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イエスを裁いた『最高法院』への道(1回目):旧約聖書の裏に隠れている3人判事の法廷①

 福音書でイエスを死刑へと追い込んだ「最高法院(サンヘドリン)」。しかし、旧約聖書をいくら探してもその名は出てきません。一体、この巨大な司法組織のルーツはどこにあるのでしょうか?

 本稿では、モーセが神から受けた「71人の合議制」の起源から、聖書の裏側に隠された日常的なトラブルを裁く「3人の判事による法廷」の実態までを網羅。

 出エジプト記に記された傷害事件や賠償のルールが、当時の社会でどう運用されていたのか。ユダヤの口伝律法『ミシュナ』を紐解きながら、イエスの裁判へと続く「司法の道」を辿ります。


福音書の記述から辿る「最高法院」の影


 イエスや弟子たちが最高法院で裁かれたことは、福音書と使徒言行録に書かれている。

 それぞれ1つずつだけ挙げておこう。

 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。・・・(中略)・・・祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。

(マコ14:53~55)

 他方で、弟子については次のように書かれている。

 大祭司とその仲間が集まり、最高法院、すなわちイスラエルの子らの長老会全体を召集し、使徒たちを引き出すために、人を牢に差し向けた。下役たちが行ってみると、使徒たちは牢にいなかった。

(使5:21~22)

 これは大祭司を始めとする最高法院の議員たちが使徒たちを捕らえ、牢に入れたのだが、天使が現れて彼らを逃がした箇所の直後にあたる。

 しかし、これらの事柄について多言は不要であると思われる。ここに来るような御仁なら、新約聖書は穴が開くくらいに読んでいるだろう。

 ともかく、旧約聖書を読んでみると、「最高法院」という単語は1つも出てこない。従って聖書の初心者が福音書を読むと、「一体これはいつから出来た制度なのだろうか?」と感じて当惑する。

モーセと70人の長老:71人体制の起源


 今回は最高法院とは何なのか、旧約聖書及び口伝律法ミシュナに基づいて話そうと思う。早速だが、次の箇所を読んで欲しい。

 「わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」
 主はモーセに言われた。
 「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。わたしはそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。」

(民11:14~17)

  流れを少し説明すると、モーセはこの時まで1人で民の間を裁き、イスラエルの民の不平や不満を1人で背負わなくてはならなかった。そこでモーセが神に「自分の任務は重すぎます。耐えられないので、むしろ私の命を奪って下さい」とお願いしている場面である。

 これに対して神は「いや、それならあなたが重役を担うに相応しいと考える70人を選びなさい。わたしはあなたに与えた霊の一部を彼らにも与える」という趣旨のことをお答えになった。

 それは今後民に関する重要事項の決定や裁きに関して、モーセ1人ではなく、他の70人との合議制にする為である。

日常のトラブルを裁く「3人判事の法廷」


 これが最高法院の由来である。最高法院は71人で構成される。それは上記民数記の伝承から、モーセ1人と、その他70名、合計71名が選ばれているからである。

 「最高」法院であるのだから、その下にも法廷があったことになる。これは旧約聖書の本文からは非常に見えにくい。まして細かい制度のあり方は書かれていない。これに関しては、口伝律法ミシュナ「Sanhedrin(サンヘドリン)」を参照する必要がある。

 金銭に関する裁判は3人で裁かれる。盗難と傷害も3人で裁かれる。全て賠償する訴訟と半分を賠償する訴訟、2倍の賠償、4倍5倍も3人で裁かれる。強姦、誘惑者、妻の貞節の評判を落とす主張も3人で裁かれる。

(Sanhedrin 1:1)

 まず、ここで注目すべきは「金銭に関する裁判は3人で」と言っていることである。日本の最高裁判所でも、管轄事項は限定されている。例えば事実審は地方裁判所と高等裁判所で終わっており、最高裁では法律違反がないかのみ審理される。

