「日展」ってなに??~日展に書道はなかった/日展は書道の最高峰?~
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日展、にってん。
言葉はよく耳にするのだけれど、一体「日展」とは何なのか?

今回は「日展」の書道部門を中心にお話いたします。
この話のYoutube版はこちら↓↓
日展とは
日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書
の五つの部門からなる総合美術展(大規模公募展)
※正式名称は「日本美術展覧会」
※「工芸美術」は、実用品に美しさや装飾性を加えた作品。陶磁器、漆、染色、彫金など
全国各地から、10代~100歳超えの方まで、誰でも応募可能。
厳しい審査を経て、選ばれた作品が陳列される
(入選作品+日展会員作品で約3,000点)
▼日展における書道作品は圧倒的に多い
日展の応募総数は約1万1千点。うち書の応募数は8500点超え。8割近く!
入選作品約3000点のうち、書作品が約1000点。
書の入選率は11~13%程度(年によって異なる)
【開催場所】国立新美術館
※東京の展示終了後、全国の主要都市(京都、名古屋、神戸、金沢、富山など)を巡回
※初開催から99年間は上野の東京都美術館で行われていた
【開催時期】毎年11月
【チケット料金】一般 1,400円/学生 無料/中学生以下 無料
【出品料】12000円(作品の種類(部門)に関わらず一律)

来場者数は、ひと月で16~18万人ほど。
東京ドーム(収容約55,000人)なら 約3回分。フジロックは3日間で12~15万人、大阪万博の会期後半では1日で15万人前後。
会期の長さや会場規模など違いますが、日展来場数もかなり多い数だと思います。
日展の歴史
鎖国をしていた江戸時代。開国し、西洋に追い付け追い越せという気運が高まりました。政府は西洋諸国がそうであったように、国を上げて芸術を奨励し、1887(明治20)年には日本美術協会(龍池会が前身(1879年設立))を創設。絵画等の美術品の展覧会を行っていました。
この流れから美術界では、各流派を一堂に会した一大展覧会を催したいと考え、文部大臣・牧野伸顕(1861-1949年)を中心として念願の公設展(文展)に漕ぎつけました。
ここからの名称変更が目まぐるしい・・・!
1907(明治40)年 第1回文展(12回まで)
・政府主催(文部省)の官展(正式には「文部省美術展覧会」)
・日本画・西洋画・彫刻の3部門
1919(大正8)年 第1回帝展(15回まで)
・美術界のごたごた(派閥争い、審査員紛糾など)により、文展(文部省美術展覧会)が帝展(帝国美術院展覧会)へ(文部省の管轄下に帝国美術院新設)
1927(昭和2)年 第8回帝展
・日本画・西洋画・彫刻に美術工芸が加わる
1936(昭和11)年 改組第1回帝展
・再びごたごた(派閥争い、審査不透明など)により、審査制度や運営体制の見直しが行われる
1937(昭和12)年 第1回新文展(6回まで)
・再度根本的な制度刷新を行うべく「帝国美術院」を廃止⇒「帝国芸術院」へ。美術奨励の原点に立ち戻るべく「新文展」として再出発
1944(昭和19年) 戦時特別展
・戦意高揚や国民精神の鼓舞を目的とした作品が中心
・翌1945年は戦況悪化により展覧会自体が中止
1946(昭和21)年 第1回日展(11回まで)
・戦後「日展(日本美術展覧会)」として再スタート。
・翌1947年には「日本芸術院」が文科省に変わり、開催母体となる
1948(昭和23)年 第4回日展
・日本画・西洋画・彫刻・美術工芸に書道が加わる
1969(昭和44)年 改組第1回日展(45回まで)
・組織体制・審査制度・部門構成などを大幅に見直し
・翌1970年には名所から「改組」が削除
2012(平成24)年 第44回日展
・内閣府より公益社団法人への移行。団体名称を「公益社団法人日展」へ変更
・国家主導から民間主導へ
2014(平成26)年 改組 新 第1回日展(令和7年で12回目)
・公益社団法人による組織改革のため、再スタート
・2021年(令和3)年には名称から「改組新」が削除
波乱万丈・・・笑 名前が紆余曲折、そして改組に次ぐ改組。
美術の世界は、思想や感性、時代性によって価値が決まるもの。数字で計れるものではなく確固たる審査の定量化は困難と言えます。
加えて、日本国を上げて美術を奨励するという大義名分によって、入選ともなれば価値ある名誉も付与される。そのため派閥・権威といった力に流れやすくなるのも分かります。
言い方悪いかもしれませんが、腐っては浄化し、腐っては浄化し、何とか長きにわたり(今年で110年間)運営している美術展なのかもしれません。
書道はなぜ日展に長らく無かったのか
日展が始まる前のこと。国家を上げて芸術を奨励していたことから、国内で「内国勧業博覧会」が開催されます。
論文(「なぜ近代日本では「書は美術ならず」なのかー官設美術展における書と美術の乖離ー」蘇浩)にもありますが、明治時代のこの頃、西洋化「脱亜入欧」を目指していた日本は、大まかに言えば、殖産興業や文化戦略の一環として美術制度を形成していました。
全5回の「内国勧業博覧会」を経て、書は格下げ、挙げ句排除されることとなりました。
▼「内国勧業博覧会」における書の位置づけ
明治時代に日本政府が主催した国内産業振興のための大規模博覧会
1877~1903年まで全5回開催
1877(明治10)年 第一回 美術部門の第2類「書画」
1881(明治14)年 第二回 美術部門の第3類「書画」
1890(明治23)年 第三回 美術部門第5類「版、写真及書」
1895(明治28)年 第四回 美術部門第5類「版、写真及書」
1903(明治36)年 第五回 「書」部門はなくなる
「書の独立/確立」というよりは、美術から切り離されたイメージ
事実、絵画は第一類、書は第五類の其三(最下位)とされた
格下げされた挙げ句、書は排除された
この流れは、1882(明治15)年の小山正太郎の論文「書ハ美術ナラズ」の影響が少なからずあるのでは。
1877(明治10)年 第一回内国勧業博覧会
書は「書画」の分野
1878(明治11)年 龍池会設立
1882(明治15)年『書ハ美術ナラズ』論争
1887(明治20)年 日本美術協会設立
1890(明治23)年 第三回内国勧業博覧会
書部門の格下げ
1903(明治36)年 第五回内国勧業博覧会
書部門なくなる
1907(明治40) 年「文展」開始
書部門なし
書は日本語や中国語を書き表す文字。もちろん外国人は日本の文字は分からず、書は相当ドメスティックなものと言わざるを得ません。
国外へ出したときに、西洋の美術概念(書はそもそもないから物差し自体がない)に基づいて評価されるようなものを「美術」としなければ・・・
そういう意味で、書は国家を上げる美術としての戦略において重要視されなかったのです。
決して、幕末~明治の頃に書が下火になっていたという理由ではありません。むしろ明治の三筆(日下部鳴鶴、巌谷一六、中林梧竹)が生まれ、様々な書道団体が勃興するほど、書道自体は栄えていました。
「書ハ美術ナラズ」論争にも、かつての日展(文展/帝展)に、当の書道家が関わっていたという話は耳にしません。これは推測するに、「書道は東洋のもの。西洋の価値観などで到底図れるものではない」という書家たちの静かな西洋化への反抗であったとも取れます。
書道が日展に追加されたのは戦後
そして戦後。抽象表現主義(1940年代後半)と書道の前衛が出会う頃。書道は世界と初めて対峙できるかもと夢想したのではないでしょうか。今こそ、海外と戦える書を日展に入れるべき・・・!
また保守的な書道団体の動きもあり、1948年、晴れて「日展」へ書道部門の追加が決まりました。当初は伝統派から現代派(前衛派)の沢山の書家が参加しました。
しかしながらまたもや問題が・・・
前衛や現代アートとして有名な上田桑鳩(1899-1968年)の『愛』は評価されず、大澤雅休(1890年-1953年)の『黒岳黒谿』に至っては展示を拒否されたのだとか。


