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優しい人ほど傷つく。|HSPのわたしが抱えやすい心の構造

夜、部屋が静かになったあと。
一日の終わりに、ふと誰かの言葉を思い返してしまうことがある。昼間の出来事なのに、なぜか頭の中から離れない。あのときの声の調子。ほんの少しの沈黙。相手の表情の奥にあった、あの微かな空気。

相手はきっと、深い意味で言ったわけではないのだろう。それでもわたしの心は、その言葉を何度も思い返してしまう。あのとき、わたしの返事は間違っていなかっただろうか。もしかすると、相手を困らせてしまっただろうか。
そんな問いが、静かに胸の奥を巡っていく…

わたしは昔から、人の気持ちを考えすぎてしまうところがある。相手がどんな気持ちでいるのか。わたしの言葉は相手を傷つけていないだろうか。そう考えることが、いつのまにか当たり前になっていた。

人と話すとき、わたしは自然と相手の反応を感じ取ろうとする。声のトーンが少し変わったとき。表情がほんの一瞬だけ曇ったとき。その小さな変化に気づくと、わたしの心はすぐに立ち止まる。

相手を傷つけたくない。相手に安心していてほしい。そんな思いがあるから、言葉を選び、空気を読み、相手の気持ちを優先するようになったのだろう。

けれど、そんなふうに人と関わり続けていると、ときどき不思議な感覚に気づく。誰かのために優しくしようとするほど、
わたしの心は少しずつ疲れていくのだ。

どうしてだろう。

どうして優しい人ほど、
こんなに傷つきやすいのだろうか。

人の気持ちに触れすぎてしまう夜

わたしは人の感情にとても敏感だ。
相手が疲れているとき、言葉に出さなくてもその空気を感じてしまう。声のトーンがほんの少し低いとき。返事の間がいつもより長いとき。その小さな変化を、わたしの心はすぐに拾い上げてしまう。

誰かが元気がないとき、その理由を考えてしまう。わたしの言葉が何か影響したのだろうか。それとも、ただ相手が疲れているだけなのだろうか。そんなふうに考え始めると、わたしの心は相手の感情の中へ静かに入り込んでいく。

ときどき、相手の気持ちが自分の感情のように感じられることがある。相手が落ち込んでいると、わたしまで心が重くなる。
相手が怒っていると、その空気が胸の奥に残る。気づけば、わたしの心は相手の感情の温度に影響されているのだ。

それはきっと優しさなのだろう。誰かの気持ちに寄り添う力でもある。ただ、その感覚が強すぎると、自分の心と相手の心の境界が少し曖昧になる。気づけば、わたしは自分の感情よりも、相手の感情のほうを強く感じている。

わたしの気持ちは後ろに下がる

人と関わるとき、わたしは自然と相手を優先してしまう。相手が困らないように、相手が安心できるように。
そんなことを考えるうちに、自分の気持ちはいつも少し後ろに下がっている。

本当は疲れている日でも、頼まれごとを断れないことがある。相手を困らせたくないという気持ちが先に立ってしまうからだ。
本当は少し無理をしているのに、そのことを言葉にする前に「大丈夫」と言ってしまう。

相手がどう感じるかを想像することに慣れすぎて、自分がどう感じているのかを後回しにしてしまうのだ。
気づけば、わたしの心の中心には

「相手の気持ち」

が置かれている。
わたし自身の気持ちは、その少し後ろに静かに立っている。

そんな状態が続くと、わたしの感情は少しずつ疲れていく。本当は何を感じているのか、自分でもよく分からなくなる瞬間がある。優しさのつもりで続けてきた行動が、いつのまにか自分の心を遠くへ押しやっているのだ。

傷つきやすい心の理由

誰かの言葉が、長く心に残ることがある。 相手にとっては軽い一言だったとしても、
わたしの心にはその余韻が残る。どうしてあんな言い方をしたのだろうか。わたしは何か間違えただろうか。
そんな問いを、何度も繰り返してしまう。

ときどき、自分でも思うことがある。どうしてこんなに気にしてしまうのだろうか。
もう少し気にしない人になれたら、
きっと楽なのだろう。

それでも、わたしの心はその言葉を無視できない。相手の言葉の奥にある感情を想像してしまうからだ。
もしかすると、あのとき相手は少し疲れていたのかもしれない。何か別のことで心がいっぱいだったのかもしれない。

そんなふうに考えていると、相手を責める気持ちは消えていく。ただその代わりに、わたしの心には静かな痛みだけが残る。
傷つきやすいというのは、きっと多くのことを感じ取ってしまうということなのだろう。

わたしの心を守る小さな境界線

最近、わたしは少しだけ考え方を変えてみようと思っている。人の気持ちに寄り添うことは大切だ。ただ、そのときに自分の心を置き去りにしないことも同じくらい大切なのではないだろうか。

相手の感情は、相手のものだ。
わたしの心は、わたしのものだ。

その境界を静かに意識するだけで、
心の疲れ方は少し変わる気がしている。

誰かが落ち込んでいたとしても、その感情をすべて抱え込む必要はない。相手に寄り添うことと、自分の心を守ること。
その二つはきっと両立できるのだろう。

優しい人は、ときどき自分を守ることを忘れてしまう。わたしもきっと、そうだったのだと思う。けれど最近、少しずつ気づき始めている。優しさというものは、誰かに向けるだけのものではないのだと。

まとめ

優しい人ほど傷つく。そんな言葉を聞くたびに、わたしは少し考えてしまう。どうして優しさは、ときどき心を疲れさせるのだろう。

わたしはこれまで、人の気持ちに寄り添おうとしてきた。相手が安心できるように、相手が傷つかないように。その気持ちは、決して間違いではなかったのだと思う。

ただ、その優しさをすべて外へ向けてしまうと、わたしの心は静かに疲れていく。
だからこれからは、少しだけ意識を変えてみたい。

誰かに向けてきた優しさを、
ほんの少しだけ自分にも向けてみること。
それがきっと、わたしの心を守る小さな方法なのだろう。

moonrestより、
静かな希望を込めて 🌙

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HSPやアダルトチルドレンなど、生きづらさの心の構造について静かに言葉にしています。

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月明かりのような静かな時間が、
あなたの心に届きますように。🌙✨️🙏
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