 同様にイスラエルの最高法院も裁判としての管轄事項は限られている。「金銭に関する裁判は3人で」というのは、3人の判事で構成される法廷で審理するという事である。このような日常的な係争は最高法院では扱わない。

 その判事の選任の仕方や資格については、同じく口伝律法ミシュナ「Sanhedrin(サンヘドリン)」で語られているが、これは別の回に譲る。

 上記の「Sanhedrin」1章1節に戻ると、以下の事案は3人による法廷で裁くべきことが分かる。

3人法廷が扱う「7つの民事・刑事事案」

①金銭問題
②盗難事件
③傷害事件
④全部賠償、半分賠償、2倍の賠償、4倍の賠償、5倍の賠償事件
⑤強姦
⑥誘惑者
⑦妻の貞節の評判を落とす主張

 勿論、これらの項目は1つ1つ完全に独立していない。すぐに後述するように、盗難事件や傷害事件になると、金銭による賠償も問題になり、言わば①の問題でもある。

「出エジプト記」に隠された緻密な賠償システム


 これを見て、皆さんの中には「旧約聖書の中に金銭問題?盗難事件の審理?傷害事件の裁判?そのような事は聞いたことがない」と考える人もいるだろう。

 しかしこれは旧約聖書の中に語られていない事であるどころか、重要な書に書かれている。彼らの旧約聖書において最も権威が高いのはモーセ五書(トーラ)である。トーラにはあちこちでこれらの民事事件や刑事事件の扱いについて、具体的に原則を示している。

盗難事件における「2倍の賠償」と免責の誓い

 ②盗難事件に関して、取りあえず1つ紹介する。これは補償を伴うから、勿論①金銭問題にも関わる。

 人が銀あるいは物品の保管を隣人に託し、それが隣人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかれば、盗人は二倍にして償わねばならない。もし、盗人が見つからない場合は、その家の主人が神の御もとに進み出て、自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかったことを誓わねばならない。

(出22:6~7)

 これは誰かが何かの物品を、他者に寄託した事案について教えている。

 まず、もしもその物品が第三者に盗まれ、犯人が捕まったなら、その者は盗んだ物の価値の2倍で賠償しなくてはならないことを言っている。これは上の②と④に該当する。

 もし犯人が見付からない場合は、その物品を預かった者、つまり受託者が疑われることになる。この場合、受託者は法廷において、「自分は決してこの物を盗んでいないこと」を誓う。それによってこれ以上の追究はされない。免責されるのである。

 この裁判は3人で裁くことになる。

傷害事件を補償する「5つの有責」

 次に傷害事件(③)に関わるものを見てみよう。これも1つだけ挙げることにする。

 人々が争って、一人が他の一人を石、もしくはこぶしで打った場合は、彼が死なないで、床に伏しても、もし、回復して、杖を頼りに外を歩き回ることができるようになるならば、彼を打った者は罰を免れる。ただし、仕事を休んだ分を補償し、完全に治療させねばならない。

(出21:18~19)

 これは出エジプト記21章に書かれていることを注目して欲しい。おそらくほとんどの方は出エジプト記に関して、1章から十戒を受ける20章までしか読めていない。「読めていない」というのは、⑲章までは物語形式で読みやすいのだが、その後はユダヤ法独特の律法であり、教師がいないと理解出来ないからである。

 ともあれ21章からは、神の民を治める律法が授けられている。

 さて、「人々が争って、一人が他の一人を石、もしくはこぶしで打った場合」どのようにするべきなのか。出エジプト記の本文を読む前に、細則としてミシュナ「Bava Kamma(バヴァ・カンマ)」8章を見てみよう。あまり良く分からないだろうが、とりあえず一読して欲しい。

