南伝の人が語る四沙門果の定義を鵜呑みにする前に知ってほしいこと
日本で活動している南伝テーラーワーダ仏教の人が語る四沙門果の説明の動画を見ました。(文字起こし機能にすごく助けられました)
ボクの立場からの見解、結論を申し上げると
この人の四沙門果の説明は誤りです。
ボクのこのnoteは、どの辺りに認識誤りがあるのか?を述べることを目的としています。
どちらの言う事を信じるかの判断は各自に委ねますが、まずは異なる見解があることを知ってほしい。
動画を紹介しているnoteのリンクを貼り付けます。
このnoteにはたくさんの「いいね」がついていますが、動画を貼り付けただけで内容の解説がありません。
ですので、普段から「いいね」がほとんど付かない零細な書き手であるボクが、内容に誤りがありますよ!とリンクを貼って指摘したところで、noteの作者さんが精神的なダメージを受けることはほとんどないと思っています。
動画の内容は、得るところのない説明とボクは認識していますが、それでも興味がある人は、このnoteからリンクを辿ってテーラワーダの人が語る四沙門果の説明を聞いてみると良いでしょう。
四沙門果の基本
四沙門果は、仏道修行をした結果、ある一定のラインを超えると到達する霊的進化のステップです。
凡夫:普通の人
人間は悪因悪業カルマを持っている
そのカルマが原因となって生死輪廻を繰り返すのが凡夫。
つまり、このnoteを読んでいる「あなた」のことです。
---- 断崖絶壁 ----
①シュダオン(預流・七来)
②シダゴン(一来)
③アナゴン(不還)
④ブッダ(アルハット・阿羅漢)
シュダオンになる条件
定義は一応あるのだけれど、要は仏道修行をしてカルマを減少させることによって、カルマから生じる貪瞋癡その他の執着・タンハーが非常に少なくなり、さらにその他の条件が重なり、修行の度合いが高まることで、ようやく①シュダオンに辿り着くことができる。
①シュダオンに至るための極めて重要な点は「執着が云々・心を云々」という部分ではなくて「カルマを減少させる」という点です。
自分が事故や天災地変に巻き込まれて大怪我をしたり死亡するような、心の問題や執着が関与していない、全く自責ではない事件事故に巻き込まれて不幸な状況に陥るのは、自分にそれ相応のカルマがあるから発生するのであるが、こういう事件を引き起こすカルマをも断滅して不幸な人生に陥る要因を除去することも①シュダオンに至るために必須の条件です。
図で説明すると、
上段:カルマが存在するから
左下:心の問題が生じ
中下:他責の事件事故に【自分が】巻き込まれ
右下:【事件事故を発生させる家族】を、自分が持つ
という事になる。
だから全ての源流であるカルマを断滅することが根本解決になる。

繰り返しになるが、ポイントは「執着が云々・心を云々」ではなく「カルマの断滅」です。
そして具体的にどのような手段によって、他責の事件に巻き込まれる要因となるカルマも断滅することができるのか?を知り、実践する必要がある。
心の問題云々しか言わない人は、図の左下の部分を何か言っているだけで、問題の根本解決に至らない。
「問題の源流、根本原因がカルマにあって、そこから心の問題が生じる」という原理原則を理解していないのではないか?
カルマが根本原因だと理解すれば、ならばカルマから生じる心の問題以外の問題も解決すべき対象になるし、カルマの断滅そのものが問題解決のための最重要課題であるという本質が見えてくるはずです。
だから、ボクのnoteでは何度も何度も、図の中下と右下の問題はどうするのか?答えてみろ!と婉曲的に問うているわけです。
という前提知識を持った上で、テーラワーダの人が語る動画(の文字起こし)を見てみると
「絶対変わらない自我があるんだ」とかね
「人は死んでも魂は死にませんよ」とかね
「魂は永遠不滅だよ」というような低次元な自我は最初に消えるんですね
それが消えたら預流果ということになるんです
だいたい23分34秒くらい
定義で言うところの「身見」を断ずることを言っているのだと思うけども、ボクの図の左下の部分を言っているのであり、こんな説明をしたところで問題解決には何も役に立たないことは、上記で説明した通りです。
阿羅漢はブッダのこと
お釈迦様が語ったオリジナルの仏教の定義では
阿羅漢 = ブッダ
でした。
仏陀なのだから、自分のカルマを完全に断滅し、凄まじい霊能力を持ち、人々の輪廻転生の流れを霊視できるようになり、霊的な観点から人に教えを語り、また霊的な観点から人々を救うことができる偉大なる聖者です。
生きた人間の時に仏陀になったならば、その人は生き神様そのものであって、その人の遺骨は仏舎利となる。
そして命終後も仏界から自分の仏舎利を縁にして、こちらの世界に霊力を送り込み人々を救い続ける存在、如来となる。
ブッダ=阿羅漢になるということは、神仏になるということであるから、神仏からすれば「期待の新人現る!!!」ということになる。
だから見込みのある人材には、どんなに遅くても②シダゴンや③アナゴンの段階で必ず神仏からのアプローチがあり、霊能力を与えられて、神仏の助言を受けながらの修行が発生し、④ブッダ・阿羅漢へと向かっていく。
ところが、アビダルマ仏教時代には「阿羅漢」の定義が組織内の政治力学で勝ち残った高僧くらいのレベルに変わってしまったようだ。
①シュダオンにすら到達していない凡夫の俗物僧侶(もちろん霊能力を持たない)が、涅槃を得て成道し阿羅漢に到達したと僭称するために定義を改悪捏造したとボクは思っている。
こういう経緯があり、絶対に理解に誤解が生じるので、ボクのnoteでは、四沙門果の第4段階目のことを敢えて「阿羅漢」という言葉を使わずに「ブッダ」という用語を使っています。
ちなみに定義捏造の痕跡は唯識の成唯識論にも残っています。
捏造の痕跡に興味がある人は、このnoteも参照ください。
という前提知識を持った上で、テーラワーダの人が語る動画(の文字起こし)を見てみると・・・
引用するのもアホらしいのでやめておきますが、アビダルマや唯識の連中が改変した後の定義で「阿羅漢」を語っているのが非常によくわかります。
つまり、ゴール設定が完全に誤っているので、彼らの教義教学を鵜呑みにして仏道修行をしても、お釈迦様が語ったオリジナルの仏教が本来の目的とするゴールとは違うところに辿り着くということを、現代に生きる我々の知性ならば理解できるはずです。
最後に
霊能力を持たないアビダルマや唯識の連中が捏造した定義を、それと気づかずに学び、霊能力を持った人物が現れず、教義教学の見直しや改革も行われず、そのまま1500年以上やってきた人たちが南伝系の仏教というのが、現時点でのボクの認識です。
ボクとは全く異なる見解、認識を持ち、自信を持って南伝系の教義教学を信じると決心した人もいると思うので、別にそれをどうこう言うつもりはありません。信じたいものを信じてください。
でも、敢えて、これらの人たちにボクが伝えたいことがあるとすれば、「このnoteに掲載した図と命題、あれに答えられそう?よく考えてみてね」ということくらいです。
命題に関するnote
例えば、ここで挙げた命題に答えられるようになりましょう。
四沙門果に関するnote
例えばこれ。
