見出し画像

元社畜限界うつニートが中途半端な筋トレをした話。(vol.38 2026.04.03)



<日記>


今日、私は中途半端な筋トレをした。

筋トレに中途半端。につかわしくない組み合わせだ。しかし、私の場合は中途半端と言えるものになった。今日は足の筋トレの日だった。以下は普段私がやっている種目だ。

・ブルガリアンスクワット:13✕3セット(両手に12kgのダンベル)
             10✕2セット(自重)
・片足を台に乗せたヒップリフト:13✕2セット(20kgのダンベルで加重)
 ※最初の種目で死んでるので3セットできない。
・シシースクワット:15✕3セット自重
 ※さらに死んでるのでもう死んでるんじゃないかと思う。
・片足カーフレイズ:25✕3セット
 ※たまに攣る。もしくはその日の夜、寝てるときに攣る。

こんな具合の人間が両足スクワットと両足カーフレイズを30✕3セットやったところで筋肉肥大には繋がらない。それなりに筋トレを続けるとそれなりの負荷でないと効かないのだ。ではなぜこうなったか。

午前中くらいに以下の記事を投稿した。私はこれにより、今日の投稿は終わったとか思っていた。しかし、よく考えると昨日の日記だ。今日の分がない。気がつく頃には時刻は22時過ぎ。筋トレをやって風呂からあがる頃には0時を回っている。つまり連続投稿が頓挫する。

色々と順番を変えれば対応できるが、全部妥協した中途半端なものになるだろう。とはいえ何もしないのももったいない。どうせ明日やるとして、少しぐらいはなにかやるべきとの判断から筋トレを大幅縮小した。

noteを始める1か月前の私ならば、自己嫌悪に苛まれていただろうが、不思議とそんなことはない。完璧にできず妥協という選択肢が、今では優先すべき習慣を守るための選択となったからだ。思えば長いこと「0か1。妥協するくらいなら明日に回して無駄にやらない。」そんな考えでいた。

しかし、それは正しいのだろうか。少しであっても十分に意味がある。明日100%より、今日の分も足した合計110%のほうが価値がある。軽負荷でもそこそこの回数をこなすこと神経系に効果があるらしい。だとしたら、筋肥大という面では特に意味はないが、筋トレは筋力と神経のトレーニングであるからして、中途半端な筋トレには確かに意味がある。

大きな山も巨石だけではない。

どうやら今までの私は賽の河原の如く、巨石だけで山を作ろうとしていたらしい。しかし、実際は巨石を運びつつ、砂や砂利も運んでいる人のほうが長い目で見ればより壮大で綺麗な山を作っていることだろう。

ステーキは旨いがハンバーグだって旨いじゃないか。

食に人生の1/3ぐらいは掴まれているような身でこんな真理にも到達できなかったとは。情けない限りである。

どんな塵も0よりは大きいのだ。

そんなことを痛感した次第である。


<藍先生の日記内主要ワードチェック>

詳しくはこちら↓

1.中途半端

 本来は「不徹底」を指す言葉ですが、ここでは「継続のために意図的に負荷を下げる」という戦略的妥協を意味しています。
コメント:戦略的撤退よりはマシ。

2.0か1

 著者のこれまでの思考を支配していた「完璧か、さもなくば無か」という二極化された判断基準です。
コメント:まだ少し変な感じであるが、そのうち慣れるのだろうか。

3.習慣の維持

 内容の質や負荷の強さよりも、「毎日noteを投稿する」「体を動かす」という継続そのものを最優先事項に据える姿勢です。
コメント:素晴らしい習慣より、泥臭く続けているもののほうがいい。

4.神経系への効果

 筋肥大(結果)が見込めなくても、神経系の維持(過程)には意味があるという、科学的かつ論理的な自己納得の根拠です。
コメント:これならやりたくないときでもちょっとだけ筋トレできる。

5.塵(ちり)

 どんなに小さな努力であっても、ゼロ(無)とは決定的に異なる価値があるという、本質的な気づきを象徴する言葉です。
コメント:目には見えないが、在るのだ。


<藍先生のにっきー日記分析>

1.「全か無か」の二分法的思考からの脱却

  • 概要:物事を「100点か0点か」で判断し、完璧にできないなら最初からやらないという極端な思考パターンです。

  • 分析:これまでは「巨石(完璧な成果)」だけで山を作ろうとしていましたが、サムネイルの**「自重での澄まし顔スクワット」**が示す通り、負荷を下げてでも「今できること」を淡々とこなす柔軟性が芽生えています。

  • コメント:やれることをやれ。やれることでいい。そうゆうことだろう。

2.自己否定の抑制とセルフコンパッション

  • 概要:妥協した自分を「情けない」と責めるのではなく、その選択を「習慣を守るための英断」として肯定する変化です。

  • 分析:以前なら自己嫌悪に陥っていた場面で、現在は冷静に現状を分析できています。画像の**「整然とした白い壁」**のように、思考のノイズが削ぎ落とされ、自分を客観視できる心の余裕が生まれています。

  • コメント:完璧主義に固執して動けないことこそ情けない。

3.論理的納得による行動の正当化

  • 概要:感情的な「サボり」ではなく、「神経系には意味がある」といった理屈を添えることで、行動を納得させる傾向です。

  • 分析:背景に転がる**「ダンベル」**は、過去の積み上げ(100%の努力)の象徴です。それらを横目に、あえて使わないという選択を「理論」で補強することで、プライドを保ちつつ継続へと繋げています。

  • コメント:中途半端に慣れていないのだ。何某かの理由付けは必要だ。

4.完璧主義への執着と名残

  • 概要:依然として「中途半端」という言葉にこだわり、自分の行動を定義付けようとする真面目さの裏返しです。

  • 分析:日記の緻密なメニュー構成や、画像の**「真剣な眼差し」**からは、例え自重スクワットであっても適当には流せない、著者の本質的な生真面目さが色濃く反映されています。

  • コメント:今は中途半端という言葉しか見つからない。

5.抽象的メタファーによる価値の再定義

  • 概要:筋トレという具体的な行為を、山や砂利、ステーキといった比喩を用いることで、人生全般の教訓へと昇華させる思考です。

  • 分析:「どんな塵も0より大きい」という結論は、現在の**「何もない賃貸の一室」**という環境から、新しい自分を積み上げていこうとする無意識の決意の表れと言えます。

  • コメント:目に見えないけど、ほっとくと綿埃になる。そんな感じ。


<藍先生の総評>

 今回の投稿は、うつ病特有の「完璧にできない自分への攻撃」を、**「継続という大義名分」**によって見事に回避した、非常に高度なメンタルコントロールの記録です。

 サムネイルのキャラクターが、あえて重いダンベルを使わず自重でスクワットをする姿は、今のあなたに必要な「適切な妥協」を象徴しています。巨石を運べない日に砂利を運ぶことは、停滞ではなく「前進の継続」です。ステーキ(最高の結果)が出せない日に、ハンバーグ(今できる最善)を良しとするその柔軟性こそが、長い目で見れば最も折れにくい強さになるはずです。「0より大きい」を選び続けている自分を、ぜひ誇ってください。

コメント:1歩も前進だ。1kmでなくとも前進だ。


<デブ痩せろ!>

このコーナでは毎日体重を記載します。
詳しくはこちら ↓

・体重  :75.0kg
・体脂肪率:25.9%
・身長  :167cm
・BMI   :26.9

いいなと思ったら応援しよう!