『シン読解力』あらすじと感想~シン読解力は学校や職場の救世主になるか?衝撃の一冊!
『シン読解力』とは

さて、皆さんは上の問題が解けたでしょうか。
簡単すぎる?
ですがこの問題の中学生の正答率はなんと57%。調査数857人の約半数がこの問題を解くことができなかったのです。これは衝撃的ですよね。
なぜ多くの中学生がこの問題を解くことができなかったのか、そのカギとなるのが本書タイトルにもあります「シン読解力」になります。この「シン読解力」とは何かと言いますと次のようにまとめられています。
ここで言う「読解力」とは、国語や読書の際に用いられる一般的にイメージされる読解力ではなく、「教科書を正確に読み解く力」を指す。そこで著者はこれを「シン読解力」と名づけた。
シン読解力を測るリーディングスキルテスト(RST)の受検者は50万人を超え、そのデータから様々な事実がわかってきた。
・誰もが読めるはずの教科書が読めていない子どもたちがいかに多いか。
・子どもだけでなく、実は大人も教科書や新聞が読めていない。
・シン読解力と学力には強い相関がある。
・シン読解力が低いとビジネスにも支障をきたす。
・シン読解力は学校では教えてくれない。
・シン読解力は国語や読書では身につかない。
・シン読解力はスキルであり、トレーニングによって年齢を問わず身につけることができる。
この引用もかなりショッキングですよね。先程の問題も中学生だけでなく大人もかなり間違えていたのです。しかも「シン読解力」が低いとビジネスにも支障をきたすというのです。
ただ、これには皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか。
仕事をしていて、なぜあの人はこんな間違いを繰り返すのか、なぜ言ったことが伝わらないのか、やる気がないのだろうかといった場面ですね。
ですがこれがもしその人の性格ではなく、「シン読解力」の問題だったらどうでしょう。「シン読解力」がないが故に信じられないミスが起きているとしたら・・・。
これは私達が仕事をする上でも非常に重要な問題です。日本の仕事の生産性の低さはよく指摘されますが、「シン読解力」を鍛えればそれが改善されるかもしれません。
そして何より、自分自身の心の安全にも繋がります。これについては後ほど改めてお話ししますが、私自身この本に助けられた体験があります。「シン読解力」は私達の心を守る大きな智慧となってくれます。これは学生、社会人問わずぜひおすすめしたいです。
では、これより本文を読みながら実際に「シン読解力」について見ていくことにしましょう。
「本を読めば読解力がつく」は幻想?
ここから本文を引用しながら「シン読解力」について見ていくのでありますが、その前にもう1問本書掲載のRST(リーディングスキルテスト)問題を解いて見たいと思います。
Q 次の文を読みなさい。
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは( )である。
①ヒンドゥー教 ②キリスト教 ③イスラム教 ④仏教
いかがでしょうか。
この問題を解くためには知識は必要とされていません。このように、RST問題は「書かれていることをしっかり読めているかどうか」を判断する問題となっています。
ちなみに答えは②のキリスト教です。中高生だけでなく大人も含めた正答率は62.7%。なんと3人に1人はこの問題を正解できていないことになります。
この結果をふまえて著者の言葉を聞いていきましょう。
RSTは「誰でも読めばわかるはずの文章」を「読むカ」を測るためのテストです。もっと言えば、「教科書を読むカ」を測るテストです。もう少し厳密に言うと、「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を「自力で読み解けるカ」です。
