見出し画像

ミシュナ『Sotah』法理研究 第1回:聖域の審理に至る客観的要件とサンヘドリンによる尋問プロセス

※本稿は、古代イスラエルのモーセ五書(トーラ)と口伝律法ミシュナにおける婚姻法および裁判手続きを、歴史学的・律法学的視点から解析する研究である。記述に含まれる「性的関係」等の表現は、すべて一次資料の法定義を正確に論じるための学術的用語であり、性的好奇心を喚起する意図は一切含まれない。

 本稿では、民数記5章に記述された「姦淫の疑惑を持たれた妻」の儀式について、口伝律法ミシュナ『Sotah(ソーター)』の定義に基づき、その厳格な法的プロトコルを解析する。

 現代の通俗的な解釈が陥りがちな主観的な憶測を排し、証人規定、法廷の手続き、サンヘドリンの役割、義人の物語により告白を促す心理的装置、更に神殿における物理的な移動が持つ律法学的意味を一次資料から再構築する。


序論:民数記5章「姦淫の疑惑」に対するミシュナ的アプローチ


 ここ数回、民数記6章のナジル人について書いてきた。これより1つ前の章、民数記5章には新共同訳聖書で「姦淫の疑惑を持たれた妻の判決法」という小さなタイトルが付けられた箇所が載せられている。

 おそらく読者の方々におかれても、この箇所をどのように受け止めたらいいのか当惑されていると思う。今回から数回、この箇所を扱うことにする。

 まずはトーラから。

 11主はモーセに仰せになった。
 12イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 ある人の妻が心迷い、夫を欺き、 13別の男と性的関係を持ったにもかかわらず、そのことが夫の目に触れず、露見せず、女が身を汚したことを目撃した証人もなく、捕らえられなくても、 14夫が嫉妬にかられて、事実身を汚した妻に疑いを抱くか、あるいは、妻が身を汚していないのに、夫が嫉妬にかられて、妻に疑いを抱くなら、 15夫は妻を祭司のところへ連れて行く。

(民5:11~15)

 本文だけ見ると、夫が「嫉妬にかられて、妻に疑いを抱く」という主観において、妻を祭司の所へ連れて行くことが可能であるように読める。

 しかし実はここには客観的な基準が定められている。口伝律法ミシュナ「Sotah(ソーター)」1章1節に次のように書かれている。

法的要件の定義:警告と隔離の証人規定

 妻に警告する者は 、―ラビ・エリエゼルは言う、「2人の証人の前で警告しなくてはならない。しかし彼は苦い水を1人の証人、もしくは自らの証言で飲ませることが出来る。

(Sotah 1:1)

 冒頭の「妻に警告する者は」という点について、これはある特定の男性と2人きりにならないように、夫が警告するという事である。これを2人の証人の前でしなくてはならない。

 これが妻の疑わしい行為に対する最初の律法上の行為になる。

 「しかし彼は苦い水を1人の証人、もしくは自らの証言で飲ませることが出来る」とは、その次の夫の行動について言っている。

 特定の男と2人きりにならないようにという警告を妻が無視し、2人きりになった場合、自分もしくは1人の証人の証言によって、「苦い水」を飲ませることが出来るとする。ここではとりあえず、「エルサレム神殿の祭司のもとへ連れて行く」とイメージすればよい。

 「苦い水」については後述する。

 この点、ミシュナの続きには異論もある。次のように書かれている。

 ラビ・ヨシュアは言う、「彼は2人の証人の前で警告しなくてはならないし、苦い水を2人の証人の証言に基づいてしなくてはならない。」

(Sotah 1:1)

 ラビ・ヨシュアによると、夫は2人の証人の前で、妻に特定の男と2人きりにならないように警告する点では同一だが、その後妻が夫の警告を無視する点についても、2人の証人を要すると主張する。

 次節に進む。

sotah(ソーター)の法的地位の成立とterumah(奉納物)の権利喪失

 彼はどのように警告しなくてはならないだろうか?もし彼が2人の証人の前で「誰々と一緒に話してはいけない」と言い、彼女が彼と話すなら、―彼女はまだ夫には許されている。彼女はterumahを食べてもよい。もし彼女が彼と隔離した場所へ行き、汚されるのに十分な時間を過ごしたなら、―彼女は夫に禁止されるし、terumahを食べることも出来ない。

