【夫婦関係】 夫が気を利かせないのは、男性脳だからではない。妻が困っても家は回るから。
「言ってくれればやるのに」
夫は、そう言った。
あるいは、こうも言う。
「俺はやっている」
「仕事で疲れているんだ」
「お前だって気が利かないだろ」
「そんなに細かいことを気にするの?」
気が利かない、と妻に言われたとき、
夫の口から出てくる言葉は、
だいたいこのあたりに収まる。
悪意はない。 本気でそう思っている。
でもこの言葉たちを並べてみると、
一つのことに気づく。
全部、夫の自分自身の中だけで完結している。
五つの言い訳を、解剖する
「俺はやっている」
自分の貢献を、自分で評価している。
妻の目線は、ない。
「仕事で疲れているんだ」
自分の疲労を、優先している。
妻も疲れているかもしれない、
という発想が、ない。
「言ってくれればやるのに」
気を利かせる責任を、妻に押し付けている。
言う側のコストを、考えていない。
しかもこれは「察することをやめた」
という宣言でもある。
「お前だって気が利かないだろ」
問題を解決しようとせず、 攻撃に転じている。
「気が利かない問題」が、
「どちらがより悪いか」の争いにすり替わる。
「そんなに細かいことを気にするの?」
これが一番やっかいだ。
他の言い訳は自分を守るか、
責任を転嫁する。 でもこれは、
妻の感覚そのものを間違いにする。
問題を解決しようとせず、
問題を感じている側を黙らせる。
五つ並べると、共通点が見えてくる。
全部、自分の中で完結している。
妻がどう感じているか。
妻が何を求めているか。
妻にとって何が大事か。
そこへの想像が、抜けている。
ただ、悪意があるわけではない。
意識してそうしているわけでもない。
なぜそうなるのか。
それには、構造的な理由がある。
「男性脳だから仕方ない」という免罪符
こういう話をすると、 決まってこう言われる。
「男性脳だから仕方ない」
男性は感情を読むのが苦手だ。
構造的に、察することができない。
だから気が利かなくても、仕方ない。
これが、世間でよく使われる説明だ。
男性は悪者にならなくてもいいので都合がいい。
でも、ある心理学の研究がある。
人の感情を読むテストを行うと、
確かに女性の方が正確に読める。
ところが「正確に読めたら報酬をあげる」と
条件を変えると、
男性も女性と同じように感情を読めた。
つまり、能力の問題ではなかった。
やる気の問題だった。
「男性脳だから仕方ない」は、
「見ようとしていない」ことの 言い訳に使われていた。
では、なぜ見ようとしないのか。
気が利くには、難易度がある
「気が利く」には、実は二つのレベルがある。
レベル1は、状態を読むこと。
のどが渇いている。
疲れている。
さびしそうだ。
観察していれば、気づける。
見ようとすれば、見える。
レベル2は、価値観を理解すること。
この予定が、相手にとってどれくらい重いか。
何を大事にしているか。
どういうときに、傷つくか。
レベル2は、観察だけでは足りない。
相手の価値観ごと把握していないと、
どれだけ見ていても、外れる。
ある日、仕事の会議が入った。
外せない相手だった。
妻と決めていた会食の日と、重なった。
「ごめん、リスケできる?」
軽く、そう言った。
仕事だから、仕方ない。
妻もわかってくれるはずだ。
そう思っていた。
妻からは、後で怒られた。
私には、理解できなかった。
仕事なんだから、仕方ないじゃないか。
でも妻が怒ったのは、
リスケそのものではなかった。
「軽く」言ったことに、怒っていた。
その一言の中に、
妻との約束と仕事の会議を、
私が無意識に天秤にかけていたことが、
全部見えていたのだ。
私は妻を見ていた。
でも「仕事なら妻は納得するはずだ」という
自分の見方で、妻を解釈していた。
妻は別の見方をしていた。
レベル1はできていた。 レベル2で、外れていた。
なぜ夫だけが、気が利かないと言われるのか
2024年に発表された研究がある。
バース大学とメルボルン大学の共同研究で、
家庭内の「認知労働」の71%を
母親が担っていることが明らかになった。
認知労働とは、家を回すための「考える仕事」だ。
子どもの体調管理、食事の段取り、持ち物の把握——
