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ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第8回:大祭司の法的地位――事案ごとの法廷の管轄、証言能力の限定、流刑生活の例外、及びyibumの禁止法理

【学術的免責事項】本稿は、古代ユダヤ法(口伝律法ミシュナおよびタルムード・ゲマラ)の文献記述に基づく、純粋な法制史および比較法学の研究を目的としている。

 テキスト内に「死刑」の裁判手続き、および「婚姻・性交渉」に関わる法理的議論が含まれるが、これらはすべて2000年前の古典宗教文献の解釈および法制度の分析であり、現代において特定の刑法、倫理観、または犯罪を教唆・肯定するものではない。

 本稿は口伝律法ミシュナ第4部『Nezikin(ネジキン)』に属する『Sanhedrin(サンヘドリン)』の第8回目の解説である。

 今回は『Sanhedrin』2章1節の法理を徹底解説。大祭司の事案ごとの法廷の管轄、証言能力の特例、民数記35章に基づく『逃れの町』の流刑における特殊的例外性を検証。

 さらにkiddushinでやもめとなった処女に対する大祭司のyibumの是非について、ゲマラ(Sanhedrin 19a)によるラビたちの予防的禁止措置について解説する。


前回の振り返り:背教の町と最高法院の71人の根拠


 前回は『Sanhedrin』1章5節後半から6節を取り上げ、「背教の町」を裁く大サンヘドリンの管轄権と、最高法院が「71人」で構成される聖書的根拠について解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】「背教の町」の管轄

 町全体が偶像崇拝に陥った「背教の町(申命記13章)」の裁判は、個人の偶像崇拝(23人法廷)とは異なり、71人の最高法院(大サンヘドリン)が独占的に管轄する。

 また、背教の町として指定するには以下の制限と例外がある。

①国境の町の除外

 聖書に「あなたの中から(from your midst)」とあることから、他国と接する境界線の町は対象外とされる。これは、国境の町を破壊すると外敵の侵入を許すという安全保障上の理由もある。

②指定数の上限

 同時に、あるいは一つの地域で指定できるのは最大2つまでであり、3つの町を同時に指定することは出来ない。

【2】指定上限(最大2つ)を巡る論争

 この「3つ以上は指定できない」という規定の解釈について、中世の学者の間で論争がある。

①Maimonides(Rambam)の視点

 「1つの法廷」が「1つの地域(ユダヤなど)」において3つの町を指定することを禁じている、という時間・空間の両面での制限と捉える。

②Ravadの視点

 この制限は法廷の任期を超えて累積的に適用され、かつイスラエル全土に及ぶもの(全土で累計2つまで)と主張している。

【3】最高法院「71人」の聖書的根拠

 大サンヘドリンが71人の判事で構成される理由は、民数記11章16〜17節の記述に基づいている。

①人数の内訳

 神がモーセに対し、共同体の重荷を分担するために集めるよう命じた「70人の長老」に、彼らを束ねる存在である「モーセ」を加えることで、合計71人となる。

②意義

 イスラエルを率いる重責をモーセ一人が負うのではなく、霊を授けられた長老たちと共に負うという体制が、最高法院の構成の起源とされている。

 その他、23人法廷の起源について、過去の記事とリンクが以下の通りに示された。

◉イエスを裁いた『最高法院』への道(4回目):旧約聖書の裏に隠れている23人判事の法廷

https://note.com/mishnah/n/n2f6ef3d336ed

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第7回:背教の町の裁判管轄、指定可能な町の数と、最高法院(71人法廷)の聖書的根拠(1章5〜6節)

https://note.com/mishnah/n/n03bd2b3a3a0e


ミシュナ『Sanhedrin』2章1節:大祭司の判事資格・被告適格・証言能力に関する法理


 今回はその続きで口伝律法ミシュナ「Sanhedrin」2章1節である。まずは本文を引用する。

 大祭司は裁いてもよいし、裁かれてもよい。彼は証言することが出来るし、証言されることも出来る。

(Sanhedrin 2:1)

 ここでは、法廷における大祭司の可能な立場について扱っている。

 まず「大祭司は裁いてもよい」とは、大祭司が法廷で判事として奉職することが出来ることを言っている。その高い地位ゆえに、他の裁判官が彼に忖度して意見を控えるのではないかという懸念もあるが、大祭司から判事としての資格を奪うものではない。

 次に「(大祭司は)裁かれてもよい」と書かれている。このことが明記されている理由は幾つかある。

 まず「Sanhedrin」2章2節では王について扱っているが、王は被告として裁かれることがない。そこで大祭司は被告として裁かれることを明記する必要があるという事である。

民数記35章28節の再解釈:大祭司自身の過失致死罪と「逃れの町」における終身流刑の法理


 もう1つは大祭司が他人の法益を侵害したり、律法で禁止されていることを行った場合、罰則を受けることを示すという事である。これは特に逃れの町に関する規定について必要である。

 もし故意ではなく過失によって人を殺してしまったなら、加害者は逃れの町に流刑になる。大祭司もこの掟に従うことは、必ずしも明白ではない。なぜならトーラには次のように書かれている。

 人を殺した者は、大祭司が死ぬまで、逃れの町のうちにとどまらねばならないからである。大祭司が死んだ後はじめて、人を殺した者は自分の所有地に帰ることができる。

(民35:28)

 一般の民が過失で人を殺してしまった場合は、その時の大祭司が死ぬまで逃れの町に滞在することになる。しかしその大祭司自身が過失で人を殺してしまった場合、どのように対応するのかトーラでは明記されていない。

