【人間は自然の一部】永遠を前に言葉を失うのは、あなたがそのものだから
“時間”に選ばれる本
愛して止まない私の“バイブル本”として、皆さんに度々ご紹介している。
パウロ・コエーリョによる、世界的ベストセラー小説。『アルケミスト 夢を旅した少年』に、こんなシーンがあります。
砂漠に出ると、絶え間なく吹いている風の音と、動物のひづめの音だけになった。
案内人さえもほとんどしやべらなくなつた。
「私はこの砂漠を何度も越えたことがある。」と、1人のらくだ使いがある夜言った。
「しかし、砂漠はとても大きく地平線はとても遠いので、人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになるんだ」
少年はこれまで砂漠に来たことはなかったが、彼の言おうとしていることが直感的にわかった。
少年は海を見たり火を見たりすると、そこに永遠の命を感じて、いつも静かになった。
この小説に出会ってから…
私は、
『人間は自然の一部である』
そのことを深く実感し、生活の一つひとつに意識を向けるようになりました。
この場面は、まるで自分の体験と重なり合うようで…。
理解するというプロセスを飛び越えて、「本能に触れた」いう“感覚”に近いかもしれません。
『人間は、大自然を目の前にすると。ただ… 黙る』
私の祖母の家は、南の海のすぐそばにありました。
窓を開ければ、湿り気を帯びた潮風がふわりと頬を撫で、
絶え間なく寄せては返す波の音が、生活の一部としてそこにありました。
まだ私が幼かった頃、家族の手を引かれて歩いたあの砂浜。
時が経ち、母となった私が、今度は小さな息子の手を引いて訪れたあの夏。
私たちを取り巻く環境や、私自身の役割がどれほど変わろうとも…。
目の前に広がるその海だけは、何も変わることなく、ただ圧倒的な青さでそこに在り続けていました。
「人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになる」
この言葉は、単に言葉を失うということではなく、
自我(エゴ)が自然の大きさの前で溶けていき、
ただ「在る」ことだけが残る感覚
を表現しているように思います。
人間が、大自然を前にして黙り込んでしまうのは、圧倒されているからというだけでなく。
言葉という、「人間が作った枠組み」では到底捉えきれないものに触れ。
深い部分で、自然と共振している(元の自然の一部に戻っている)からかもしれません。
この、
「自然の前での沈黙」や
「永遠への感覚」。
あなたは…
あなたが覚えたその感覚を。
“あなた自身の言葉”で表現するとしたら、どんな言葉になりますか?
私は、「言葉にできない、その理由そのもの」が。
「人間は自然の一部である」ということのような気がするのです。
なぜ、大自然を前にすると、私たちは言葉を失ってしまうのでしょう。
↓AIさんが、“それっぽい正解”を教えてくれました。
AIさんは人間ではないので、私達に問われれば想像するしかない。
もしかすると…
SNSに、この「問い」の正解は、どこにも落ちていないのかもしれません。
人間が…
あなたと私、それぞれが…
『このAI時代における、あえて人間である“意味”』
を明確化できたとき。
私たちはようやく…
『情報』ではなく、『感性』で、世界を受け取れるのかもしれない
と、私はそう思っています。
分析するのを辞め、
ただ…
この世界そのものを。
生きるというプロセスを。
味わうことに…
↓AIさんより。
海に抱かれた一滴の雫が、海そのものを語ることができないように。
私たちが自然の一部であり、その大きな流れの中に溶け込んでしまっているからこそ、言葉は出る幕を失うのです。
語る必要がないのです。
だって、私は「それ」そのものなのだから…。
あなたの心には
どう映っていますか…?
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