誰かが頭の中でずっと回し続けていないと、 家が止まる。
この認知労働には、二種類ある。
毎日途切れなく回すもの——
子どもの体調、食材の在庫、翌日の準備。
これをコアタスクと呼ぶ。
年に数回、発生するもの——
旅行の手配、家電の修理、記念日の計画。
これがエピソードタスクだ。
母親はコアタスクをほぼ全部抱えている。
父親がやるのは、エピソードタスクが中心だ。
つまり夫の「気遣い」は、
記念日のプレゼントや旅行の計画など、
イベント的な場面に集中している。
妻が求めているのは、
イベント的な場面だけでなく、
のどが渇いていることに気づく、
疲れを察して動く、という
日常のコアな気遣いだ。
夫は「やっている」と思っている。
妻は「全然気が利かない」と感じている。
どちらも嘘をついていない。
ただ、全然別のことを話している。
しかも、この問題は、
共働きが当たり前になって深刻さを増した。
専業主婦の時代は、妻はコアタスクだけ、
夫は仕事とエピソードタスク、
という 役割分担が社会的通念としても存在していた。
だから夫が気を利かせなくても、
ある程度説明がついた。
共働きの時代は、
妻が仕事とコアタスクを両方抱えるようになった。
でも夫の担当は変わっていない。
妻の負担だけが、増えた。
ある調査では、夫の60%が
「自分はよくやっている」と答えた。
しかし、妻から夫への評価は40%だった。
20ポイントのギャップ。
その差は、ここから来ているのかもしれない。
「気が利かない」の、本当の意味
ここまで来て、一つの構造が見えてくる。
妻は、毎日観察している。
子どもの体調。
食材の在庫。
夫の疲れ具合。
家族全員の状態。
観察しないと、家が回らないからだ。
夫は、観察しない。
しなくても、家が回るからだ。
妻が観察して、妻が動く。
夫が気づかなくても、
誰かが気づいている。
夫が動かなくても、誰かが動いている。
だから夫は、観察することの必要性を
実感できない。
経済学の言葉を借りれば、
夫は妻の観察に「ただ乗り」している。
悪意があるわけではない。
怠惰なわけでもない。
ただ、観察しなくても
困らない構造の中にいる。
費用として払うのは、
たまに怒られること、だけだ。
「男性脳だから仕方ない」という説明は、
この構造を隠す言い訳だった。
本当のことを言えば——
観察しなくても、
誰かがやってくれる構造の中に、
どっぷり浸かっていた。
それだけの話だ。
「気が利く」に、正解はない
「気が利く」かどうかは、
夫婦の組み合わせで決まる。
妻が求める基準と、
夫ができる気遣いの水準。
この二つが交わるところに、
答えがある。
だから同じ夫でも、
妻Aには「本当に気が利く人」で、
妻Bには「全然ダメ」になる。
夫は何も変わっていないのに。
妻の側も、全員違う。
エピソードタスクをやってくれるだけで
「十分、気が利く夫だ」と感じる妻もいれば、
それは当たり前で、
コアな日常の気遣いがないと
「気が利かない」と感じる妻もいる。
そもそもエピソードタスクすら
やっていない夫も
相当数いるだろう。
どこが「気が利く」の基準になるかは、
夫婦の組み合わせによって、
全然違う。
だから「気が利く夫になる方法」に、
汎用的な答えはない。
夫としては、
自分は気が利く方だと思ったところで、
家庭内でどう判断されるかはわからない。
妻次第だ。
出口は、一つだけある
ただ乗りできる構造の中にいる限り、
夫の観察量は自然と減っていく。
妻はいつも観察している。
足りていないのは、
たいてい、夫の側だ。
ただし、妻によって求める
観察の中身は違う。
汎用的な答えはない。
目の前の妻を見ようとすること。
夫にとっては、
それが唯一の出発点だ。
二つの線は、近づいていく
我が家に関して言えば、
私の気が利くタイミングは増えている。
他方、妻の期待値は以前より下がった。
二つの線の距離は、だいぶ近づいた。
それはそれでいいのだが、
妻が期待を下げざるを得なかったという点は
引っかかっており、
申し訳ない気持ちは、抱え続けている。
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