【読者連動企画】スカイブルーな夏休み(アトラと虹色の本⑤)
夏休みに入って数日。朝からじりじりと陽が照っていた。
アトラは図書室から借りてきた本を、カーテン越しの淡い光の中でそっと開いた。表紙は、スカイブルー。夏空みたいな、まぶしい色。
だけどその青は、ひんやりとした静けさを内に秘めている気もした。
「何か書こうと思ってたのに、書けないな……」
ページの中に、ぽつりと書かれていた一節に目が留まる。
あれほど熱中していた「書くこと」への気持ちが、ふっと、急に遠くへいってしまった。
それはまるで、熱が引いたあとのような気だるさと、潮が引いたあとの海岸のような静けさを私にもたらしている。
なんだか、今の自分の気持ちそのままだった。
何かしなきゃって思ってたけど、そうじゃなくてもいいのかもしれない。
言葉が出ないときは、静かにしていてもいい。潮が戻ってくるのを待つみたいに。
午後になって、昴くんから連絡が来た。
「夕方、公園で花火しない?」と。
久しぶりに会う昴くんは、帽子の下で少し日に焼けていて、
アトラを見つけると、小さく手を振った。
二人で並んで線香花火に火をつける。火花の散る音と、虫の声。言葉はなかったけれど、それが心地よかった。

本を膝に乗せて、ふと目に入った詩を読む。
沈黙の中、ふたりの線香花火だけが勢いよく火花を飛ばす。
牡丹玉が落ちるまでの数秒。
緊張の時間。
ひどく長く感じる。
「……花火の最後のところ、ちょっとこわいよね」
アトラがぽつりと言うと、昴くんが小さくうなずいた。
「うん。なんか、終わる前って、時間が止まる」
火がぽとりと落ちた。暗がりの中、互いの顔は見えにくかったけど、
その静けさは、言葉よりも深く残った。
別の日。
プールに行った帰り道、昴くんが突然言った。
「僕たち、毎日泳いでるよな。空気の中で、だけど」
意味がよくわからなくて、アトラが笑うと、昴は言葉を継いだ。
「水じゃなくても、何かに必死で足を動かしてる気がする。うまく進めてるのか、わからなくても」
帰ってからその言葉を思い出して、アトラはまた本を開いた。
海から来たはずの僕たちは
なぜだか
いま
毎日を泳いでいる
……たしかに。泳いでるんだ、私も。うまくはないけど、もがきながら。
そしてある夕方。
風鈴が鳴る縁側で、アトラは冷たい麦茶を飲みながら、一人で本を読んでいた。
空は少しだけ色づき始めていて、蝉の声もかすかに遠くなっていた。
夏の雲を思えば
思い出の中でも
いつまでも溶けない
そびえるあの姿
光と蝉の声に包まれたあの日々
「そうだね……もう記憶になっていくんだね」
思い出は、気づいたときには胸に根を張っている。
この夏も、いつか思い出になる。でも、そう思えることが少しうれしかった。
ページを閉じたとき、ふと表紙の色が変わっていた。
スカイブルーだったはずのそれは、白藍色(しらあいいろ)になっていた。
真夏の暑さが少し和らいだみたいに、
心の中に、やわらかく冷たい風が吹き抜けたような気がした。
アトラは深く息を吸って、本を胸に抱いた。
言葉にできない時間。
静かにそばにいる誰か。
涼しい午後の白藍色。
今年の夏は、きっと特別なまま、胸に残り続ける。
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