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本能寺の変1582 【重史241】1/2 『日本史』 №5-368 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史241】1/2 『日本史』     №5-368 

はじめに ←目次 
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
 
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
 
【信長という男】 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 結論 【重史146】
 【光秀という男】
 【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
 【5月26日】 【5月27日】 【5月28日】 【5月29日】 ← 
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【重史241】1/2                  №5-368

①信長の宮廷に
 惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。

②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、

③信長の治世の初期には、
 公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた

④その才略、深慮、狡猾さにより、

⑤信長の寵愛を受けることとなり、

⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。

                        『日本史』

 光秀と細川藤孝が出会った時期について。
 永禄十年1567、秋。
 信長が美濃を平定した。   →【重史096】 【重史097】 そ第28話
 そして、「天下布武」。                →そ第29話①

 同年、冬。
 足利義昭は、越前一乗谷にいる。     →【重史100】 そ第29話②
 藤孝は、御供衆。                  →【重史051】 
 側近、最重臣の一人である。

 同じ頃。
 光秀もまた、越前にいた。
 「長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故」         →【重史025】
 雌伏時代である。                  →そ第151話①

 信長が、義昭を擁して上洛するのが、翌永禄十一年1568の秋。
 冬は、雪のため、国境が閉ざされる(十~二月頃か)。
 また、準備・摺合せ等の時間も必要だったであろう。
 
 これらを考慮すれば、
 光秀は、遅くとも、永禄十年1567 十一月頃までには、細川藤孝に出会
 っていた、ということになる。

 となれば、冬になる前・・・・・。 
 摺り合わせ等、準備期間を含めれば、この辺りが、ギリギリのタイミング
 になるのではないだろうか。

 おそらく、それより、もう少し、早い時期。
 義昭が、まだ、敦賀にいた時。
 かつ、信長が、稲葉山を攻略した頃。 →そ第28話
 その、直後のあたりか、・・・・・。

 ①②③
 光秀は、細川藤孝に仕えた。
 以下、フロイスの証言である。
 「信長の治世の初期」とあるから、永禄十一年1568前後のこと。
 
   信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。   
   彼はもとより高貴の出ではなく、信長の治世の初期には、
   公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していたのであるが、

 きわめて、流動的な時代だった。
 まだ、「上洛」の前。
 流動的な色合いの濃かった時期である。

 光秀は、元幕府奉公衆 明智氏の庶流。
 後に、幕臣(足軽)になる。

 このことを考えれば、藤孝の家臣だったというよりも、義昭に仕官するた
 め藤孝を頼った人物だったのではないだろうか。
 それまでの間、もっと、フリーな立場(食客・協力者など)で、藤孝を補佐
 していたように思う。 

 また、次の史料にも、これに類する記述がある。

  →【重史102】「多聞院日記」天正十年六月十七日条
   「細川ノ兵部太夫が中間にてありしを」

 光秀と細川藤孝は、密接な関係にあった。
 
「天下布武」
 これすなわち、準備完了の意。
 信長の意思表示である。
 「上洛」
 正に、ベストタイミング。
 ならば、「交渉再開」。 

 ところが、あいにく、季節は、冬。
 となれば、来たる春。 

 おそらく、光秀は、細川藤孝と、表裏一体となって、信長との交渉に当た
 った・・・・・。

 その様な、流れだったのでは、ないだろうか。
 そう、推測するが、如何だろうか。

 ④⑤⑥
 光秀は、出来る男。
 キレ者である。
 優れた能力の持主だった。
 フロイスは、そのことを次の様に表現している。

  その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、
  主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
                            (『日本史』)

 信長は、イエズス会の庇護者。
 光秀は、その信長を殺害した男。
 彼らは、光秀に対して悪感情をいだいていた。

 光秀は、忠義心が希薄な人物だった。
 光秀は、土岐氏の元家臣。
 主家の没落により、牢人となった。

  →【重史002】「立入左京亮入道隆佐記」
   「美濃国住人、土岐の随分衆なり」                      

 その後、長い雌伏の時代を経て、藤孝の家臣となる。  →そ第151話①
 程なくして、幕府の再興により、幕臣(足軽)に取り立てられる。
 だが、やがて、主君 将軍義昭を見捨て(主替え・裏切り)、信長のもとへ。

  土岐氏→牢人→藤孝→義昭→信長

 以上、度々、主君を替えている。

 そして、最終的には、・・・・・。
 その信長をも、裏切ることになる。
 それが、天正十年1582六月二日、「本能寺の変」。

 光秀は、自立心が強かった。
 裏を返せば、そういうことになる。

 このこともまた、「本能寺の変」の一因となった。
 すなわち、光秀の人物像(性格)に関わる部分。
 要注意!!

  【引用】【光秀という男】【重史241】 1/2
      【重史101】 そ第30話① ◎第30話 第30話


 【参照】3光秀と光慶 (1)光秀の素性 6転機
     この事件が、転機となった。
     やがて、光秀は、細川藤孝と巡り会う。

  
そ第19話   永禄八年1 義輝の最期      ◎第19話 第19話
  そ第20話①  永禄八年2 幕府再興へ      ◎第20話 第20話
  そ第20話②  永禄八年3 越後の上杉      ◎第20話 第20話
  そ第21話   永禄八年4 尾張の信長      ◎第21話 第21話
  そ第22話   永禄九年1 二つの流れ           第22話
  そ第23話   永禄九年2 上洛決定       ◎第23話 第23話
  そ第24話   永禄九年3 美濃の斎藤 矢島襲撃 ◎第24話 第24話
  そ第25話①  永禄九年4 織上、違変せしめ   ◎第25話 第25話
  そ第25話②  永禄九年5 織上、天下の嘲弄   ◎第25話 第25話
  そ第26話①  永禄九年6 上洛不発1           第26話
  そ第26話②  永禄九年7 若狭へ             第26話
  そ第27話①  永禄九年8 上洛不発2      ◎第27話 第27話
  そ第27話②  永禄九年9 越前敦賀へ      ◎第27話 第27話
  そ第28話   永禄十年1 天下布武1      ◎第28話 第28話
  そ第29話①  永禄十年2 天下布武2      ◎第29話 第29話
  そ第29話②  永禄十年3 越前一乗谷      ◎第29話 第29話
  そ第30話①  永禄十年4 藤孝の中間      ◎第30話 第30話

 【参照】3光秀と光慶 (1)光秀の素性 5再興
     これが、光秀の悲願。
     立身出世の原動力になった。

  そ第151話① 明智の再興  越前称念寺 雌伏の時代  ◎151 151
  そ第151話② 光秀の実像1 戦国武将1 明智の再興  ◎151 151
  そ第152話① 光秀の実像2 戦国武将2 再興の手段  ◎152 152
  そ第152話② 光秀の実像3 戦国武将3 七十二の方法 ◎152 152
  そ第152話③ 光秀の実像4 戦国武将4 酷評     ◎152 152
  そ第152話④ 光秀の実像5 戦国武将5 主替え    ◎152 152

 【参照】◎第52話① ◎第52話②



 ⇒ 次へつづく





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