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【専業主婦 夫婦関係 共働き】専業主婦は買い物に許可がいらない

「これ、買っていいよね?」

妻が夫に聞く。
夫は少し顔をしかめる。
なんとなく気まずい空気が流れる。

この場面、どこかおかしいって気がつけるか?

おかしいのは、
妻が「許可を求めている」というところだ。

なぜ妻は許可を求めるのか?
「自分で稼いでいないから」という
感覚があるからだ。

でも、それは本当だろうか?

※ なお、これは専業主婦だけの話ではない。
共働きでも、家庭内労働の負担が一方に
偏っている場合は同じ構造が存在している。
家庭内労働を多く担っている側が、
外で稼ぐ側に縮こまる必要はない。
性別も無関係だ。
ただ、現実には日本で家庭内労働を
担うのは女性が圧倒的に多いので、
この記事では、この前提で執筆している。


規範に根拠はない

「家事をしている方が稼いでいる方に
遠慮すべきだ。」という規範に、根拠はない。

この規範は存在しているが、根拠にする必要はない。
その規範を家庭内労働を担う側も、
外で稼ぐ側も「当然」と思い込んでいる。
疑わないから摩擦が起きない。
摩擦が起きないから問題として浮上しない。
問題として浮上しないから、構造が変わらない。


稼ぎは二人の共同成果だ

夫の年収を、夫一人の成果だと思っている人は多い。
でも、本当にそうだろうか?

夫が毎朝会社に行けるのは、
誰かが子どもの支度をしているからだ。
夫が残業できるのは、
誰かが夕食を作って待っているからだ。
夫が翌日また働けるのは、
誰かが家庭というインフラを維持しているからだ。

その「誰か」がいなければ、
夫の年収は生まれなかった。

一方が外で稼ぎ、
もう一方が家事・育児・家庭管理を担う。
どちらが欠けても家庭は回らない。
企業で言えば、営業部門と管理部門の関係に近い。
管理部門がなければ、営業は外に出られない。

「俺が稼いだ金だ」は、事実誤認である。
「二人で稼いだ金だ」が正しい。

だから、使う権利も二人にある。
専業主婦が、買い物をする許可など、
最初から不要である。

では、その妻側の取り分はいくらか?
家事代行に換算すれば
年200〜300万円という試算があるが、
こんなに安いものだろうか?

本当はもっと高くなりうる。

働こうと思えば500万円とか
1千万円とか稼げる能力を持った人が、
家庭のためにその収入を手放している実態がある。

長い目で見れば、例えば、
経営者クラスのポジションに
ついたかもしれないキャリアを
諦めていることもあるだろう。

更に、社会参加の機会が失われたという
喪失感について、夫は理解しているだろうか?
この喪失感をお金に換算すると
幾らになるだろうか?
これは、お金で解決できない部類とも
いえなくもない。

それらが、妻側の「本当のコスト」だ。


なぜ専業主婦になるのか

好きで家にいる人もいる。
その選択は尊重されるべきだ。

ただ、
その選択が完全に自由だったかどうかは、
別の話だ。

「どちらが仕事を辞めるか」という選択を
迫られたとき、賃金格差があれば女性が辞める方が
家計への影響が小さい場合が多い。
でも実態はそれだけではない。
女性の方が稼いでいる家庭でも、
女性がパートに留めておくケースは少なくない。
賃金の問題だけではなく、
規範の力がそうさせている。

子どもが生まれれば、
保育・学校行事・急な病気への対応を
誰かがやる必要がある。
日本社会はその役割を暗黙に
母親に割り当てる。
フルタイムで働き続けることが、
物理的に難しくなる。

税制も追い打ちをかける。
いわゆる「103万円の壁」は、
中途半端に働くより専業主婦でいる方が
得な構造を作っている。

表向きは「配偶者への優遇」だ。
でも実態は、特定の選択肢に誘導している。


閉じ込めておいて、責める

強制していないのに、閉じ込める。
これが一番巧妙な構造だ。

「自分で選んだ」という形式を取るから、
稼ぐ側は「稼いでいないんだから」と言える。
家庭内労働を担う側も反論しにくい。

しかし、その背景の構造を見る必要がある。

根拠のない規範が、家庭内労働を担う側を縮こまらせる
        ↓
賃金格差と税制が、専業主婦に誘導する
        ↓
やむを得ず、家庭に留まる
        ↓
「稼いでいない」と責められる
        ↓
買い物に罪悪感を持つ、許可を求める

出発点は本人ではなく、構造だ。
それなのに、責められるのは本人だ。

OECDの国際比較データでは、
無償労働時間の男女比が、
日本は女性が男性の5.5倍で、
比較国中最大だ。
そして2024年の調査では、
家事分担に「満足」と答えた男性は86%にのぼる。

問題だと思っていないから、満足している。
満足しているから、変わらない。

稼ぐ側が悪意を持っているとは限らない。
賃金格差も、税制の壁も、育児負担の偏りも、
稼ぐ側が作ったわけじゃない。
「俺が稼いだ金だ」という感覚も、
同じ構造の中で自然に生まれてくる。
その意味では、稼ぐ側もまた、構造の中にいる。

でも、構造を理解すれば、
変えられることがある。

妻が何かを買いたいとき、嫌な顔をしなくて済む。
「二人で稼いだ金を、二人で使っている」と
思えれば、そこに摩擦は生まれない。
構造を知ることは、夫婦両方が楽になることでもある。


縮こまる必要はない

「わかった、でも私には無理」と思う人は
多いかもしれない。

毎日の生活で積み上がった感覚は、
論理では簡単に消えない。
構造は、そこまで深く刺さっている。

でも、問い直してほしい。

「家事しかしていないから」
「夫より稼いでいないから」
…その言葉に、根拠はあるか?

あなたは毎日、
家庭というインフラを維持している。
食事を作り、洗濯をし、
子どもの送迎をし、
家計を管理し、
誰かが病気になれば対応する。
その貢献がなければ、
夫の年収は生まれなかった。

あなたの貢献は見えないだけで、
なくなったら困るものばかりだ。

罪悪感を持つべき理由が、そもそもない。

妻が自分のために買い物をするのは、
タダ乗りではない。
二人で稼いだ成果の、
自分の取り分を使っているだけだ。
手放したキャリアの分まで含めれば、
その取り分は相当なものになる。

許可は、最初からいらない。

縮こまらせているのは、
根拠のない規範と、
それを放置してきた構造だ。

その構造は、妻だけでなく、
夫も縛っている。

二人でそれに気づけたとき、
はじめて「買っていいよね?」という問いが消える。


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