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高村光太郎『書について』

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


「書とは何か」問題


書とは何か、書道とは何か。

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お字書き道TALKSでは、日本における書道やそれを取り巻く環境などを、折に触れて様々な観点から考察しています。

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書壇が書道研究として主に力を入れているのは、「中国古典(楷・行・草・篆・隷問わず)」と「平安時代のかな」
世間的に流行っているのは、どデカい文字を観衆の前で書く「パフォーマンス書道」か「美文字」

そこには、「現代のふつうの書道」が抜け落ちてしまっているのではないか。(まあこれを定義するのも難儀だけれど)
また、芸術・美術としての評価があまりにも曖昧な状態なのではないか。もっと論考、特に他分野からの批評などが必要なのではないか、と筆者は考えています。

その意味で、小山と岡倉の所謂『書ハ美術ナラズ』論争は150年を経た現在でさえも語られる価値のあるものと思います。

とにかく、「書とは何か」という問いに役立ちそうなものは何でも取り上げておきたい。今回は、高村光太郎『書について』という文章を取り上げます。


高村光太郎という人


生没年:1883年(明治16年) -1956年(昭和31年)73歳没
明治前期~昭和後期

肩書:詩人・歌人・彫刻家・画家
ニューヨークへの留学経験もあり、翻訳家としても活躍
書家として紹介はされないが、能書家でもあった

本名:高村光太郎(たかむらみつたろう)

学歴:東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科
東京生まれ、父は彫刻家・高村光雲(初期の東京美術学校の教官も務めた)
智恵子は画家、弟は鋳金家、甥は写真家と芸術一家

同年代の作家:武者小路実篤(1885-1976年)、北原白秋(1885-1942年)、与謝野晶子(1878-1942年)、石川啄木(1886-1912年)など
※『書ハ美術ナラズ』論争は1882年
※言文一致は1887年頃(『浮雲』二葉亭四迷)から

代表作
『道程』(僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る・・)
『智恵子抄』(妻・智恵子の結婚前~死後までのことを書いた詩集)

『乙女の像』青森県十和田湖畔
『柘榴』1924年 個人蔵
『手』1918年頃 個人蔵

父譲りの彫刻の技術、そして、日本文学史にも名を残し、後世の教科書にも載るほどの文筆力。2刀流、いや多刀流とも言える、天才的な才能を持つ人物だったと言えます。


高村光太郎『書について』

青空文庫 底本:「昭和文学全集第4巻」小学館

この頃は書道がひどく流行して来て、世の中に悪筆が横行している。なまじっか習った能筆風な無性格の書や、擬態の書や、逆にわざわざ稚拙をたくんだ、ずるいとぼけた書などが随分目につく。

   一

絶えて久しい知人からなつかしい手紙をもらったところが、以前知っていたその人の字とは思えないほど古法帖めいた書体に改まっている、うまいけれどもつまらない手紙の字なのに驚くような事も時々ある。しかしこれはその人としての過程の時期であって、やがてはその習字臭を超脱した自己の字にまで抜け出る事だろうと考えてみずから慰めるのが常である。やはり書は習うに越した事はなく、もともと書というものが人工に起原を発し、伝統の重畳性にその美の大半をかけているものなので、生れたままの自然発生的の書にはどうしても深さが無く、その存在が脆弱で、甚だ味気ないものである。

   二

この生れたままの自然発生的な書というものにもいろいろあって、生れながらに筆硯的感覚を多分に持っている人のは、或る点まで立派に書格を保有し、無邪気で、自然で、いい加減な習字先生のよりも遥に優れたものとなる。そういう例は支那人よりも日本人に多く、いつの間にか、性格まる出しの、まねてまねられない、或は奇逸の、或は平明清澄の妙境に進み入り、殊に老年にでもなると、おのずから一種の気品が備わって来て、慾も得もない佳い字を書くようになる。
そういう佳品を目にするのはたのしいものであるが、さればといって、此を伝統の骨格を持ち、鍛冶の効をつんで厳然とした規格の地盤に根を張った逸品の前に持ち出すと、やっぱり免れ難い弱さがあり、浅さがあり、何となく見劣りのするものである。人工から起ったものは何処までも人工の道を究めつくすのが本当であり、それには人工累積の美を突破しなければならないのである。生れながらに筆硯的感覚を持っている人のですらそうであるから、もともとそういう性来を持たない者の強引の書となると多くは俗臭に堕する傾がある。意地ばかりで出来た字、神経ばかりで出来た字、或は又逆に無神経ばかりで出来た字、ぐうたらばかりで出来た字が生れる。世の中にはなかなかそういう書が幅をきかせている。私などもその一人であるが、これではならぬと思ってつとめて天下の劇跡に眼を曝さらすことにしているのである。