(Sotah 1:2)

 これは重要な口伝律法になる。

 「彼はどのように警告しなくてはならないだろうか?・・・彼女はまだ夫には許されている」とは、特定の男性について警告した後、もし妻がその男性と会話をしたなら、「彼女はまだ夫には許されている」、夫は彼女と結婚生活を継続することが許される。

 「彼女はterumahを食べてもよい」とは、もしも夫が祭司であるなら、祭司の家族の権利であるterumahを妻として食べることが出来ることを言っている。

 次の「もし彼女が彼と隔離した場所へ行き、汚されるのに十分な時間を過ごしたなら」とは、性行為するのに十分な時間をその男性と過ごしたことを言っている。

 彼女は夫の警告を無視したのである。

 この場合、「彼女は夫に禁止されるし、terumahを食べることも出来ない」。

 これは説明を要する。この時点で彼女は、姦淫の罪を犯したのかどうかは明らかではない。しかし彼女は証人たちの前で、夫から正式に警告を受けた。それにも関わらず、その男性と2人きりになった。

 その為に、律法上公式に姦淫の事実が疑われる立場になったのである。この立場をsotah(ソーター)と呼ぶ。

 sotahは夫との結婚生活を継続出来ない。もしも継続したいなら、トーラの民数記5章15節以下の手続きを踏まなくてはならない。

 もしもそれを拒むなら、夫は彼女を離縁しなくてはならない。それが「彼女は夫に禁止されるし、terumahを食べることも出来ない」と述べていることの内容である。彼女はterumahも禁止される。

 次節に進む。

 以下の女性たちはterumahを食べることが出来ない。「私は姦淫した」と言う者、もしくは姦淫を証言された女性、または「私は飲まない」と言う者、または夫が彼女に飲ませようとしない者、または道の途中で夫と寝た女性。

(Sotah 1:3)

 1つずつ確認する。「『私は姦淫した』と言う者」とは、自白した妻について言っている。

 夫を裏切り、姦淫した妻は離縁されなくてはならない。勿論terumahは禁止される。

 「姦淫を証言された女性」とは、現実にはおよそ起こりにくい事であるが、2人以上の証人がその姦淫の現場を確認したと証言した場合である。

 「『私は飲まない』と言う者、または夫が彼女に飲ませようとしない者」とは、後述の苦い水を飲むことを拒む妻、または夫自身が飲ませようとしない妻のことである。

 公式にsotahの立場に立ったなら、祭司のもとへ行かないで、やり過ごすことは出来ない。

 「または道の途中で夫と寝た女性」とは、夫がエルサレムの祭司のもとへ連れて行こうとした道中について言っている。

 彼女はsotahであるので、夫は性行為してはならない。

 その夫が戒めを破り、もしも道中で妻と性行為をするのなら、苦い水を飲ませること自体出来なくなる。夫は彼女を離縁しなくてはならない。

 続きには以下のように書かれている。

エルサレムへの護送プロセス:2名の賢明な男子による監視と戒め

 彼はどのように彼女に応対しなくてはならないだろうか?彼は法廷に連れて行き 、彼らは2名の賢明な男子を任命する。夫が道中妻と関係することのないように。ラビ・ユダは言う、「夫は信用することが出来る。」

(Sotah 1:3)

 夫が最初にしなくてはならないことは、妻を地方の法廷に連れて行くことである。そこで彼は、事前の警告と、妻が従わなかったことを述べる。

 法廷は2人の賢明な者を任命し、エルサレムまで随行させる。彼らはsotahに関する律法に通じていなくてはならない。

 2人は道中夫が妻と性行為しないように忠告する。

 次節に進む。

 彼らは彼女をエルサレムのサンヘドリンに連れて行く。そこで彼らは彼女に恐怖を起こさせる 、証人たちの内に恐怖を起こさせるのと同様に。彼らは彼女に言う、「娘よ、ぶどう酒は不適切なことを引き起こす、軽率さ、子供っぽさ、悪い隣人は引き起こす。偉大な神の名の為に、その名が書かれた方の為に告白しなさい、水の中に消されることのないように。」それから彼らは彼女に対して、彼女も、彼女の家族も聞くに値しない出来事を話す。

