毘沙門天と徳川家康|『江戸名所図会』に紹介された、広尾のパワースポットです。
江戸名所図会は、江戸時代の観光ガイドブックです。その中に、広尾の多聞山天現寺が紹介されています。
はじめに
江戸時代後期に刊行された、江戸とその近郊の名所案内です。名所の由来や歴史、祭礼、風俗などが、詳細に記述されています。長谷川雪旦による精密な挿絵が、豊富に盛り込まれています。
全7巻20冊からなり、神奈川・埼玉・千葉にわたる地域を網羅し、千を超える名所が収録されています。江戸時代の文化、風俗、生活を知る上で非常に貴重な資料として高く評価されています。
作者は、神田の町名主であった斎藤幸雄、斎藤幸孝、斎藤幸成(親子三代)によって、編纂されました。挿絵は、主に長谷川雪旦が担当しています。編纂は、寛政年間(1789-1801)に開始され、天保五年(1834)に前半の十冊、天保七年(1836)に後半の十冊が刊行されました。
表紙と目次
標題の添え書きを見ると、天現寺は第三巻の七に記載されているようです。そして、目次の最上段に「広尾毘沙門堂」記載があります。


祥雲寺
地下鉄広尾駅そばにある、天現寺と同宗(臨済宗大徳寺派)のお寺です。

広尾毘沙門堂
当時は、広尾の毘沙門堂と呼ばれていたようです。

解説ページ見開き中央の漢文部分は、徳川幕府の公文書『多聞山毘沙門天王之縁起』の記載がそのまま転記されています。

解説の前段
尊信まし安部摂津守信春に御預あり其後仙石因幡守
久信の家に伝へ又祥雲寺に収め竟に当寺を開創し始てこゝに安置せり
本尊米由の記ハ林学士信光先生の文章にして当寺の什宝なり
解説の中段
転記されている『多聞山毘沙門天王之縁起』の詳細は、次の記事に記載しています。
解説の後段
光孝天皇御陵石灯篭
毘沙門堂の前左の方にあり御斯石の灯篭にして甚ん
古雅よりいつれの頃にらありなん金森家より奇附ありしといふ
土筆か原
渋谷川の南の原をしか名くまた此辺を豊沢の里と
呼へり上中下にわかれて渋谷の地に属せり
驚森神明宮
同所相模殿橋より南の方田島町の右にあり別
当ハ天吉宗にして報恩寺兼帯す祭礼ハ五月廿八日なり相伝ふ
後冷泉院の御宇頼義朝臣東征瓠歌の時白旗を奴め祀るといふ
広尾原
広尾は、のどかな風景が広がっていたようです。

広尾水車
広尾川には、水車小屋があったようです。

おわりに
毘沙門堂の解説に紹介されている『多聞山毘沙門天王之縁起』と、その詳細内容等については、次の記事に記載しました。
天現寺のホームページ