 この場合、「その時の大祭司」は存在しないので、彼が逃れの町における生活から解放されることはない。生涯の間、彼は逃れの町で過ごさなくてはならない。彼の次に叙任された大祭司が死んでも、彼は流刑生活から解放されない。

 逃れの町についての詳細は、以前の記事で詳しく扱っている。不確かな方は下のリンクから確認して欲しい。

◉【シリーズ目次】「逃れの町」とレビ族の町の法理:ミシュナが解き明かす律法の執行と都市空間の全貌

https://note.com/mishnah/n/nf1b99ffb956e

訴訟類型(金銭訴訟・鞭打ち刑・死刑)に応じた裁判管轄法院(3人法廷・23人法廷・71人最高法院)の画定


 その他の大祭司を被告とする裁判については、以下の通りである。

①金銭訴訟

 原則通り3人の裁判官からなる法廷で裁かれる。

②鞭打ち刑に関わる訴訟

 原則通り3人の裁判官からなる法廷で裁かれる。

③死刑に関わる訴訟

 「Sanhedrin」1章5節で扱ったように、一般の民のように23人の法廷においてではなく、71人の最高法院で裁かれる。

大祭司の職位の尊厳と出廷・証言免除の特例:TosafotおよびMaimonides(Rambam)の見解


 次に「彼(大祭司)は証言することが出来るし、証言されることも出来る」についてである。

 この箇所については詳細に話す必要がある。なぜなら大祭司の職位には高い尊厳があるので、特別な配慮がされているからである。

通常、大祭司が法廷で証言を求められることは、彼の尊厳にふさわしくないと考えられており、免除されている。

 しかし王の息子が裁判にかけられている場合、王自らが法廷に来て証言を聞くことになるので、大祭司が証言することは相応しいと見なされる。

 あるいはMaimonides(Rambam)等によると、必ずしも王の息子に関わる事案である必要はない。王が大祭司の証言を求めるような状況であるならば、大祭司は出廷して証言してよいとする。

 Tosafotによると、大祭司には上記の事項の他、新月の目撃証言など、律法の遵守に関わる事案についても証言する義務があるともされる。

 大祭司が「証言される」ことに関しては、例えば誰かが彼に対して損害賠償を請求した場合、大祭司は被告になり、また証人たちから証言を受ける対象になることを言っている。

レビ記21章14節(大祭司の婚姻制限)と申命記25章5節(yibum)の法理的衝突


 続きには次のように書かれている。

 彼はchalitzahを行うことが出来るし、彼の妻に行うことも出来る。yibumは彼の妻に行うことが出来る。

(Sanhedrin 2:1)

 もし大祭司が子供を残さないで死んだ場合、その兄弟がyibumして義理の姉妹を娶るか、もしくはchalitzahで義理の姉妹を解放する。大祭司はこの点でその他のイスラエルの人々と変わらないことが示されている。

 続きには次のように書かれている。

 しかし彼自身はyibumを行うことは出来ない。なぜなら大祭司は寡婦と結婚してはならないから。

(Sanhedrin 2:1)

 この箇所は、大祭司の兄弟が子供を残さないで死んだ場合を扱っている。この時、大祭司は義理の姉妹に対してyibumすることは出来ない。トーラには次のように書かれている。

 (大祭司は)やもめ、離縁された女、遊女となって身を汚した女などをめとってはならない。一族から処女をめとらねばならない。

(レビ21:14)

 この箇所でトーラは、大祭司が「やもめ」を娶ってはならないと明記している。そこでやもめである義理の姉妹をyibumで娶ってはならないことになる。

 以上が結論であるが、Gemaraでは、特定の状況における複雑な法的解釈が示されている。なぜならユダヤ法には「肯定的な命令(~しなさい)は、禁止命令(~してはならない)に優先する」という原則があるからである。

Gemara(Sanhedrin 19a)の論理:kiddushinとnisuinの段階的ステータスと処女婚義務の相関


 Gemara(19a)ではこの原則に基づき、特定のケースで大祭司がyibumを行える可能性を検討している。

 ユダヤ法における結婚制度は、ご存知の通り以下の通りである。

【第1段階】

 kiddushin(キッドゥーシン)またはerusin(エルーシン)と呼ばれる。律法上既婚者となるが、父親の元で通常1年間過ごして準備する。

【第2段階】

 nisuin(ニスイン)と呼ばれる。結婚が完成する。

 さて、亡くなった兄弟が、その妻と第1段階のkiddushinまで進んだものの、まだnisuinによって結婚を完成させていなかった場合、彼女は法的には妻であるが、まだ処女であると見なされる。

 この場合、大祭司の「一族から処女をめとらねばならない。」(レビ21:13)という戒めには抵触しないことになる。残るは「やもめと結婚してはならない」という禁止命令であるが、ここに「yibumを行わなくてはならない」という肯定的な命令が重なる為、原則的にはyibumが許容されることになる。

初回の性交渉による義務完了後の違法状態継続と、ラビ的予防措置による全面禁止の論理


 しかしラビたちはこの状況でもyibumを禁止した。その理由は、最初の性交渉によってyibumの義務が果たされた後は、もはや優先すべき肯定的な戒めが存在しなくなるからである。言い換えると「やもめを娶っている」という禁止された状態だけが継続することになる。

 大祭司はyibumを行ったすぐ後に彼女と離婚しなければならないが、彼が彼女を気に入り、離婚を拒んでそのまま一緒に住み続ける恐れがある。この状態を未然に予防する為、大祭司がyibumを行うことは全面的に禁止された。

 この点、nisuinまで進んだ義理の姉妹に対して、yibumを行うことが出来ないことについて、疑問の余地は無い。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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