呼ばれているから行ってくる 呼ばれてなくても行けるなら行く
確か20代の頃、会社の同僚だったグラフィックデザイナーの自由人に教えてもらった。
「呼ばれないと、インドには行けないんだよ」
彼が20代でインドを旅した話を聞いたときだったと思う。
お酒と将棋が好きで、人生何周目?というなんか憎めない不思議な魅力を持つ人物だった。そしてインド人みたいな風貌だった、気がする。元気かな。
今のところわたしはまだ、インドに呼ばれてはいない。
でも2025年は、おそらく人生の中で最も、お仕事と、お仕事に関わるリサーチや取材をかねた機会で、国内のあちこちに、呼ばれるように伺ってきた。
なんとなく振り返ってみたくなったので、拠点を置く東京と、その近隣である千葉 埼玉 神奈川をのぞいて、思い出してみる。
1月 浜松
2月 神戸→京都 その翌週に大阪→京都
4月 京都 その翌々週に京都→大阪
8月 大阪
9月 名古屋 その翌々週に岐阜
10月 三重
11月 京都(20日間) 京都にいるうちに倉敷
12月 京都(予定)
旅をするように、さまざまな場所へ足を運んで、観て聴いて取材して、書いて伝えるお仕事がしたい。
いつかできたらいいなぁ、と、確かに思っていた。
2020年、コネクションも実績も全くのゼロから、「フリーランスのアートライター」としての最初のお仕事が始まり、今も続けている。
いつまで経っても目の前のお仕事に必死だし、書けば書くほど難しいし、いつ何がどうなるかもわからない。
なので、いただく依頼の一つひとつが、次の場所につながるチャンスだと思い、コツコツと取り組んできたつもりだ。
だから2025年、呼ばれて、つまりお仕事として伺う機会をとても多くいただけたことは本当に嬉しく、少しは結果を積み上げられてきているのかな、と思えた。
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移動してみて気づいたのは、いつもと違う場所へ出かけたり、初めましての人に会ったり、あちこちへ足を運んで五感でめいいっぱい体感したりすることが、実は苦にならない、わりと好きな性分だったことだ。
その一方で、部屋にこもって何日も仕事をすることも好き。できればずっとどこにも出かけないで、ひとり静かに家にいたい、と思ってしまう超絶めんどくさがり。だいぶ極端である。
その極端すぎるモードを、いとも簡単に切り替えられるスイッチが、自分の中に存在しているようで、それをパチン、とできるのは結局、「どうしても、何が何でも、そこに行ってみたいかどうか」という、能動的な気持ちだろう。
中には、自分で宿泊費や交通費を持ち出し、「現地へ行くので取材します、こんなテーマや構成で、記事を書かせていただけませんか?」とメディアへ提案して、他の自分の予定もあれこれくっつけて機会をつくった、ということも含まれている。
そのあとの労力とか、しんどいスケジュールとか、もろもろ考えてみれば、たぶんコスパはあまりよろしくない。そんなことはわかりきっていた。超絶売り手市場で稼げるWebディレクター職を手放し、フリーランスでアートライターをし始めた時点で。
それでも、ほんとに自分が行きたいところへ、行きたいときに行けて、タイミングが合えばお仕事になって、合わなくても、種を蒔くようにいつかのお仕事に絶対につながるはず、と思える。
ありがたい機会と立場であり、ほんとに役得すぎるので、現状、コスパというものさしは全く意味をなさない。
それがいつまで続くかわからない、奇跡のようなこと、だとも自覚してはいる。ここしばらく、次の足場をどこにつくっていこうか、ずっと考えてもいる。
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世の中から見れば「アートライター」って、ものすごーーーくニッチだ。
さして身近ではない。美術館や美術作家になんて全然興味ない。時間とお金に余裕のある、ほんの一部の人たちのものでしょ、と言われることもある。
