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16.私の日記【ツリガネズイセンは我儘なんて言えない】


春、密やかに咲いた花は、日差しが強くなりゆくほど、深い緑に姿を変えた。


つくしはどこにも見当たらず、残るのは、林のように立ち並ぶスギナ。

ヒメオドリコソウはいつの間にか、赤ワインをこぼしたかのような色の絨毯に。

そして三つ葉のクローバーは、シロツメクサと一緒に、アスファルトとの境界線を曖昧にした。


繁栄する植物達に埋もれる花弁は、子ども達の目に届かない。

かつては花をつけた事さえ、そのうち忘れていくだろう。


少し乾いた、涼しい風が吹く。


青くて、遠い空。

白の水彩絵具を薄く引き延ばしたような雲が、サァーっと広がっている。


もうすぐ夏だ。



私はキャップを被り、鎌を振るう。

薙ぎ倒される植物は、私たちにとっての役目を終わらせていった。


娘に、何度も花を与えてくれた。

そして娘は、私に小さな花束を届けた。



愛らしく咲き、誰かに喜びを与えても、変わりゆく姿はやがて疎ましさに変わる。



愛しい娘たち。

いつか君たちも大きくなるんだろう。


乱暴な言葉で反発する娘。

子供っぽい洋服を嫌がる娘。

これからも少しずつ、成長していくんだ。


私は少しだけ寂しくなって、何も変わらなければいいのにと思った。

でも、そんな事にはならないし、望んでもいけない事だと、分かってるんだ。




私は無言で雑草を刈り払っては、アメリカンレーキで草の山を作る。



ただ、一つだけ。


私は、ツリガネズイセンを残した。

沢山の雑草の中に埋もれ、目立たずに咲いてたから。


当たり前の事だろうけど、何でもそうなんだ。


かわいいと思えば、何だってかわいい。

同じように、憎いと思えば、何だって憎かった。


足を置く場所だろうと、毒があろうと、その姿が愛らしいと思えば、残したいと願ってしまう。


それは愛なのか。

それともエゴなのか。



クサノオウは踏み潰し、ツルニチニチソウは引きちぎる。

ヒメオドリコソウは、時に花を愛で、しかし花弁を失えば、刈り取られる側だ。


いつも私が決めている。

大切に思うか、疎ましく思うか、全て私が決めているんだ。



私はツリガネズイセンに、カメラのレンズを向ける。

シャッターを切ろうとすると、娘の足が写り込んだ。


娘は、私に尋ねる。

『これは取ってもいいお花?』


私は、答える。

『かわいいから残しておこう。』


けれど、少しして思い直し、

『…でも、取りたかったら、取ってもいいよ。
毒あるから、触った後は手を洗おうね。』

そう伝えた。



すると娘は、

『パパが残したいなら、4才ちゃんは取らないよ。』

と言ったんだ。



春は終わっていく。

そして夏が来るだろう。




ツリガネズイセンだって、いつかは疎ましく思う日が来るかもしれない。



それでも今だけは、この愛らしさを残したいって、私はわがままを言いたくなったんだ。





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