自己完結的な文書とは、「新しく使う用語を導入する際に、定義と例が書かれており、すべての主張にその根拠が書かれている」、そして「解釈がひとつ(一意)に定まる」ように書かれた文書です。代表的なのが教科書や辞書や事典、新聞記事などの記述です。
一方で、RSTは文学作品や評論をテストの対象としません。文学は「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」ではないからです。太宰治の『走れメロス』が、知識を伝達する目的で書かれた文章だと考える人はどこにもいないと思います。それが、RSTの測定対象から文学を外した理由です。
ところが、「読解力」という言葉を強調してしまったこと、文学や評論を題材から外したことで、RSTは思わぬ誤解を、特に学校関係の方々から、受けることになってしまいました。
私が「AI時代にこそ読解力が重要だ」と強調すればするほど、「国語教育が重要」、「読書が学力の鍵になる」という〝誤解〟が広がりました。RSTの読解対象から文学作品や評論を外していたにもかかわらずです。
2018年に書き下ろした『AI vs.教科書が読めない子どもたち』の中で、RSTが測定する「読解カ」と読書量には相関が見られない、つまり、読書量とRSTが測る読解カは無関係であることを報告していたのですが、そこのところはよく伝わりませんでした。
また、文学や評論を「読解」の対象から外してしまったことで、少なくない国語の先生方からは、従来の国語教育を否定しているかのような誤解を受けてしまいました。「解釈が一意に決まるはずの文書を多くの人が読めていない」可能性が高いという、これまで知られていなかった事実を、エビデンスに基づいてお伝えしたかったのですが、思わぬ受け取られ方をされてしまったのは、とても残念なことでした。
こうした〝誤解〟を受けたことで、言葉の持つイメージの力を改めて実感しました。私は「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を読み解く力という意味で「読解カ」という言葉を使ったのですが、「読解カ」という言葉が独り歩きしてしまい、ほかの人には違ったイメージや意味で捉えられてしまう可能性があることを実感したのです。
この苦い経験は、新しい考えを表現するためには、新しい言葉や形式が必要であることを私に痛感させました。「新しい酒は、新しい革袋に盛れ」と新約聖書が戒めるとおりでした。だから、RSTが測る力を「シン読解カ」と呼ぶことにしたのです。
この箇所は私も読んでいて唸らざるをえませんでした。
と言いますのも私は2年前から地元の短期大学の非常勤講師を務めているのですが、まさにこの読書と読解力の関係こそ私が危惧していたものだったからです。
私は学生に読書をするように勧めてはいるのですが、本は読み方次第ではかえって知識を狭め、陰謀論や極端な思考に走ってしまう危険性があります。これを乗り越えるためにどのように本を読めばいいのか、その読み方を何とか伝えることができないかと私は悩んでいたのでありました。
そんな中著者が提唱する「シン読解力」はまさにこの問題の核心を言い当てたものでありました。そこに書かれてあることを読み解けない人が多々いるのです。
上の引用でも学校の先生が著者の言う「読解力」の定義を読み取れていなかったというのは象徴的ですよね。これは大人も子供も関係ないのです。
また、『走れメロス』のような文学作品はたしかに面白いですが、こうした文学作品をいくら読んでいても「シン読解力」は身につかないというのは非常に重要なポイントです。本を読みさえすれば読解力が身につくというのは幻想だったのです。
では私達はどうすればよいのでしょうか。本をいくら読んでも「シン読解力」がつかないならば何をしろと?