   三

書はもとより造型的のものであるから、その根本原理として造型芸術共通の公理を持つ。比例均衡の制約。筆触の生理的心理的統整。布置構造のメカニズム。感覚的意識伝達としての知性的デフォルマシヨン。すべてそういうものが基礎となってその上に美が成り立つ。そういうものを無視しては書が存在し得ない。書を究めるという事は造型意識を養うことであり、この世の造型美に眼を開くことである。書が真に分かれば、絵画も彫刻も建築も分かる筈であり、文章の構成、生活の機構にもおのずから通じて来ねばならない。書だけ分かって他のものは分からないというのは分かりかたが浅いに外なるまい。書がその人の人となりを語るということも、その人の人としての分かりかたが書に反映するからであろう。
顔真卿はまったくその書のように人生の造型機構に通達した偉人であり、晩年逆徒李希烈に殺されるのを予あらかじめ知って、しかも従容として運命の迫るのを直視していた其の態度の美が彼の比類無い行草の藁書類に歴々と見られる。斯の如き書を書くものは正に斯の如き心眼ある人物である。後年の名筆であってしかも天真さに欠け、一点柔媚の色気とエゴイズムのかげとを持つ趙子昂の人物などと思い比べると尚更はっきり此事がわかる。書を学ぶのはすなわち造型美の最も端的なるものを学ぶ事であり、ただ字がうまくなる勉強だけでは決してない。お手本や師伝のままを無神経にくり返してただ手際よく毛孔の無いような字を書いているのが世上に滔々たる書匠である。

   四

漢魏六朝の碑碣の美はまことに深淵のように怖ろしく、又実にゆたかに意匠の妙を尽している。しかし其は筆跡の忠実な翻刻というよりも、筆と刀との合作と見るべきものがなかなか多く、当時の石工の技能はよほど進んでいたものと見え、石工も亦立派な書家の一部であり、丁度日本の浮世絵に於ける木版師のような位置を持っていたものであろう。それゆえ、古拓をただ徒らに肉筆で模し、殊に其の欠磨のあとの感じまで、ぶるぶる書きに書くようになっては却って俗臭堪えがたいものになる。今日所謂六朝風の書家の多くの書が看板字だけの気品しか持たないのは、もともと模すべからざるものを模し、毛筆の自性を殺してひたすら効果ばかりをねらう態度の卑さから来るのである。そういう書を書くものの書などを見ると、ばかばかしい程無神経な俗書であるのが常である。最も高雅なものから最も低俗なものが生れるのは、仏の側に生臭坊主がいるのと同じ通理だ。かかる古碑碣ひけつの美はただ眼福として朝夕之に親しみ、書の淵源を探る途として之を究めるのがいいのである。

   五

 羲之の書と称せられているものは、なるほど多くの人の言う通り清和醇粋である。偏せず、激せず、大空のようにひろく、のびのびとしていてつつましく、しかもその造型機構の妙は一点一画の歪みにまで行き届いている。書体に独創が多く、その独創が皆普遍性を持っているところを見ると、よほど優れた良識を具えていた人物と思われる。右軍の癖というものが考えられず、実に我は法なりという権威と正中性とがある。献之になるともう偏る。恐るべき力量は十分ありながら、父の持っていたような天空海闊の気宇に欠ける。それ以後の百星に至っては、おのおの独自の美を創り出していて歴代の壮観ではあるが、それぞれ少しずつ末梢的なものを持っている。

   六

書はあたり前と見えるのがよいと思う。無理と無駄との無いのがいいと思う。力が内にこもっていて騒がないのがいいと思う。悪筆は大抵余計な努力をしている。そんなに力を入れないでいいのにむやみにはねたり、伸ばしたり、ぐるぐる面倒なことをしたりする。良寛のような立派な書をまねて、わざと金釘流に書いてみたりもする。書道興って悪筆天下に満ちるの観があるので自戒のため此を書きつけて置く。


顔真卿(がんしんけい 709‐785年)
唐の四大家のひとり。それまでの王羲之風から脱却した顔法を打ち立てた
李 希烈(りきれつ ??‐785年)
唐に対し反乱を起こし、顔真卿を殺した人物
趙子昂(ちょうしこう/ちょうすごう 1254-1322年)
趙孟頫(ちょうもうふ)が名。子昂は字。政治家・文人・画家・書家
王羲之(おうぎし 303- 361年)
書の芸術性を確立したと言われる書聖
王献之(おうけんし 344- 386年)
王羲之の七男。父とともに能書家として名を成した
漢魏六朝(紀元前3世紀頃~6世紀頃)
張猛龍碑(ちょうもうりょうひ)』等、多数の石碑に彫られた書がある

この文章に感銘を受けて書いたタケウチ拙作


高村光太郎の書


高村光太郎は、その肩書として「書家」とは言われませんが、自身も書を学び多くの良書を残しています。

『美は力なり』
『うつくしきものみつ』
『般若心経』1923年
『書の深淵』二玄社


高村光太郎自身は「彫刻家」としての自認だったようですが、偉人・高村光太郎の語る「書」、また書く「書」はとても興味深いものがあります。

『書の深淵』についても先ほど購入しましたので、またご紹介できたらと思います。



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