成瀬由紀雄の「参考図書あれこれ」:『日本語はいかにつくられたか?』『日本語は進化する』(3)
(↑のつづきです)
そもそも日本語の書き言葉つまり「文語」はその生まれからして「翻訳」でした。
古代、日本は中国から先進文化を輸入しはじめました。そのころの日本語には文語がなかったため、漢文を訓読(翻訳)することでみずからの文語を創作することとしました。
ただし、すべてを翻訳することはとても不可能であったため、多くの部分は漢語のまま残すことにしました。
こうして、訓読み(=翻訳)と音読み(=原文)とをミックスした漢文訓読文が誕生しました。
ここらへんについては、ここでご紹介する『日本語はいかにつくられたか?』(小池清治、ちくま学芸文庫)が詳しく説明しています。とても面白い本ですので、ぜひ読んでみてください。
平安時代になると、漢文および漢文訓読文は、政治家、宗教家、学者などに用いられました。当時の「エスタブリッシュメント」たちですね。
いっぽう、宮中の女性などは平仮名だけを使って文章をつくるようになりました。おもに身の回りの出来事や空想のお話などを書いては、仲間内でまわし読みをしていたようです。こうして和文が発達していくのですが、この和文には漢文訓読のにおいがあまりしません。
もちろん、平仮名を使った和文など、当時の「エスタブリッシュメント」たちにとっては、文章の名にも値しないものでした。
しかしそのいっぽうで、みずからの素直な心情を言葉にするには和文こそが最適であることもまた疑いようのない事実でした。
そして、それが和歌というかたちで和文に公式の場を提供することになるのです。
そのほかに、貴族のあいだでのラブレターのやり取りが和文というスタイルを高度に発達させたのだという意見もあります。
面白い見方ですね。たしかに、漢文体のラブレターなんかもらっても、あまり嬉しくないような気もします。
さて、こうして日本語の文語には、公的文体としての漢文訓読体(=翻訳文体)、私的文体としての和文体(=非翻訳文体)という2つのスタイルが並存することとなりました。
(つづきは↓)
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