生きながらにして死ぬ者、重い皮膚病(tzaraat:ツァラアト)の真実 (下)―― なぜ「絶望の追放者」は「祭司」と同じ儀式で復帰するのか
*聖書の中で「重い皮膚病」と訳される「tzaraat(ツァラアト)」。これは現代医学が定義する皮膚疾患ではなく、自らが否定してきた共同体から追放され、「人々との生活」を振り返る機会でありました。
本稿では旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)と口伝律法(ミシュナ)を紐解き、宿営の外へ追放された者が「祭司の任職式」にも匹敵する厳格なプロセスを経て、再び共同体へと「再生」していく2段階の全貌を解説します。
はじめに:前回の振り返り
前回は以下の内容について見た。
福音書で「重い皮膚病」と訳されているものは、皮膚病その他の疾患ではないこと。
その為ユダヤ教の聖書では、ヘブライ語の音をそのまま使って「tzaraat(ツァラアト)」と表記していること。
衣類、家屋に現れる「かび」も原語は「tzaraat(ツァラアト)」であること。
人、衣類、家屋いずれの場合も「tzaraat(ツァラアト)」は神の不興を買っているしるしであり、実際は家屋、衣類、人の順番に現れること。それは「tzaraat(ツァラアト)」が段々と罪人本人に近付く過程であり、早い段階での悔い改めを求められていること。
「tzaraat(ツァラアト)」を宣言された者は「metzora(メツォラ)」と呼ばれること。
「metzora(メツォラ)」は宿営の外(町の城壁の外)へ追放されること。
「metzora(メツォラ)」は近親者を亡くした者のように衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆う。そして自分がmetzoraであることを叫び続けること。
今回はmetzoraが悔い改め、祭司に見せ、清めの手続きを経て共同体に復帰する内容を扱う。旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)の本文に従い、2段階に分けて解説する。
(前回の記事はこちら)
◉生きながらにして死ぬ者、重い皮膚病(tzaraat:ツァラアト)の真実 (上)――無言で罪を告発する皮膚の異変
https://note.com/mishnah/n/n82fb385526a5
第1段階(レビ14:2~9)
トーラ本文は以下の通りである。
以下は重い皮膚病を患った人が清めを受けるときの指示である。彼が祭司のもとに連れて来られると、祭司は宿営の外に出て来て、調べる。患者の重い皮膚病が治っているならば、祭司は清めの儀式をするため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる。次に、祭司は新鮮な水を満たした土器の上で鳥の一羽を殺すように命じる。それから、杉の枝、緋糸、ヒソプおよび生きているもう一羽の鳥を取り、さきに新鮮な水の上で殺された鳥の血に浸してから、清めの儀式を受ける者に七度振りかけて清める。その後、この生きている鳥は野に放つ。清めの儀式を受けた者は、衣服を水洗いし、体の毛を全部そって身を洗うと、清くなる。この後、彼は宿営に戻ることができる。しかし、七日間は自分の天幕の外にいなければならない。彼は七日目に体の毛を全部、すなわち、頭髪、ひげ、まゆ毛、その他の毛もすべてそる。そして、衣服を水洗いし、身を洗う。こうして、彼は清くなる。
この内容を以下、噛み砕いて説明する。
ミシュナが明かす儀式の深層 ―― 生きた水と二羽の鳥
まず「彼が祭司のもとに連れて来られると、祭司は宿営の外に出て来て、調べる」(ibid.)とある。本人はtzaraat(ツァラアト)が皮膚の上から消えているが、まだ宣言されたままの状態である。手続きが進んでいない状態は、律法上metzoraのままである。
そこで、まだ重い汚れを負っているので、町の中に入ることは出来ない。祭司が町の外へ出向き、その者が本当に癒えたかを確認する。
本当に皮膚の上にtzaraatが無くなっているのを確認したら、祭司は「その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる。」(ibid.)