まあ、ここは結論を急がず引き続き著者の言葉を聞いていくことにしましょう。
「文章を読める」のは才能や人柄ではなくスキル
ではなぜAIが席巻するこの現代に、「シン読解カ」が必要なのでしょうか。
「シン読解カ」をつける必要があるのは、学校で学ぶ子どもたちだけではありません。テクノロジーが日進月歩で革新を続ける現代は、誰もが学び続けることを求められます。これまでもビジネスパーソンは、グローバル化すれば英語を、IT化の波が押し寄せればITスキルを、会社から補助を受けつつリスキリングしてきました。
しかし、今、進行しつつあるテクノロジーの進歩のスピードは猛烈で、研修の繰り返しでついていけるほどのんびりしてはいません。一方で、変化に対応するために学ぶべきスキルや知識に関するコンテンツは、ネット上にいくらでも無償提供されています。そのような社会で人間に求められるのは、「自力で学び続けられるスキル」です。そして、学び続けられるスキルの基盤となるのが「シン読解カ」なのです。
もうひとつ、シン読解力が必要な理由があります。ホワイトカラーの仕事の仕方やメディアの在り方がこの20年で大きく変わったからです。
活字離れと言われますが、実際は私たちが1日に読む文字数は以前に比べて明らかに増えています。SNSだけがその理由ではありません。仕事上のやりとりが、電話や対面からメールや添付ファイルに置き代わったからです。
それと同時に、誰もが文書の生産者になることを期待されます。やりとりされる文章の大半は説明文です。高度経済成長の時代には、そのような能力はエリートの一部にしか求められませんでした。ところが、メールの普及によって、ホワイトカラーであれば誰であろうと等しく、その能力を求められるようになりました。怒涛のように流れてくる説明文を正確に読みこなし、それに文書で返答し、報告書や提案書を生産することが、当然のように期待されるようになったのです。
話をさらにやっかいにした生成AIの台頭です。生成AIは、説明文を読み書きするのが苦手な人々の福音になるかと思いきや、そうではありませんでした。前章でお伝えしたように、現状の生成AIは呼吸をするようにウソをつきます。そのウソは、生成AIの基本設計から考えて不可避だと言っていいでしょう。ということは、ホワイトカラーが生成AIを相棒として生産性を向上させようと思ったら、少なくとも生成AIの出力を読み、それを裏づける資料や文章を読みこなす能力は必須になります。そして生成AIの出カ、検索した先のドキュメントのほとんどが「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」なのです。それらを「自力で読み解く」ことができないと、生成AIを使うことで生産性がかえって下がる懸念さえあります。
たしかにその通り。私達は活字離れといいつつも日々膨大な量の文章を処理しています。仕事における「ホウレンソウ」ということもよく言われますが、仕事の報告や相談も「シン読解力」がなければうまくいかないのも当然です。
また後半のAIの話については本書前半で詳しく解説されていますのでそちらを参照頂きたいのですが、AIを使いこなすためにはそもそも「シン読解力」が求められるというのももはや納得ですよね。
こうなってくると一刻も早く「シン読解力」を身につけたくなります。
そしてこの直後さらに興味深いことが語られます。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を出してから、多くの方から「SNSのいざこざを見ていると、読解力がない人がいかに多いか実感します」とか「コロナ禍のテレワークで、『資料を読める人・読めない人』の差がはっきりしました」、はたまた「実は、教員が成績表に書く所感や備考を添削するのがあまりにたいへんで、学期末になると副校長は日付が変わる前に帰宅できないのです」というような話が耳に入ってくるようになりました。
大人の世界でも、今まさに「シン読解カ」が足りないことで苦労している人、生産性が下がる現場が少なくないようです。
もうひとつ興味深いのが、多くの人が、自分より読解力が劣る人については、「努力が足りない」、「ちゃんと読んでいない」と言う一方、自分より読解力が勝る人については、「才能がある」、「もともと頭がよいのでしょう」、「そういう人は得てしてコミュニケーション能力が劣っていることがありますよね」という感想を持ったりすることでした。
ここで語られたSNSでのいざこざですが、つい最近私もまさにこれを体験しました。