今となっては、文化芸術に関わる方々とコミュニケーションをとる機会が増えたけれど、ほんの数年前、30代半ばになって芸術大学で学び直し始めた頃は別世界だったし、まさかアートワールドの動向を通して、こんなに国内外のさまざまな課題や出来事が、自分の生活とものすごく地続きだと考えるようになるとは、思ってもいなかった。
理解できる、とか、わかる、なんて簡単には言えない。
でも、別世界を生きる人たちの視点や感覚をできるだけ知ろうとし、話してもいいと思うならぜひ聞かせてほしい、とも思った。国内しか移動できなくとも、いろんな場でいろんな境遇の方々にお目にかかることができて、忘れてはいけない、と改めて肝に銘じたことだ。
Webディレクターというお仕事を約10年続けて、つまるところ、関わる全ての人の “通訳者” であり、あらゆるもの・こと・お金・スケジュールの“調整役”だなぁ、と考えていたことを思い出した。
自分が書いて伝えることで、誰かと誰かの“通訳者”になっていたらいい。
考えや価値観や、あたりまえを“調整役”としてすり合わせる、ささいなきっかけになっていたらいい。
寄り道の多い人生、今のところ、無駄なものはなかったと思っている。
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あちこちへの移動はすべて新幹線だった。
新幹線に乗っているのも好きだから、2~3時間の移動も全く苦ではない、むしろとても楽しい。いい歳の大人なのに、何度乗っても、なぜか気分があがって楽しくなってしまう。おそらく東京から西へ移動することが多い、つまり地元・静岡県を通るからだろう。
だから、よっぽど切羽詰まった締切などがないと、朝や日中の車内では、ほぼ一切、仕事ができない。映画を観ることも読書すらも落ち着いてできない。
では何をしているのか。
大抵、コーヒーかお茶と、そのお供のおやつを手に、好きな音楽や、車内限定の音声コンテンツを聴きながら、流れる景色を、ただ、ぼーーーーーっと観察してしまうのだ。
一瞬で通り過ぎる景色の中で、そこに暮らす人の日常を想像したり、移り変わる季節を実感したりして、なんだかいつも目が離せなかった。
車内も観察していて再認識したのは、あちこちへ出張することの多い方々がたっくさんいらっしゃる、という当たり前のことだ。ちょっと出かけるような身軽さと感覚で、サッと飛んでいくような、仕事の旅に慣れた方々が。
わたしも、そうありたい。そんなライターでありたい。
北海道、群馬、那須、山梨、金沢、富山、福井、広島、鳥取、島根、福岡や鹿児島。
2025年、ほんとは行きたかったし、行けそうな機会もあったけれど、時間と体力の限界で見送った場所も多かった。
まだまだ行きたい場所がある。そこできっと、思ってもみない出会いがあるはずで、だから世の中が平和であってほしいし、目の前のお仕事に真摯に向き合い、日々精進していかねば、だし、とにもかくにも健康第一だ、と思うのである。
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それにしても、である。お気づきだろうか。
2025年は、たぶん人生で最も長い時間、京都にいた。
1月 浜松
2月 神戸→京都 その翌週に大阪→京都
4月 京都 その翌々週に京都→大阪
8月 大阪
9月 名古屋 その翌々週に岐阜
10月 三重
11月 京都(20日間) 京都にいるうちに倉敷
12月 京都(予定)
伺うたび、テトリスのように予定を組んであちこちに行っていたので、京都駅から中心部のエリアは、だいぶ土地勘ができたし、街にも慣れた。
2024年の今頃は、夢にも思ってなかったけれど、11月は軽く住んでいた。
そもそも高校卒業後に上京して以来、ずーーーっと住んできた東京を、20日間も離れたのは初めてのことで、これは間違いなく、人生のターニングポイントになる時間だった。
ぐるぐると考えていることがある。
年内のうちに、このnoteでも書き残しておきたい、と思っている。
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