この辺りの具体的な内容は、口伝律法ミシュナ「Negaim」14章に詳しく書かれている。
どのように私たちはmetzoraをtahor(清く)にするのだろうか?彼は新しい土の器を持って来て、その中に1ログの生きた水を入れ、2羽の鳥も持って来る。祭司は土器の上で、生きた水の所で2羽の内の1羽を屠り、metzoraの前で穴を掘り、鳥を埋める 。
彼は杉の木、eizov(ヒソプ)、赤い羊毛を取り、羊毛でそれらを縛る。それから祭司は2番目の鳥の羽の先、尾の先をそれらに近付け、浸し、metzoraの手の甲へ7回振りまく。「額へ向けて」と言う者もいる。
順番に見てみよう。「彼は新しい土の器を持って来て、その中に1ログの生きた水を入れ、2羽の鳥も持って来る」について、まず「生きた水」は泉や川など、地面から湧き出ている水mayim chayim(マイム・ハイイム:生きている水)の事である。
水には祭儀的に清める能力が備わっているが、その清める力は6段階に分かれている。mayim chayim(マイム・ハイイム:生きている水)はその中でも最も等級が高い。
(mayim chayimについての詳細は、以下の記事をご覧下さい)
◉なぜ洗礼は「川」でなければならなかったのか? ――レビ記と口伝律法から探る「内面的な崩壊」の清め
https://note.com/mishnah/n/nde4490bf1199
◉mikvehについて――ミシュナ「Mikvaot(ミクヴァオット)」が規定する祭儀的清めの6等級と論理構造(後編)
https://note.com/mishnah/n/nc7351f2c06da
ここでは殺された1羽の血が、器の中のmayim chayim(生きている水)に滴ることになる。「1ログ」は0.3~0.5リットルであり、鳥の血が混じっても明確に確認出来る分量となる。
「metzoraの前で穴を掘り、鳥を埋める」とは、殺された鳥が生きながらにして死体同然であるmetzoraの身代わりになり、埋められることを意味する。
「彼は杉の木、eizov(ヒソプ)、赤い羊毛を取り、羊毛でそれらを縛る」については、一応下のように説明される。
杉、ヒソプ、緋糸が象徴する「高慢」と「謙遜」
①杉の木:天高くそびえ立つ、最も巨大で立派な木であり、tzaraatの主な原因とされる高慢、傲慢を象徴する。
②eizov(ヒソプ):岩陰などに生え、最も背の低く、地味である。杉とは対照的に「謙遜(へりくだり)」を象徴する。
③赤い羊毛:赤は「血」や「罪」の色であり、杉(高慢)とヒソプ(謙遜)をこの糸で「縛り合わせる」ことは、自分の罪を認め、神との関係を繋ぎ直すことを意味する。
これらのものを縛って1つにすることは、「反省、謙遜、罪の告白」を伴って祭儀が行われていることを示している。
「祭司は2番目の鳥の羽の先、尾の先をそれらに近付け、浸し、metzoraの手の甲へ7回振りまく。「額へ向けて」と言う者もいる」とは、読んだ通りであり、次の通りになる。
祭司は杉の木とeizov(ヒソプ)を、赤い羊毛(緋色の糸)で縛って1つの束にしたものに、2番目の鳥をセットにした状態で、1番目の鳥の血が混じったmayim chayim(生きた水)の中に浸す。
それは「metzoraの手の甲」に向けて振りまかれる。しかし「額に向ける」と主張する者もいる。
この2番目の鳥については、祭司は「野に放つ」とされる。杉・ヒソプ・糸と共に血に浸された鳥が野に放たれるとは、metzoraが死から「自由(生の世界)」へ戻ることを象徴する。
宿営への帰還と「7日間の待機期間」
その後metzoraは自分の体、衣服をmikvehで清め、全身の毛を剃る(レビ14:8参照)。これで宿営の中に入ることは許されるが、まだ自分の幕屋には入れない。これは神殿時代においてはエルサレムの城壁の中に入ることは許されたが、自分の家には入れないことに相当する。この辺りのことは「negaim」14章に書かれている。
それから彼(祭司)はmetzoraの毛を剃る為に来る。祭司はmetzoraの全身にカミソリをあて、metzoraは衣類を洗い、mikvehに入る。
metzoraは(幕屋の中に)入ることによっては汚れを移さないが、・・・(中略)・・・彼は壁の中に入ることが許されるが、自分の家には7日間入れない。夫婦行為も禁止される。