(Sotah 1:4)

 まず冒頭の「サンヘドリン」は71人の最高法院のことである。判事たちは妻に対して、自分のしたことを告白するように忠告する。

 「偉大な神の名の為に、その名が書かれた方の為に告白しなさい、水の中に消されることのないように」というのは、その理由を説明したものである。

 妻が飲む水には、神の名を記した羊皮紙を溶かす。罪を犯した女性がそれを飲むことは、恐ろしい結果を引き起こす。

 「彼らは彼女に対して、彼女も、彼女の家族も聞くに値しない出来事を話す」というのは回りくどくて分かりにくいが、次のようなことを言っている。

 義人は罪を犯したなら、自分のしたことを告白する。創世記38章にはヤコブの子のひとりユダが、嫁であるタマルが娼婦に扮していたものとは知らず、関係した経緯を語っている。

 タマルがそのようなことをした事情を述べた時、ユダは自分の間違った振る舞いが嫁の行為を引き起こしたこと、タマルと関係した者は自分であることを告白した。

 私たちは義人と呼ばれるに値しないし、判事たちの前に連れて来られる妻もそうであるが、こういった義人の話をするのである。それに倣うように。

 次節には下のように書かれている。

 もし彼女が「私は姦淫を犯しました」と言うなら、彼女は結婚証書の為に領収証を書き、離縁される。しかしもし彼女が「私は清い」と言うなら、彼らは彼女をニカノールの門の向かいにある、東の門へ連れて行き、それから姦淫を疑われる妻に苦い水を飲ませる。そこで出産した女性を清め、tzaraatから回復した者を清めるのである。

(Sotah 1:5)

 姦淫の罪を犯した女性は、ketubahを受ける権利を失う。ketubahとは離縁された時、または夫に死別した時に妻が受ける保証金のようなものである。

 ここで自分の罪を告白するなら、彼女はそれを受け取ることは出来ず、領収証を書くことを言っている。

 次に書いているのは、潔白を主張した場合である。

 「彼らは彼女をニカノールの門の向かいにある、東の門へ連れて行き」の箇所が複雑である。

 判事たちが妻に告白を促したのは、サンヘドリンの議場であった。これはLishkat HaGazit(リシュカット・ハガジット)で赤いしるしの場所である。復習の為に場所の図と記事のリンクを貼っておく。

サンヘドリンの議場であるLishkat HaGazit

◉イエスを裁いた最高法院における裁判について(上)――神殿の「Lishkat HaGazit(リシュカット・ハガジット:切り石の間)」と座席禁止規定の矛盾

https://note.com/mishnah/n/nfdd178d93af0

 そこから「ニカノールの門の向かいにある、東の門へ」連れて行くのであるが、これは神殿の丘の麓にある門である。

 つまりわざわざ山を下りることになる。Lishkat HaGazitから直接ニカノールの門へ行き、そこで苦い水を飲ませるのではなく、長い距離を歩かせる。

 その道中の時間において、妻に告白の機会を与えているのである。ニカノールの門は上の写真の緑の部分である。

 東の門へ行き、ニカノールの門まで戻って来て、妻に苦い水を飲ませる。この場所は図の通り、聖所に向き合っている。

 ユダヤ教徒の女性が入れるのは、ここまでである。ミシュナ本文の通り、そこは「出産した女性を清め、tzaraatから回復した者を清める」場所である。

 それぞれについて、確かめたい方は以下の記事を確認して欲しい。

◉ルカによる福音書2章の『問題』を解く――ミシュナが明かすイエスの奉献と、出産後の清めの真実

https://note.com/mishnah/n/n71b71f92a1f8

◉生きながらにして死ぬ者、重い皮膚病(tzaraat:ツァラアト)の真実 (下)―― なぜ「絶望の追放者」は「祭司」と同じ儀式で復帰するのか

https://note.com/mishnah/n/n2913685871ea#f9970816-501d-448a-92a4-64c36a8be0c2

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉ユダヤ法における結婚・離縁・家族の法理学

https://note.com/mishnah/n/ndeee1c7e77b4


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

いいなと思ったら応援しよう!