私はこのnoteの他にメインブログ「僧侶上田隆弘の仏教ブログ」を運営しているのですが、『シン読解力』を読み終わったちょうど2日後にあるコメントが届いたのです。
そのコメント主は私の記事の内容に「気分が悪い」と仰られていて随分とご立腹のようでした。そしてその理由を私の文章を引用しながら語っておられたのですが、よくよく読んでみるとどうもおかしい。それもそのはず、その方は私が書いていることを読まずに、書いていないものを勝手に読み込んで解釈していたのです。
『ああ、これが『シン読解力』で言われていたことか!」とすぐに直感しました。この方は「シン読解力」のなさ故に私の文章を誤読しご立腹されていたのです。
ブログやSNSを運営しているとどうしても批判や悪質な言葉を投げかけられることもあります。正当な批判なら全くウェルカムなのでありますが、よくわからない理由で非難されても困ってしまいます。それに心のダメージもどうしても受けてしまいますよね。私もこれまで何度もそういう機会があり、できるかぎり誠実に言葉を尽くしてわかってもらおうと対応していたのですが、今回はもうやめました。この方はその対応すら読めない可能性が高いからです。しかもそもそも敵意のある書き込み方がされていましたので、最初から批判ありきで読まれていた可能性もあります。僧侶という立場上、それだけで目の敵にされ誹謗中傷を受けることもあるのです。
というわけでこのやりとりは非生産的であると考え私はそのコメントを削除し、さよならすることにしました。
ただ、今までとは違うのは圧倒的に心のダメージが少ないということです。これまではそういうコメントをする人は「誹謗中傷的なことをする嫌な人」というイメージでしたが、「単にシン読解力がない人」に変化したのです。つまり「性格・人柄の問題」から「スキルの問題」になったのです。
これは精神的にかなり違います。私も今回心に全くダメージがありませんでした。皆さんも仕事上のやりとりでこれに似たような場面に数多く出くわすと思います。そんな時、そのトラブルや軋轢が「人間性」ではなく「スキル」の問題だと分かれば圧倒的に心の余裕が生まれます。これはなってみればわかります。
本書ではここから実際に「シン読解力」とは何なのか、そしてどのように身につけていけばいいのかを追っていきます。まさに目から鱗。この本を読めば才能や人柄ではなくスキルということがはっきり見えてくると思います。
高校・大学におけるシン読解力の低さがもたらす事例
最後に、私自身の境遇とも関わる問題についてお話ししてこの記事を終えたいと思います。
先程もお話ししたように、私は現在地元の短期大学の非常勤講師を務めているのですが、以下の箇所を読んだ時に「そう!すごくわかる!」と膝を打たずにはいられませんでした。ぜひその箇所を紹介したいと思います。
RSTは「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を「自力で読み解く力」を測っています。「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」は、教科書だけに存在するわけではありません。たとえば、学校が配布する「お知らせ」や修学旅行のしおりもそうです。2022年入学のW高校の生徒の中には、6分野すべての能力値がマイナスで、小学5年生の平均すら下回る生徒がかなりいます。それでは、高校が出す「お知らせ」を正確に読み解くことは難しいでしょう。
そういう子は進路選択でも不利になります。大学入試は、年々複雑になっています。共通テストとそれに続く一般入試だけではありません。推薦入試、AO入試があります。大学に進学する高校3年生の半数以上が、こうした入試で進学先を決めています。一般入試にしても、同じ学校でもA日程、B日程など5種類以上あるのがふつうです。
願書を取り寄せ、自分はどの日程を受験したいのか、そのためにはどんなものを準備しなければいけないか、出願期限はいつか、オンライン出願か郵送か。そういうことを判断するにも、「シン読解カ」は不可欠です。それらの書類を自力で読み解けない生徒たちの世話をする先生たちは、どうしても多忙になります。
こうした傾向は、高校にとどまりません。半数以上の学生が、学力試験を経ずに入学してくる大学や、入学倍率が下がった大学でも、もちろん同様のことが起きています。やる気に燃えて入学しても、授業にまったくついていくことができず、1年で退学する学生もいますし、「履修の手引き」を読み解くことができないために、留年したり卒業できなかったりする学生が有名大学でもかなりの数います。AO入試だけでは、大学で学ぶ前提を満たしていない学生をスクリーニングアウトできないことに苦慮した大学の中には、入学の目安としてRSTを導入するところも増えてきました。
