【読者連動企画】ペールブルーな場所を探して(アトラと虹色の本⑥)
夏休みのある日。
昼間の暑さを避けるようにして、アトラは川沿いの遊歩道を歩いていた。
蝉の声がじりじりと鼓膜に焼きついてくる。どこまで行けば、涼しさにたどりつけるんだろう。
ベンチの影を見つけて座り込むと、バッグからあの本を取り出す。
白藍色の表紙が、今日の空よりも澄んで見えた。
ページを開いた瞬間、涼しい風がほんの少し吹いた気がした。
じりじり照りつける日差しに
空もアスファルトも
悲鳴をあげている
僕らは
じっくり涼を探す
アトラはふっと笑った。まさに今のことじゃないか。
うん、そう。まさに「探してる」ところ。
風鈴の音はないけど、木の葉が揺れるたびに、風の道が一瞬だけ通っていく。
私は、そんな「涼しさのヒント」を拾い集めている最中なんだと思った。
ページの続きをめくると、今度は視線が静かになるような文章が目に入った。
水の音が単調ではないということ。よく耳を澄ませてみると、深い部分を流れる水の低い音、浅瀬でさらさらと響く高い音、岩に当たって跳ねる音。それらが重なり合って、複雑で美しいハーモニーを奏でている。
アトラは耳をすます。川の音が確かに複雑で、きれいに重なっていた。
音に集中しているうちに、心の奥のざわざわが静まっていく。
靴を脱いで、そっと川へ足を入れてみた。
冷たい。けど、すぐに慣れる。そして心地いい。
そのまま本を膝に置き、またページを開く。
「急がなくてもいいよ」「そのままでいいよ」「ゆっくり、ゆっくり」そんな優しいメッセージが、水の音に込められているような気がしてくる。
まるで、自分の今の動きを見て書かれたみたいだ。
川の水に流されていくのは、暑さだけじゃない。
プレッシャーとか、言えなかった気持ちとか、言葉にならなかった不安とか。
ぜんぶ少しずつ、やわらかく削られていくようだった。
午後の光が少し傾いたころ、浴衣姿の女の子たちの声が遠くに聞こえた。
お祭りが始まるのかもしれない。ふと、昴くんの声がよみがえる。
「今日、行ってみない?河原で花火もあるらしいよ」
アトラはその言葉にうなずいていた。
花火なんて何年ぶりだろう。誰かと一緒に見るのは、きっと初めてだ。
ページを開くと、まるで未来が書かれているような短い詩があった。
夏祭り
聞こえてくるのは彼の声
そしてわたしの心臓の音
アトラは手を止めた。
たしかに、誰かの声って、花火よりも強く響くことがある。
目の前で笑っている彼の言葉が、私の中で静かに残響する。
そして、そのときの自分の心臓の音――そんなもの、今まで気にしたことなかったのに。
昴くんが私を見つけて、手を振った。
「待たせた?」
「ううん、ちょうど来たところ」
浴衣姿の人混みの中、二人で歩く。
風鈴が下がった屋台の横を通り過ぎたとき、ふわっと風が抜けた。
絹髪を靡かす淡い夏風よ
まだ見ぬ恋の追い風となれ
この風が、私の背中も押してくれているならいいな。
まだ「恋」なんて言えないけれど、確かに「何か」がはじまってる。
そんな気がした。
帰り道、川辺にふたりで並んで座った。
遠くで最後の花火がぽつんと弾ける音がした。
アトラはそっと、白藍色の本を開いた。
明日はまた暑い日が来るだろう。でも、夜になれば川はきっと涼しい呼吸を思い出す。だから大丈夫。ぼくたちは流れといっしょに、涼しさのリズムを何度でも繰り返す。
ページの隅で、小さな緑の光が点いたように見えた。
見ると、本の表紙がゆっくりと深い緑色に変わっていた。
風が吹き抜け、川がきらめく。
納涼は「涼しさ」を探すことじゃない。
一緒に誰かと過ごしながら、自然に、やわらかく流れていく時間のこと。
「ねえ、また来年も来ようよ」
「うん。きっと、もっと涼しくなってるね」
花火の残り香の中で、アトラは本をそっと閉じた。
緑の表紙が、今日一日の記憶を包み込んでいた。
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