 もし誰かが誰かに傷を負わせたなら、彼は5つのことで有責になる。傷害、苦痛、治療、時間、恥。
 傷害について、―どのようにであろうか?もし彼が目を見えなくさせたり、手を切り落としたり、足を折ったりしたならば、私たちは彼を市場で奴隷として売られているように想定する。そして以前は幾らであったのか、今は幾らであるのか査定する。
 苦痛とは?もし彼が串で焼くなら、爪で焼くなら、―たとえ彼の爪の上であっても、そこには傷が出来ない、―どの程度人はその苦しみを受けることを望むか、評価する 。
 治療とは?もし彼が打ったなら、彼は彼を治療する義務がある。もし彼の皮膚の上に水ぶくれが出来たなら、-それが殴打の結果であるなら、彼は有責である。そうでないなら、彼は免責される。もしそれが良くなり、悪くなり、良くなり、悪くなるなら、彼は有責である。もし完全に良くなったなら、彼は免責される。
 時間のロスとは?私たちは彼をきゅうり畑の管理人のように見なす。なぜなら彼は既に彼の手、または彼の足の価額を支払ったのだから 。
 恥とは?全ては侮辱した者、侮辱された者の社会的な地位に従う。

(Bava Kamma 8:1)

 この本文について解説する。もしも傷害事件を起こしてしまったら、「5つのことで有責になる」と言っている。具体的には「傷害、苦痛、治療、時間、恥」である。これは5つの側面から被害者に補償するという事である。

 まず、「傷害」については現代では奇妙な仕方で規定される。それは被害者本人が奴隷として市場で売られた場合を仮定し、怪我の前後の市場価値の差額を算出するのである。加害者はこの差額について責任を担う。手を失う、足を失うなどの場合が想定されている。

 次に「苦痛」について、これはその苦痛を取り去る為に、幾ら支払うだろうかという額を定める。身体的な苦痛の補償である。

 「治療」については私たちと同じであるので、特に語らない。治療費の事である。

 「時間」については独特である。それは「私たちは彼をきゅうり畑の管理人のように見なす。なぜなら彼は既に彼の手、または彼の足の価額を支払ったのだから」と言われる。傷害による後遺症については、既に「傷害」の部分で算定した。そこでこの項目では、体の一部を失っても可能な最低限の仕事の賃金が出される。それだけが、この項目における補償になる。

 「恥」については、加害者と被害者の社会的地位を元に、精神的な苦痛を補償するものである。

出エジプト記21章が意味する「罰を免れる」の真意

 これらを前提に、もう一度出エジプト記21章を見てみよう。

 人々が争って、一人が他の一人を石、もしくはこぶしで打った場合は、彼が死なないで、床に伏しても、もし、回復して、杖を頼りに外を歩き回ることができるようになるならば、彼を打った者は罰を免れる。ただし、仕事を休んだ分を補償し、完全に治療させねばならない。

(出21:18~19)

 ここで「彼(被害者)を打った者は罰を免れる」とあるが、被害者が死ななかったので死刑を回避出来るという意味に過ぎない。上記の5つの観点からの補償については、有責である。

(最高法院に関する記事は以下からご覧になれます)

◉イエスを裁いた最高法院における裁判について(上)――神殿の「Lishkat HaGazit(リシュカット・ハガジット:切り石の間)」と座席禁止規定の矛盾

https://note.com/mishnah/n/nfdd178d93af0


◉イエスを裁いた最高法院における裁判について(下)―ミシュナ『Beitzah(ベイツァー)』『Sanhedrin(サンヘドリン)』が暴く「三つの不法」と夜間裁判

https://note.com/mishnah/n/n371fe1a873ee


(シリーズはこちらからご覧になれます)

【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399

 

 さて、先程3人の法廷で裁く事案として、次のように列挙した。

①金銭問題
②盗難事件
③傷害事件
④全部賠償、半分賠償、2倍の賠償、4倍の賠償、5倍の賠償事件
⑤強姦
⑥誘惑者
⑦妻の貞節の評判を落とす主張

 以上によって、①~③について見たに過ぎない。次回は④~⑦に関わるケースについて、特に貞節や性に関わる賠償が、旧約聖書においてどのように裁かれていたのかに迫る。

 これは私たちも知っている通り、人の基本なのである。旧約はそれから目をそらさず、正視する。他方で新約は霊に焦点を当てている。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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