「metzoraは(幕屋の中に)入ることによっては汚れを移さない」はかつてのように、家の中に入っただけで全てのものを汚すことはしないことを言っている。
「彼は壁の中に入ることが許される」は上記の通り、町の中に入ることを許されたことを言う。しかし「自分の家には7日間入れない」。なぜなら性行為によって、妻に汚れを移すと考えられるからである。彼はまだ完全には清くなっていない。汚れの程度が軽くなっただけである。この期間は7日間続く。その後は次の通りである。
彼は七日目に体の毛を全部、すなわち、頭髪、ひげ、まゆ毛、その他の毛もすべてそる。そして、衣服を水洗いし、身を洗う。こうして、彼は清くなる。
彼はこの待機期間の最後に、再び全身の毛を剃り、衣類と自分の体を清める。日没後、完全に清くなったと見なされる。
この状態、完全に清くなったが、まだ最後の献げ物を献げていない状態はmechussar kippurim(メフサル・キップリーム)と呼ばれる。
mechussar kippurimの状態でも一定の行動は制限される。その具体的な内容については、ここでは立ち入らない。以上の流れを箇条書きにすると、以下の通りになる。
祭司による宿営の外での確認。
儀式に必要な物品(特定の鳥や植物、糸など)の準備。
鳥、杉やヒソプの束、水、血を用いた清めの儀式。
鳥を野に放つ。
全身の剃毛、体と衣服の清め。
宿営内への帰還と、7日間の待機。
第2段階(レビ14:10~20)
この箇所はトーラ本文を読むにはかなり複雑である。そこで要約した形を基本に解説し、その中でトーラの節を用いることにする。
まずは神殿の敷地の図を見て欲しい。
ニカノールの門 ―― 聖域の境界線で行われる奉仕

ピンク色が女性の庭、緑の枠の領域がイスラエルの庭である。mechussar kippurimとして入ることが出来るのは、女性の庭までとなる。そこでmetzoraが男性の場合でも、イスラエルの庭に入ることは出来ない。
この内、薄い青色で囲まれた領域は「metzoraの部屋」と呼ばれている。内部にmikveh(ミクヴェ)があり、7日間を過ごしたmetzoraは最終的な儀式の前にここで身を清めた。
それから彼は雄羊2匹、雌羊1匹、小麦粉、オリーブ油を準備して、ニカノールの門の所に立つ。それは女性の庭とイスラエルの庭の間の門である。
この辺りの前後について、ミシュナ「negaim」14章8節には次のように書かれている。
metzoraは賠償の献げ物のところに来て、両手をその上に置き、屠る。2人の祭司が血を受け、1人は器に、1人は手に受ける。器で受けた祭司は来て、祭壇の側面に振りかける。
血を手で受けた祭司はmetzoraの所へ来る。Metzoraは既にmetzoraたちの部屋でmikvehに入っている。
ここでは次のことを言っている。
①metzoraは献げ物(雄羊1匹)に按手する。
通常でも献げ物を献げる時、所有者はいけにえに按手する。metzoraはイスラエルの庭に入ることが出来ないので、ニカノールの門の所で手を伸ばし、より内側に立ついけにえの頭に両手を置くことになる。
②雄羊を屠る。
これは通常は祭司でも、祭司でなくても屠ることが出来る。しかしここでは祭司のみが行うと解される。なぜなら、次のように書かれているからである。
この雄羊(今の箇所で用いる雄羊)を贖罪の献げ物や焼き尽くす献げ物を屠る場所、つまり聖域で屠る。
これは祭壇の北側で屠ることを示唆している。つまり、図の茶色の領域である。

この領域に一般のイスラエルの民は入ることが出来ない。
もう1つの理由は、metzoraの最終的な清めに関しては、事実上2人の祭司で進めなくてはならないからである。ここでは「2人の祭司が血を受け、1人は器に、1人は手に受ける」(上掲negaim 14:8)ことを述べたが、血を受ける奉仕は祭司がしなくてはならない。
「血を受ける」だけなら、私たちの感覚では軽く誰でもよいと思ってしまうかもしれない。しかしこの部分はいけにえを献げる流れの中で、枢要な奉仕の1つである。
祭司以外の者が血を受けた場合、奉仕全体が無効になる。
同様に、その血を祭壇に振りかける奉仕も祭司がしなくてはならない。
