昭和五年四月号 P173 (葛山二郎/霧の夜道の挿絵)

  • 小泉淑夫/「渡邊溫君の死」を悼む(三田文学昭和5年4月号)

  • 長谷川修二/愁ひ顏の騎士 ――渡邊溫の思出――(猟奇 昭和5年5月)

  • 長谷川修二/渡辺温ちゃんの事 「日本探偵作家クラプ会報」(昭和三十七年六月一日発行)

  • 室伏高信/孤独な人々

  • 岡戸武平/溫ちやんの事ども(猟奇 昭和5年3月)

  • 岡戸武平/博文館の侍たち・2 渡辺温ちゃんの死(幻影城1976年8月号 P69,P71-75)

  • 岡戸武平/幻の探偵作家を求めて「蠢く触手」の影武者・岡戸武平(インタビュー):鮎川哲也著

  • 城昌幸/「横溝編集長の頃」 (幻影城増刊 1976.№18 「横溝正史の世界」)

  • 宮田新八郎/渡辺温のお通夜(「日本探偵作家クラプ会報」(昭和三十七年六月一日発行))

  • 及川道子/「いばらの道」 154−158P

  • 小松史生子/鴉の記憶——訪問インタビュー印象記——(創元推理21 P151)

  • 岩崎昶 「映画が若かったとき : 明治・大正・昭和三代の記憶」https://dl.ndl.go.jp/pid/12437280

  • 渡辺啓助さんに聞く(聞書抄121P)

  • 渡辺啓助インタビュー「渡辺温」 (こんな探偵小説が読みたい/鮎川哲也 P78,79,P82,P83)

  • 渡辺啓助/鴉白書(9-10P)

  • ネ・メ・ク・モ・ア 渡邊啓助年表

  • 新青年昭和5年6月号 目次

  • 清水俊二/映画字幕五十年 P35-36,42,45-49

  • 乾信一郎/新青年の頃 P24,こうして私は編集部員になった, 「武州公秘話」秘話

  • 柴田勇一郎/コント作家 渡辺温 /同行二人

  • 渡辺温/年表 アンドロギュノスの裔(薔薇十字社) 島崎博編

  • 水谷準論文:http://mizutani.s41.xrea.com/02_01.html

  • 日本映画事業総覧 昭和5年版 / 国際映画通信社 編 https://dl.ndl.go.jp/pid/1225247

  • 岡田時彦/渡邊溫君のこと(猟奇 昭和5年5月号)

  • 岡田時彦 著『春秋満保魯志草紙』,前衛書房,昭和3. 12/25發行https://dl.ndl.go.jp/pid/1177526)

  • 雑誌「新青年」総目次http://yagi.la.coocan.jp/ssd/ssd_indx_top.html (新青年昭和2年の目次を参照した)

  • 新青年昭和6年10月号目次:http://yagi.la.coocan.jp/ssd/indeximage/S6-13.pdf 

  • 新青年昭和4年1月号 わ゙あにちいふえいあ P286

  • 新青年昭和5年3月号 4月号広告、P86、巻末

  • 庚寅新誌社 交益社 博文館 三社合同 昭和四年五月 第四一五號 公認汽車汽舩旅行案内 株式會社旅行案内社發行 ・水濱線 ・常磐線
    P16,17,33,42【ト】,43,53【チ】,59【ヌ】

  • 渡辺啓助/渡辺温のこと(推理小説研究9号/昭和46年5月30日)

  • 旭町の今昔(昭和62年11月1日刊行) 日立市老人クラブあさひ睦会

  • 東京府立第一中學校創立五十年始(昭和4年10月発行)

  • 野口孝一/銀座ハイカラ女性史

W.W.W.
・渡辺温から母への手紙/昭和四年八月二十九日26P
・小堀史朗「茨城縣助河町海岸 渡辺温」宛てハガキ
・中川潤子(渡邊啓助・長女) 三人の帽子 44P
・森下時男/渡辺温氏のこと
・昭和五年二月十日 渡辺温供物申受帳92-93P
・昭和6年3月10日 渡辺温君を偲ぶ会 92-93p
・昭和11年 渡辺温七回忌の色紙。W.W.W.(89-91P)
・堀経道「渡辺温七回忌色紙」
・荒木十三郎「渡辺温七回忌色紙」

Wikipedia

Googlemap

  • 三宮→栄町の距離

  • 岡本〜中書島の距離

  • 栄町→大師踏切の距離

  • 岡本駅→梅林公園
    等、移動距離の確認は全てgoogle mapで行いました。

    Yahoo!乗換案内

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