完璧じゃなくていい。|HSPのわたしが決めた静かなルール
子どもが眠ったあとの夜。
昼間のにぎやかさが嘘のように、部屋は静まり返っている。床に転がっていた小さなおもちゃを拾いながら、わたしは今日一日を思い返してしまう。
ふと胸の奥に浮かぶのは、満足感よりも
「ちゃんとできなかったかもしれない」
という感覚だ。
もっと外で遊ばせてあげればよかっただろうか。夕ご飯も、もう少し栄養のあるものにできたかもしれない。部屋だって、本当はもっときれいにしておきたかった。
そんな小さな後悔が、夜になると静かに浮かび上がってくる。母親になってから、わたしの中には「いい母親でいなければ」という見えない基準が生まれていた。家は整っているべきだ。子どもとはしっかり遊ぶべきだ。料理も手を抜いてはいけない。
誰に言われたわけでもないのに、わたしはいつのまにか自分にいくつもの役割を課していた。HSPのわたしたちは、小さなことによく気づく。部屋の乱れ、子どもの表情、空気の変化。だからこそ、「うまくできていない自分」にも敏感なのだろう。
けれど最近、わたしはふと思うようになった。完璧を目指し続けることは、本当に必要なのだろうか。
もしかすると、その努力はわたしの心を静かに疲れさせていただけなのかもしれない。
「ちゃんとした母親」でいようとする心
HSPの人は責任感が強いと言われる。人の気持ちに敏感で、周囲の空気を自然と読み取ってしまうからだろう。
母親になると、その性質はさらに強く働くのかもしれない。子どもにとって安心できる存在でありたい。きちんとした家庭を守りたい。
いい母親でいたい。その思いはとても自然で、むしろ優しさから生まれているものだ。
けれど、その優しさはときどき自分に向かってしまう。わたしの中にも、いつのまにか理想の母親像ができていた。いつも穏やかで、部屋は整っていて、子どもと笑顔で過ごす母親。
その姿に近づこうとするほど、今の自分の足りない部分が目に入ってしまう。
本当は誰も責めていないのに、わたしは自分の中で静かな評価を続けていたのかもしれない。
小さな乱れにも疲れてしまう心
HSPのわたしたちは、日常の小さな変化にとても敏感だ。部屋が少し散らかっているだけで落ち着かなくなることがある。
子どもの感情の揺れにも、思った以上に心が揺さぶられる。泣き声やぐずり、予定通りに進まない一日。それは育児では当たり前のことだ。
それでも、感覚のアンテナが細やかな人ほど、その一つひとつを強く受け取ってしまう。
なぜこんなに疲れてしまうのだろうか、と自分に問いかけたこともあった。
けれど、それは弱さではないのだと思う。
むしろ、それだけ世界を深く感じ取っているということなのかもしれない。
完璧を目指すほど苦しくなる理由
完璧を目指すことは、努力のように見える。
けれどそれは、ときどき静かな消耗につながる。もっとちゃんとやらなきゃ。まだ足りない。次はもう少し頑張ろう。
その繰り返しの中で、わたしは自分を励ましているつもりだった。でも同時に、自分を追い込んでもいたのだろう。
HSPの観察力は鋭い。だからこそ「できていること」よりも「できていない部分」に目が向きやすい。理想を追いかけるほど、足りないところばかりが見えてしまう。それはまるで、
終わりのない階段のようだった。
わたしが決めた「静かなルール」
そんな日々を過ごす中で、わたしはあるとき
小さな決心をした。
完璧な母親を目指すことをやめよう、
という決心だ。もちろん、子どもを大切に思う気持ちは変わらない。できることなら、毎日きれいな家で、栄養のある料理を作り、笑顔で子どもと遊んでいたい。
けれど、それを
「必ずやらなければいけない義務」
にしてしまうと、心は静かに疲れていく。
だからわたしは、自分のためにいくつかの小さなルールを決めた。それは誰かに見せるためのルールではなく、わたしの心を守るための
、とても静かな約束だ。
まず一つ目は、
「できない日があってもいい」
と自分に許すことだ。
