【夫婦関係 人間関係】「お互い様」は誰のための言葉か
夫婦喧嘩の最中、どこかで必ず出てくる言葉がある。
「でも、お互い様でしょ」だ。
言った方は丸く収めたつもりでいる。
言われた方は何となく腑に落ちないまま黙る。
そして喧嘩は終わる。
終わるのだが、何も解決していない。
翌週、同じ喧嘩が始まる。
また「お互い様でしょ」で終わる。
この繰り返しに、見覚えはないだろうか。
もちろん、本当の意味でお互い様な関係もある。
双方に同程度の問題があり、どちらも自覚している。
そういう関係では「お互い様」は健全な言葉として機能する。
ただ、この記事が問題にしているのはそうではない「お互い様」だ。
「お互い様」という言葉を使う人間を観察すると、
大きく二つのパターンに分かれる。
一つ目は、問題の大きい側が言う場合だ。
夫婦なら、たいてい、ダメ夫本人が言う。
職場なら、問題のある上司が言う。
「俺だってちゃんとやってる」
「お前にも悪いところはあるだろ」
「ほら、だからお互い様じゃん」
言っていることが完全に間違いだとは限らない。
人間なら誰にでも欠点はある。
だがここで起きているのは公平な整理ではない。
自分の問題を相手の問題と並べることで薄めようとする、
論点の拡散だ。
相対化によって、自分が変わらなくていい状態を維持する。
攻めの相対化だ。
自分の問題を認めることは、自己像の崩壊につながる。
これまで「俺はそれほど悪くない」
と思って生きてきた人間にとって、
その前提を崩すことは想像以上に苦しい。
だから相手の問題を持ち出して並べる。
「俺だけが悪いわけじゃない」という
自己像を守るための、防衛反応だ。
二つ目は、被害を受けている側が言う場合だ。
夫婦なら、たいてい、妻。
職場なら部下。
親子なら子どもが言う。
こちらは一見、逆に見える。
「私にも至らない点があった」
「お互い様よね」。
この言葉は、自分を責める方向から出てくる。
力関係に非対称がある関係が長く続く中で、
「自分にも問題がある」という認知が
少しずつ刷り込まれていく。
繰り返し「お前が悪い」と言われ続ければ、
やがてそれを内面化する。
関係を失うことへの恐怖も重なり、
逃げにくい関係であればあるほど
その傾向は強まる。
「お互い様」は相手を庇うというより、
現状を維持するための自己防衛だ。
ここで整理しておきたいことがある。
どちらにも欠点があることと、
どちらが関係を壊しているかは別の話だ。
「お互い様」はその二つを一緒くたにする。
欠点は平等に見えても、壊している側は変わらない。
そしてこの二つのパターンは独立していない。
問題の大きい側が「お互い様」と言い続けることで、
被害側にも「自分にも問題があった」という
認知が形成されていく。
やがて被害側も「お互い様よね」と言うようになる。
問題の大きい側はその言葉を見て確信する。
二つの「お互い様」が噛み合い、
関係はその状態のまま固定される。
意図したわけではない。
だが結果として、
問題の大きい側にとって都合のいい均衡が出来上がる。
「お互い様」という言葉は、対称性を前提にしている。
「お互い」という言葉自体が、
双方が同じ立場にいることを示唆する。
だから力関係に非対称がある場面で
この言葉が使われると、
その非対称がそもそも存在しないかのように
見えてしまう。
これは夫婦に限らない。
問題のある上司と追い詰められた部下。
支配的な親と逃げ場のない子ども。
力関係に非対称があり、
逃げにくく、長期間続く関係。
そういう構造を持つ場所であれば、
同じメカニズムが働く。
「お互い様」という言葉は、
その非対称を見えなくする効果を、
言葉の構造として内蔵している。
意図して使う必要はない。
その言葉を口にした瞬間、
力関係の問題は対称な関係の問題に書き換えられる。
「お互い様」という言葉を使うとき、
あるいは使われるとき、
それが本当のお互い様なのかどうかは、
案外見えにくい。
特に、その言葉の中にいる当事者には。
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