その結果、前衛系の書道家は日展を去り、日展の書道部門は伝統的な作品を重んじる傾向を今も持ち続けています。
日展・書道部門のスキャンダル
2013年、朝日新聞によりすっぱ抜かれた記事を覚えている方はいらっしゃるでしょうか。
書道会の重鎮である日展顧問(89)の指示により、「有力8会派に入選数を事前に割り振る不正が行われていた」
8会派に所属していない人たちはひとりも入選しなかった
階級があがるほど弟子からの「上納金」が増える仕組み
出品して入選するには、絵を購入しなくてはいけない など

その後、書道界について調査されているジャーナリスト前原進之介さんという方が「プレジデントオンライン」に寄稿された記事もありました↓↓
誰でも応募できる、公正で厳正な審査と謳う日展の中で、このような不正が明るみに出ました。このことにより翌年45年ぶりの改組が行われることとなりました。
今も入選は特定団体の人が圧倒的多数
再び不正が起きないよう改組が行われた日展。しかし現在でも、入選者・特選受賞者は非常に偏った団体の人たちだと言われています。
上の調査記事によれば、入選者の85%は、読売書法会の中核をなす日本書芸院と謙慎書道会の会員。もちろんこれらの会派の人たちの実力が圧倒的であるから、と言われればそれまでですが・・・。(見る人が見れば、疑問のある審査のようにも思います)
ここからは筆者の邪推ですが、日展も今後の存続は潤沢運営とはいかなくなると思います。だから現在も多くの出品者を保証してくれる団体には手厚くしておきたい・・・審査員がそれらの会派の人などの理由もあるかと思いますが、日展存続の理由も大きいのではないかなと思います。
やっぱり日展に入選するのは名誉なこと
ここまで色々と言ってきましたが、日展は伝統書道の分野において最高峰の展覧会、コンクールであることもまた事実です。膨大な作品点数の中から入選するのは至難。入選すれば「日展作家」なんて呼ばれて尊敬の対象になることも確か。
コンクールに出品するのだから勝つことは大事。(でなければ出さない方が良い)入選することは紛れもなくおめでたいことです。
皆さんも今年は11月に国立新美術館に足を運んでみては。

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