以前のわたしは、できなかったことばかりを数えていた。今日は外に遊びに連れていけなかった。夕飯も簡単なものになってしまった。部屋も少し散らかったままだ。
そんなふうに、一日の終わりに自分を評価してしまっていたのだろう。
でも、よく考えてみると、毎日同じように動ける人なんていない。体調もあるし、気持ちの波もある。子どもだって毎日違う。
だからこそ、うまくできない日があるのは自然なことなのかもしれない。そう思えたとき、わたしの中で何かが少しほどけた気がした。
二つ目のルールは、
「わたしの心が疲れている日は、立ち止まってもいい」
ということだ。
HSPのわたしたちは、たくさんの刺激を受け取る。音、空気、人の感情、子どもの声。気づかないうちに心がいっぱいになってしまうこともある。そんなときまで無理をして動き続けると、心はさらにすり減ってしまう。
だから最近は、疲れていると感じたら、あえて少しゆっくりするようにしている。家事が少し後回しになってもいい。今日は簡単な料理でもいい。そんなふうに考えられるようになったとき、わたしの中の呼吸が少し深くなった気がした。
三つ目のルールは、
「比べない」
ということだ。
SNSを見れば、きれいな部屋で暮らす人、
丁寧な食事を作る人、子どもと楽しそうに過ごす人の姿がたくさん目に入る。
以前のわたしは、それを見るたびに
「わたしはまだ足りない」
と思ってしまっていた。
でも最近は、少し違う見方ができるようになった。それぞれの家庭には、それぞれのリズムがある。見えているのはほんの一部分で、すべてではない。わたしの暮らしには、わたしの静かなリズムがあるのだと思う。
そして最後のルールは、
「わたし自身を責めすぎないこと」
だ。母親になると、子どものことばかりを考えるようになる。子どもが笑っているか、困っていないか、安心しているか。そうやって外側ばかりに意識を向けていると、自分の心を後回しにしてしまう。
でも、わたしの心が疲れてしまえば、その疲れはきっとどこかで子どもにも伝わってしまうのだろう。だからこそ、わたし自身を大切にすることも、きっと大事なことなのだと思う。
こうして並べてみると、とても当たり前のことのように見えるかもしれない。
けれど、以前のわたしにとってはどれも簡単なことではなかった。「ちゃんとしなきゃ」と思い続けてきた時間が長かったからだろう。
それでも少しずつ、この静かなルールを思い出すようになってから、わたしの心はほんの少し軽くなった。完璧でなくてもいい。今日できることを、今日の分だけやればいい。
そう思えたとき、わたしはようやく、
自分の呼吸の速さに戻れた気がしたのだ。
まとめ
母親になると、いつのまにか
「こうあるべき」
という静かな基準に囲まれてしまう。
家はきれいに保つべきだ。子どもとはたくさん遊ぶべきだ。料理もきちんと作るべきだ。
そんな言葉を誰かに言われたわけではないのに、わたしはいつのまにか自分に課していたのだろう。
HSPのわたしたちは、周囲の空気や小さな変化によく気づく。その繊細さは優しさでもあるけれど、ときに自分を追い込む力にもなってしまう。気づきすぎるからこそ、「足りない部分」も見えてしまうのかもしれない。
けれど最近、わたしは少しずつ思うようになった。完璧であることよりも、心が穏やかであることのほうが大切なのではないだろうか。
部屋が少し散らかっていてもいい。
今日は外に遊びに行けなくてもいい。
料理が簡単な日があってもいい。
そうやって小さく自分をゆるしたとき、
わたしの心は少しだけ軽くなった。母親である前に、わたしもひとりの人間だ。疲れる日もあれば、何もしたくない日もある。
それでも子どもを大切に思う気持ちは変わらない。完璧じゃなくても、愛はきっと届いているのだろう。
だからこれからも、わたしはこの静かなルールを胸に、わたしなりのペースで日々を歩いていこうと思う。
moonrestより、
静かな希望を込めて 🌙
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