通常の献げ物の場合、1人の祭司が血を受け、それを祭壇に振りかければ「血を扱う」奉仕は完了する。しかしここでは2人が血を受けており、その後は別々の仕方でそれを扱う。この点については後述する。
血と油の塗布 ―― 祭司任職式との驚くべき共通点
③血の奉仕を行う
「血を手で受けた祭司はmetzoraの所へ来る」(ibid.)とある通り、1人の祭司はニカノールの門の所にいるmetzoraの元へ行く。
それから「手で受けた血」を本人の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗る。トーラでは次のように書かれている。
祭司はこの献げ物の雄羊の血を取って、清めの儀式を受ける者の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗る。
更にこの祭司は、一定の奉仕の後、同じ箇所に油を塗る。次のように書かれている。
祭司は、一ログのオリーブ油の一部を取って自分の左の手のひらに注ぎ、そこに右手の指を浸してその油を七度主の御前に振りまく。次に、手のひらに残ったオリーブ油の一部を、清めの儀式を受ける者の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗り、更に賠償の献げ物の血の上にも塗る。
祭司は1ログ(0.3~0.5リットル)の油を左手に注ぎ、右手の指をつけて7回聖所に向かって振りまく。その残った油をmetzoraの「右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指」に塗るのである。
最後に「賠償の献げ物の血の上にも塗る」とあるが、これは同じことを言っている。つまり右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗ることを言っている。残った油については、次のように扱う。
再び手のひらに残ったオリーブ油は清めの儀式を受ける者の頭に塗る。祭司はこのようにして、彼のために主の御前に贖いの儀式を行う。
このようにしてmetzora本人を準備してから、もう1人の祭司は器に受けた血を祭壇に振りかける。祭壇に血を振りかける奉仕もいけにえを献げる奉仕の中で枢要なものであるが、「贖いを成し遂げる」という意味で決定的な奉仕でもある。
この辺りの儀式、つまり血を右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗り、その上に油を塗り、頭に油を塗る手続きは、祭司の任職の儀式と共通している。トーラに次のように書かれている。
終わりに:新しく造り直される「神に仕える民」として
・・(祭司の任職式において)モーセはそれを屠り、その血の一部を取ってアロンの右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗った。モーセは更にアロンの子らを進み出させ、血の一部を彼らの右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗った。そして血を祭壇の四つの側面に注ぎかけた。・・・(中略)・・・次に、モーセは聖別の油と祭壇の上にある血を取って、まずアロンとその子らに、次いで彼らの祭服に振りまいて、アロンとその祭服、彼と共にいるその子らとその祭服を聖別した。
イスラエルの祭儀の中でも、誰かに血と油が塗られるのは祭司の任職式とmetzoraの清めの儀式だけである。
祭司が「神への奉仕」のために全身を聖別されるように、metzoraもまた、罪(中傷など)によって死んだ古い自分を捨て、「神に仕える民」として新しく造り直されることを意味する。
この後、贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物が献げられ、本人が清くなったことが宣言される。
以上で長くなったが、イエスが「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい」(マタ8:4)と言ったことの中身を解説した。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
