心と言葉の日本語文法(44)表現の多機能性――ひとつの表現が複数の機能を併せ持つ(1)
(↑のつづきです)
言語表現と言語機能の関係性において非常に重要な点は、ひとつの表現が複数の機能を併せ持つということである。
別の言い方をすれば、
ある表現が命題、対事的モダリティ、対人的モダリティという3つの機能のうちのどれかひとつの機能だけを持っているわけではない
ということである。
例をみてみよう。
夏目漱石に有名な小説の出だしの有名な一文、「吾輩は猫である。」である。
吾輩は猫である。
この表現に含まれている命題、対事的モダリティ、対人的モダリティという3つの観点から分析をしてみると、その結果は次のようになる。
命題(認識・思考):「わたしが猫であること」
対事的モダリティ(判断・態度):「~は」「である」
対人的モダリティ(伝達):「吾輩」「である」
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命題(認識・思考)
ここでの命題(認識・思考))は、「わたしが猫であること」である。
記号的に表現すると、「わたし=猫」である。
関数的に「ある(わたし、猫)」と表現することもできるだろう[1]。
☆☆☆
対事的モダリティ(判断・態度)
ここでの第1の対事的モダリティは、「~は」を用いて「わたし」をトピック(主題)とするという判断・態度である。
もし「わたし」ではなく「猫」のほうをトピック(主題)とする判断をおこなっていれば、「吾輩は猫である。」ではなく「猫は吾輩である。」という表現になっていたはずである。
第2の対事的モダリティは、「~である。」によって断定をしている判断である。
日本語の「である」には、強い断定の判断・態度が含まれている。
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対人的モダリティ(伝達)
この文で対人的モダリティ(伝達)の役割を果たしているのは、「吾輩」「~である」という表現である。
「吾輩」は、聞き手/読み手に対して話し手/書き手の社会的ポジション(ここでは男性、年配、など)を伝達するための表現である。
これを、「わたし」「わたくし」「僕」「オレ」「あたい」などにすると、別の社会的ポジションを聞き手/読み手に伝達することになる。
「~である」は、うえの対事的モダリティの項で述べた強い断定の判断・態度とともに、自分が聞き手/読み手に特に丁寧な気持ちも表現しない、ということを相手に対して伝達している表現である。
そのため、一般的には中立的ではなく少し横柄なイメージとなる。ゆえに話し言葉では用いることがほぼ不可能といえる。
(つづきは↓)
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