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【MSA深層秘録FILE】古典ホラー映画の起源!名作『吸血鬼ノスフェラトゥ』は実話ベース!?

「MSA深層秘録FILES」は、
世界各地に残された未解決事件、歴史の謎、説明不能現象を追うミステリー考察シリーズである。


■作品情報

吸血鬼ノスフェラトゥ
Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens
Nosferatu logo.png
監督 F・W・ムルナウ
脚本 ヘンリック・ガレーン
原作 ブラム・ストーカー
製作 エンリコ・ディークマン
アルビン・グラウ
音楽 ハンス・エルトマン
撮影 F・A・ヴァグナー
ギュンター・クランフ
公開 ドイツの旗 1922年3月4日
上映時間 94分
製作国 ドイツの旗 ドイツ

もはや怖さはない。だけど魅力がそこじゃない映画が『ノスフェラトゥ』。
この映画はいまだにホラー映画ファンを惹きつける何かがある。
この映画を製作したドイツを。。。
「この作品以降、多くの悪評を立てられてきたホラー映画というジャンルの発祥の地」
という評論家もいるほど、この映画はカルト的ファンが世界中にいる。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督が1922年に製作したドイツの長編映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、全5幕で構成されている。

ノスフェラトゥとは、吸血鬼や不死者という意味で、この語源は、 "nosfur-atu" という古代スロヴァキアの言葉であり、それ言葉自体もギリシャ語で「病気を含んだ」を意味する "νοσοφορος" が由来のようだ。

西ヨーロッパの人々にとって、吸血鬼は病気を運んでくる者という側面もあったようだ。
これが映画のシナリオに組み込まれ、別の意味で批判すべき側面もあったりする。
本作『吸血鬼ノスフェラトゥ』を製作したプラナフィルム(Prana Film)というドイツの映画スタジオは1921年にエンリコ・ディークマンとオカルティストのアルビン・グラウによって設立された。
オカルトや超常現象をテーマにした映画の製作を目的としていたが、本作の公開直後に倒産したため、本作が唯一の製作作品となっている。

グラウは吸血鬼映画を撮るきっかけとなったのは戦争中に聞いた奇妙な体験談だったと語っている。彼の話では、1916年の冬、セルビア人の農夫が、「自分の父親は吸血鬼に殺された」と聞かされたとか。
これは評論家によると、宣伝の為の誇張だということだが、実はそうでもない。
ルーマニア地方には民間伝承で、吸血鬼ストリゴイ伝説があり地元民を震え上がらせていた。まだ医学も科学も全く発達していない中世の時代、吸血鬼は事実として捉えられていた。現代の我々も理解できない飛行物体をUFOと思ってしまうのと同義かもしれない。

確かに物語ではなく、歴史を記した記録書として古い文献が残っていたりする。
そこには奇妙で不可思議な事象が記されており、今では全て超自然現象として説明がついてしまったりすることだが、当時、吸血鬼ストリゴイは存在していたのだ。そのため、嘘とも言い切れないミステリーとなっている。

当時のドイツ映画としては珍しく、この「吸血鬼ノスフェラトゥ」では屋外での撮影が多く、実在の場所が多用されている。
一部評論家が「ホラーは、異常なものではなく、見慣れたものから生じる」と言っているように、F・W・ムルナウ監督のショットは自然主義的であり、ドキュメンタリータッチの要素も加味され、妙な生々しさがある。その不気味さが日常風景に浸透することによって、そのホラーな空気感を作り上げることに成功したようだ。

ただし、まだまだ技術的に試行錯誤の時代であり、またモノクロームだったことも災いして夜のシーンか、昼のシーンなのか、分かりづらさはあるが、そこはフィルム映画のレトロ感を楽しみたい。

ところで、このホラー映画よりもある意味怖い逸話がある。
ディークマンとグラウは、映画化権を取得していないにも関わらず、ヘンリック・ガリーンに『吸血鬼ドラキュラ』に触発された脚本を書くことを依頼している。
そして、ドラキュラは「ノスフェラトゥ」にし、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の登場人物の名前をドイツ風に変えて製作した。こうして、ドイツ語のオリジナルで「ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』原作」とはっきりクレジットしても問題ないと信じていたようだ。おそらく、権利購入しないといけないことを知らなかったのかもしれない。
ドイツで初公開された年、ブラム・ストーカーの未亡人であるフローレンス・ストーカーは、当然プラナによる著作権侵害に対して訴訟を起こした。
フローレンス・ストーカーはイギリスの法人作家協会に入会し、ベルリンの弁護士を介してプラナ社の法的後継者を訴えている。ストーカーは権利の対価として5000ポンドを要求したが、和解は不成立。
1925年7月、ベルリンの裁判所は、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のすべてのコピーを含む完全な映画資料を破棄しなければならないという最終判決を下した。
しかし、そのプリントを破壊されないように密かに隠し持っていた。
4年後、再びこの映画を上映しようとしたとき、フローレンス・ストーカーが勝利し、プリントは破棄された。
しかし、本作のプリントとされるものは既に世界中に配給され、長年にわたって複製されて、現在はYouTubeでも見ることができる。さすがノスフェラトゥ(不死者)である。

『吸血鬼ノスフェラトゥ』はカルト的なファンを獲得し、ホラー映画の起源とも言われているが、当時は興行的には大失敗でした。
主要な大規模映画館のプログラムにこの映画を入れることを拒否されたため、『ノスフェラトゥ』は単館系の小さな映画館でしか上映されなかった。

一方、フローレンス・ストーカーは『ドラキュラ』の映画化権についてユニバーサル社と交渉。

映画スタジオは4万ドルで権利を獲得し、1931年に最初の公認映画化作品であるトッド・ブラウニングの「ドラキュラ」を製作した。しかし、評価としては、本家のドラキュラよりも、権利無視の『吸血鬼ノスフェラトゥ』が評価が高い。しかも実は現代のドラキュラ像はユニバーサル版ドラキュラではないのだ。

吸血鬼ドラキュラとノスフェラトゥの違い

実は、今吸血鬼ドラキュラのお箱になってることが実はノスフェラトゥありきだったことがわかる。当初のドラキュラ伯爵は日光の下では超常的な能力が行使できないに留まっていたが、ノスフェラトゥの場合は致命的な弱点であり、昼間は寝ていなければならない。
結末もドラキュラとは大幅に異なり、最終的には日の出と共にエレナの自己犠牲によって太陽の光を浴びた吸血鬼ノスフェラトゥが滅ぶ。

ただ、この「吸血鬼ノスフェラトゥ」が独特なのはネズミの大群がペストを持ち込み、港町ウィスボーグの民衆に死の恐怖が襲いかかるところだろうか。
ドラキュラと違ってノスフェラトゥには病気を拡散するという古来からの伝承があったことと、人々の身近な恐怖で観客にリアルな恐怖感を煽る要素にもなっている。
また、このネズミとペストをもたらす異邦人ノスフェラトゥの設定が反ユダヤ主義の要素があると疑われているが、疑いではなく、はっきりと組み込まれている。
なぜ政治的なプロパガンダ的な要素が入ったかは次のとおりである


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