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【MSA深層秘録FILE】ゴッホの『ひまわり』は、なぜ枯れているのか

「MSA深層秘録シリーズ」は、
世界各地に残された未解決事件、歴史の謎、説明不能現象を追うミステリー考察シリーズである。



ゴッホの『ひまわり』は明るい。
線で描くのではなく、絵の具を塗りたくった感じの立体感のあ理、力強さを感じる。
だが、よく見ると枯れかけているに違和感を覚える。
ポートレートでも肌色ではなく、いろんな色調で表現する人物像は見ていて楽しささえ感じる。
彼の生前唯一売れた『赤い葡萄畑』も夕暮れどき、たくさんの赤い葡萄がなった畑で精を出す人々の様子が赤中心の色調で描かれている。


生前、唯一売れた絵

しかし、それらは彼の10年の画家人生の中で最後の3年間ほどなのだ。
『赤い葡萄畑』も1888年、自決する1年前の作品になる。
実は、ゴッホの絵のほとんどは、薄暗い空間で、シルエットに近い人物画が多い。
それは彼が1830年代から発生したハルビゾン派に強い影響を受けていたこともある。ハルビゾン派とは、フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いたその流れをくむ画家のことだ。
大体色調は地味。
代表的な作例でいうと、ミレーの『落穂拾い(1857年)』だろうか。
ただ、それでもゴッホの作品はダントツに暗い色調になっている。
『テーブルにつく女』1885年などは、窓から入る淡い光でかろうじて服の色彩はわかる程度で表情は完全にシルエットで黒。
お世辞にも、これを買おうという人はいないだろう。

テーブルにつく女


1880年(27歳)〜1885年(33歳)のオランダ時代、画家初期時代の代表作と言われているのが『ジャガイモを食べる人々』と言われる作品だ。
狭く薄暗い部屋に五人の農民がジャガイモの皿を取り囲んでいる。ランプの光が顔を照らしているのが特徴的だが、ゴッホの弟テオへの手紙では「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように努めた」と書いている。
だとすると、私には、この作品は“意図が届いていない”ように見える。
私は少々写真を勉強しているのだが、写真で大切なのは構図。それが見る人の視線を誘導し、何かを伝えるのだ。
人は明るいところに視線を向ける傾向がある。この絵の場合、人物の顔や壁にランプの光が当たっている。そこで完結しており、視線が固定される。
手に視線はいかないのだ。
画家自身の想いはテオへの手紙で言語化されているが、肝心の絵にはそれを表現する技術、構図的なアイデアが欠如しており、表現できていない。
そういう意味で独りよがりな作品、”頭でっかち”な作品だと私は思う。

ジャガイモを食べる人々


しかし、薄暗い中でのランプの灯りの美しさ、こういう作風は私は好きだが、暗すぎて買う人はやはりいなかったようだ。
ゴッホは厳格な家庭に育っており、”普通”であることを望む両親がいた。
実は死産となった兄がいて、その兄の名をそのまま受け継いていた。そのため、墓石には
「フィンセント・ファン・ゴッホ」と刻まれていた。
「自分は死んだ兄の身代わり」に生まれてきたのかと疑問が頭がよぎったかもしれない。
16歳〜23歳が画商、23歳〜は仕事もせず、伝道師になろうとするが、貧乏人に寄り添いすぎて伝道師をクビになる。
居場所がない。
「自身は何者なのか?」そんな疑問に明確な回答を持つことができなかった。
このオランダ時代はそんな彼の半生を色濃く反映している作品が多い気がする。


パリ移住で激変した色調

ゴッホは、1885年〜1888年ごろまでパリで活動している。その際にパッと明るい色調の印象派の作品から強い影響を受けたようでガラリと作風が変わる。
それだけではない。それまでは他の画家と同じような方法で描いていたが、千切り絵のように絵の具が混ざらず、一つ一つが独立している点に見えるのだ。これはカミーユ・ピサロの1877年の作品、『虹、ポントワーズ』とどこか共通する“分解された描き方”にも見える。これは偶然だろうか。
こういった意欲的な変化の根本原因は、やはり評価が欲しかった。
それは売れることではない。
「自分が存在していい証明」が欲しかったのだ。
クリエーターである以上、人に評価されたいという願望は隠せない。
画家になって3年、全く売れず、それに仕事もしていない。
お金は弟テオの仕送りに依存している状態だった。
ある時、ゴッホは弟テオにこんな提案をしている。
「定期的に絵を君に送る。だから仕送りはその代価として欲しい」と。
これはゴッホが自分自身を守るため、自尊心を守るための”足掻き”だろう。
27歳から画家を目指すも一枚も売れずとなると、いよいよ家族のゴッホへの風当たりは相当なものだったと想像する。
父親はゴッホを精神病院へ送ろうとさえしているのだ。
色彩はその人の心の状態を表すともいうが、彼の作風が真っ黒なのはやはり”自分の居場所がない”ことにもがき苦しむゴッホ自身の内面を写していたのだろうと推測する。
有名な『ひまわり』も明るい色調の中で、生き生きと咲き誇る花ではなく、どこか枯れかけているのがわかる。
他の花をモデルにした絵もそうだ。
明るい色調を取り入れてはいるが、100%明るい作風にはなりきれていない。
そうすることでおそらく売れる作品はできるだろうと思っていたはずだが、そうしない。

いや、そうすることができなかったのではないだろうか。
ゴッホは”画家という立場”を確立するため、作品を売るために変えた。
しかし、そのために嘘をつくことだけは最後までできなかった。
絵は結局売れず、37歳で麦畑の中で自決したとされている。
自決の理由はわからない。
もしかすると、最後まで暗闇を彷徨い、この世に生を受けた理由を探し続けたが確立できなかった絶望感と、そこから逃れられない悟りからかもしれない。
しかし、死後1891年2月、ある展示会で、遺作の油絵8点と素描7点が出品された。また、同年3月にも、パリのアンデパンダン展で油絵10点が展示された。
『エコー・ド・パリ』紙に「かくも素晴らしい天分に恵まれ、誠に直情と幻視の画家がもはやこの世にいないと思えば、大きな悲しみに襲われる。」と、ファン・ゴッホを賞賛する文章が掲載されているのだ。
ゴッホの絵が成熟期を迎え、ちょうど展覧会に出品し始めた時に若くしてこの世を去ったことを考えれば、批評家によって承認されるまでの期間はむしろ短いかもしれない。
ゴッホの作品が実際に高値で取引されるようになるのは1900年以降、亡くなってから10年以上も後になってからだった。
1987年、日本のSOMPO美術館は、『ひまわり』を53億円という高額で落札した。
光だけの世界なんて嘘。
ゴッホはそれを知っていた。
だから彼の花はどこか枯れ始めていたのだ。
その中で、”フィンセント・ファン・ゴッホ”は今も力強く生き続けている。

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