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心と言葉の日本語文法(5)現代日本語三脚論(2)

現代日本語三脚論(2)

こうしたことから現代の日本語は、「和」「漢」「洋」という三脚に支えられた複合的な言語となった。

日本文化の産物が「和」「漢」「洋」の融合したものであるという論は珍しくないが、そうした論のほとんどは「三脚」ではなく、「三層」という発想をもとにしている。

まず土台として「和」の文化があり、そのうえに「漢」の文化がのっかっており、さらにそのうえに「洋」の文化がのっているというイメージである。

しかし、この「三層」という考えを日本語にあてはめると、上層の「洋」の層や「漢」の層がとりはらわれても、「和」の層だけでなんとか日本語は日本語として成り立つということになる。

私の主張はそうではない。

現代日本語は「和」「漢」「洋」の三脚があってこそ成り立っているのであって、そのうちの一脚でも欠けてしまうと現代日本語は現代日本語として成り立たなくなるというものである。

これが私の「現代日本語三脚論」である。

現代日本語のように三脚によって支えられている複合言語は世界でほかに類をみないと私は考える。

たとえば英語はゲルマン文化とラテン文化の複合体であるが、そうした複合はあくまでも西欧文化のなかでのことにすぎない。その証拠のひとつとして彼らはローマ字のみを用いている。

ところが現代日本語の場合には漢字、かな、ローマ字という3つの本質的に異なる文字体系を混在して使っているのである。

こうした日本語の複合化を、無原則、無節操といった弱点として捉えることもできるだろう。

実際、これまで多くの日本の知識人が、そうした視点から現代日本語と現代日本文明を悲観的に捉えてきた。

だがこの複合化を、原則に縛られずに自由である、複眼思考が可能である、といった比類のない長所として捉えることもできるはずである。当事者である私たち日本語人は、自分たちの文明を肯定的に評価すべきと私は考える

そして世界の類のないこの複合文明を、さらに進化発展させていくという道をとるべきであろう。


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