昭和、男もつらかった 23 母親はやさしいばかりでなく…④
(「母親はやさしいばかりでなく…」③より直接続く)
①、②、③のとおり、幼い頃の二夫(つぎお。父)は母・ハル(祖母)にべったり。やさしいだけでなく文字も読める母親は、尊敬の対象でもあった。
「11 家族(母親)」で述べたようにハルは小学校中退だ。もっとも明治の中頃、そんな子供はもちろん、学齢になっても入学しない子供はたくさんいた。もちろん経済的な理由からだ。
だがハルのすごいところは、習ったことを忘れないことだった。帳面(ノート)のような高いものは当然買えない。石板に白墨(チョーク)で手習いする子供も少しいたが、石板はそのへんの大きめの石を使うとしても、白墨を買わなけれならない。ハルは学校で習ったことは暗唱したり、唱歌だったら繰り返し口ずさんで、「自分のものにした」。記憶力がよかったし、自分に合った「学習法」を自然と身につけていたのだ。
その能力はのちに東京へ奉公に出てからもいかんなく発揮された。奉公先の奥様から教わることはすぐに覚えた。覚えきれないことは繰り返し口に出したり、自分でやってみたり、竈の灰に小枝で書いたりして覚えた。熱心なハルを見て、奥様が使い古した紙をくださることもあった。えんぴつはないので消し炭で書いた。
簡単な算術も(いま風に言えば)マスターした。奥様に言われてお使いに行ったり御用聞きにお金を払ったりするとき、計算間違いすると給金から引かれかねない。そうならないようハルは慎重に計算し、ヒマを見ては暗算の練習もした。
もっとも奥様は厳しくなく、むしろ利発なハルをかわいがり、なんでも教え、させてくれた。針仕事の基本は子供のうちにできていたハルだったが、奥様に習って単衣の着物も縫えるようになった。
そんなハルの「先進的」な経験と能力は、吉太郎との再婚後は「副業」のための野菜作りや味噌醤油づくり、それらの行商で発揮された。とくに行商のときの代金のやりとりでは。下手な商品を売らないこと、お得意さんやたくさん買ってくれる相手には少し「まけて」あげること、何より信用を得ること……。
違う種類の野菜の、相手が必要な数の分の代金をたちまち暗算で計算してしまうハルを、行商にくっついて行く――正確には天秤棒に下げた籠に載せられていく――二夫は、心から尊敬した。もちろん「そんけい」という言葉は知らない。
「おっかんは、わっぜえか。ないでん できやっ」
(かあちゃんはすごい。何でもできるんだ!)
と目を丸くするのだった。