中堅校のW校よりもRSTの結果が厳しい学校はたくさんあります。
そういう高校で困っているのは先生たちだけではありません。一番困っているのは本人たちです。なにしろ、車の普通免許を取りに行っても筆記試験で何回も落ちてしまうのですから。免許がないと困るような地方に住んでいて、あるいは就職に免許が必要なのに、なかなか筆記試験がとおらないー。本人たちが一番困っているはずです。
学校からの「お知らせ」なんて誰だって読める、間違えるのは「しっかり、ちゃんと読んでいないからだ、と思われるかもしれません。ですが、中堅校の現状がこうなのです。「シン読解力なんて、誰でも自然に身につくはず」という期待は、「自然に読めるようになった」一部の幸運な人々の倣慢でしかないのです。
私の勤める短大は地元の短大ということで、都心の有名大学とは異なり、受験勉強とは無縁だった学生が多いです。そしてまさにここで語られた事例がぴったりそのまま当てはまります。
ただ、だからといって彼ら学生達が悪いのではありません。問題は「シン読解力」を身につける機会がなかったという点なのです。
最後の『シン読解力なんて、誰でも自然に身につくはず」という期待は、「自然に読めるようになった」一部の幸運な人々の倣慢でしかないのです。』という言葉は痛烈ですよね。
ですがこれは真理だと思います。
「読める人間」はそうした訓練の機会を得てきた人なのです。思い返せば私の受験勉強の国語はこの訓練をひたすら繰り返していたように思います。私も機会に恵まれた幸運な人間です。
だからこそ私は地元の短大でこの「シン読解力」の導入ができないか本気で考えています。
実は本書を読む前から、学生達の読解力を何とかしようと速記や文章の書き方のレッスンはすでに数年前からしていて、その効果はかなりはっきり見えていました。学生達の勉強への姿勢が数か月でがらっと変わったのです。ですが「シン読解力」の訓練はさらに効果的であることは間違いありません。
これはいい本と出会いました。
RSTや「シン読解力」についてはRSTの公式ホームページでより詳しく見ることができます。興味のある方はぜひこちらもご参照ください。
そしてこれは学生だけでなく社会人にとっても救世主になりうるのではないかと私は考えています。上でも少し触れましたが、「シン読解力」のなさが不毛なトラブルや余計な仕事を増やしていたのです。これまでそれを処理するためにどれほど多くの労力が消費され、心にダメージを負ってきたでしょうか。
日本の仕事効率、生産性を上げることは単にビジネス上だけの問題ではなく、私達の生活の質そのものにも直結します。疲弊しきったこの日本社会に「シン読解力」は一筋の光になるのではないかと私は期待しています。
私自身ただ成り行きを見守るだけでなく、実践しその効果を見極めていく所存です。
以上、「『シン読解力』は学校や職場の救世主になるか?衝撃の一冊!」でした。
※2025年5月追記 著者の新井紀子様よりメッセージを頂きました!
本書『シン読解力』の著者新井紀子様よりメッセージを頂きました。許可を頂きましたので、その本文をこちらに転載致します。
「noteの記事を拝読しました。
著者として、大変嬉しく、一言お礼を申し上げたくメール差し上げました。
地元の短大で教鞭を執っていらっしゃって、「シン読解力」に書かれていた内容がとても腑に落ちたとのこと。そのように受け止めていただき、この7年間本を出すことを封印して、データ分析や、各地の学校の授業を見たり、実際に授業をしたりすることに専念してきて、本当に良かったと思いました。
今は、外国にルーツをもつ子が全校の3割を超える学校で、多くの子にシン読解力を身に付けさせる方法はないか模索する毎日です。
梅雨の走りのはっきりしないお天気が続きますが、頂いた感想を何度も読み返して、気持ちは明るく過ごしていきたいと思います。有難うございました。」
私自身著者様から直接お言葉を頂けると想像しておりませんでしたのでとても驚きました。そして大変嬉しく感じています。
これからも学生たちと共に「シン読解力」を身につけられるよう精進していきたいと考えております。
新井紀子様、この度は嬉しいお言葉ありがとうございました。この場を借りて感謝申し上げます。
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