ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第3回――鞭打ち刑の適用範囲としての消費分量(kezayit)と、消費場所をめぐる法理
*口伝律法ミシュナ『Makkot』3章2〜3節の法理を徹底解説。鞭打ち刑の適用条件について、halachahにおける食品消費の法的最小分量「kezayit(ケザイット)」をめぐるラビたちの論争から、bikkurimにおける儀式の義務、kodshei kodashimやkodashim kalimの消費場所をめぐる境界線まで、手加減抜きで実証する。
前回の振り返り
ミシュナ『Makkot(マッコート)』3章2節に基づき、献げ物の肉など聖なる物の扱いに関する掟、祭日に関する掟、聖なる油と香料(ketoret:ケトレット)の扱いに関する掟を犯した際の鞭打ち刑について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】聖なる肉と神殿に関する禁令
神域や献げ物の神聖さを汚す行為は、鞭打ち刑とともに、天の法廷による断絶(karet)の対象となる。以下のようなものが挙げられている。
①不浄な状態での接触
本人が汚れている状態で聖なる献げ物の肉を食べることや、神殿の敷地内に入ること。
②脂肪(cheilev:ヘレヴ)と血の摂取
主に献げるべき特定の脂肪部位cheilevや、動物の血を食べること。
③不適切な管理(notarとpiggul)
notar(ノタール): 定められた時間を過ぎて残った献げ物の肉。
piggul(ピグール): 儀式の最中に「時間内に食べない意図」を表明され、不適格になった肉。
これらのものを食べる行為。
④神殿外での犠牲
神殿(臨在の幕屋)以外の場所で勝手にいけにえを屠ったり献げたりすること。
【2】祭日(過越祭、ヨム・キップール)の規定
特定の祭日における禁止事項を破ることも鞭打ち刑の対象である。
①過越祭
この期間中に酵母(パン種)を入れたパンを食べること。
②ヨム・キップール(yom kippur:贖罪日)
この聖なる日に飲食(断食の不履行)をしたり、仕事をしたりすること。
【3】聖なる油と香料(ketoret:ケトレット)の私的な調合や利用
神殿奉仕のために特別に調合される「聖別用の油」や「香(ketoret)」を、私的な目的で調合したり使用したりすること。
これらの内容は、古代イスラエルの法廷がいかに「聖なるもの」と「俗なるもの」の境界を厳格に維持していたかを、karetと鞭打ち刑を通じて示していることになる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第2回――ミシュナ『Makkot』3章2節にみる鞭打ち刑の適用範囲:献げ物の肉、avodah、聖別の油、ketoret(香料)の扱い
https://note.com/mishnah/n/nd3292b7bfdb5
ミシュナ『Makkot』3章2節:鞭打ち刑の有責分量をめぐる法理
今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Makkot」3章2節の続きを引用する。
tevel、terumahを取り分けていないmaaser rishon、贖っていないmaaser sheniや聖別されたものを食べる者。どの程度食べたらtevelに関して有責になるのだろうか?ラビ・シモンは言う、「如何なる量であっても。」しかしラビたちは言う、「オリーブの大きさ。」ラビ・シモンは彼らに言った、「あなたたちは如何なる分量でも食べたら有責になることを同意しないのか?」彼らは答えた。「なぜならそのようにして創造されたから。」彼は答えた、「1粒の穀粒も、そのように造られた。」
tevel、terumah、maaser rishon、maaser sheniについての復習
まず用語についての復習が必要と思われる。tevelについては以前の記事で詳しく扱った。
収穫した作物に関して、祭司へのterumahやレビ人へのmaaser rishonを取り分けなくてはならない。
しかしそれは原則的には、収穫した瞬間に義務が発生するのではなく、脱穀や風選などの作業工程を経た後に要求される。
その取り分けなくてはならない段階に達した作物をtevelと呼ぶ。
作物はtevelに達したら、terumahなど取り分ける前にはたとえつまみ食いする程度であっても口に入れてはならない。
つまり作物はtevelに達している段階か否かで、律法上の扱いが大きく変わる。
ここで必要な限りを復習したが、全般的な内容は次のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Bava Metzia(バヴァ・メツィア)』注解 第5回:賃金債権の履行期限と労働者の収穫物摂取権――tevel(テヴェル)の成立と意思能力による権利放棄の法理
https://note.com/mishnah/n/n3e59efca9eb3
「terumahを取り分けていないmaaser rishon」について、レビ人がイスラエルの民から受け取る分はmaaser rishonと呼ばれた。
レビ人はその中から10分の1を祭司に取り分けなくてはならない。
「terumahを取り分けていないmaaser rishon」とは、まだ取り分けていないmaaser rishonのことを指す。
「贖っていないmaaser sheni」について、maaser sheniは7年サイクルshemittah(シェミッター)の第1年、第2年、第4年、第5年に取り分け、エルサレムで消費するべき分量である。
それは住まいが遠方でエルサレムに運ぶのが大変な場合、換金することが認められている。換金した場合、maaser sheniの聖性は硬貨に移り、普通に食べてよいものとなる。
「贖っていないmaaser sheni」とは、硬貨に聖性を移していないmaaser sheniを指す。
以上の内容について不確かな方は、下のシリーズ目次のリンクから確認して欲しい。
◉聖別と奉納の法理:ミシュナが解き明かす「祭司の取り分(matanot kehunah:マタノット・ケフナ)」と聖なる生活秩序の全貌
https://note.com/mishnah/n/nb10ab99a02a4
構成要件に該当する分量とkezayit未満の「全体」
以上を踏まえて「tevel、terumahを取り分けていないmaaser rishon、贖っていないmaaser sheniや聖別されたものを食べる者。どの程度食べたらtevelに関して有責になるのだろうか?」の意味を確認する。
これは取り分けるべきものを取り分けずに消費してしまったら、鞭打ち刑になることが前提になっている。
そしてどの程度食べてしまったら、鞭打ち刑になるのかを問題にしている。
ここでは2つの見解が示されている。再掲する。
ラビ・シモンは言う、「如何なる量であっても。」しかしラビたちは言う、「オリーブの大きさ。」ラビ・シモンは彼らに言った、「あなたたちは如何なる分量でも食べたら有責になることを同意しないのか?」彼らは答えた。「なぜならそのようにして創造されたから。」彼は答えた、「1粒の穀粒も、そのように造られた。」
これをまとめると、以下のようになる。
(1)ラビ・シモンの見解
如何なる量を食べても鞭打ち刑になるとする。
(2)ラビたちの意見
ユダヤ律法(halachah:ハラーハー)において、食品を「食べる」という行為が法的な意味を持つための標準的な最小分量が「オリーブ1個分(kezayit:ケザイット)」である。
これ未満は「食べた」と見なさず、刑罰の対象にはならないという、原則的な立場である。
その後の議論はミシュナ本文では分かりにくいが、以下のことを言っている。
まず、レビ記11章には次のように書かれている。
地上を這う爬虫類はすべて汚らわしいものである。食べてはならない。
これに関して、アリも含まれていると解釈されている。アリ1匹はケザイットよりも小さい。しかしアリは創造主がそれ全体でkezayitよりも小さく造られたので、口にしたら食べたものと見なされ、許容されない。
この点に関して、ラビたちも同意する。
そこでラビ・シモンは「穀粒1つはkezayitよりも小さいが、その大きさでも全体ある。従って食べてはならない」と主張しているのである。
しかしhalachahは彼の見解ではなく、ラビたちである。
次節に進む。
ミシュナ『Makkot』3章3節:bikkurimの儀式と聖別されたものの空間的境界
唱える前にbikkurimを食べ、カーテンの外でkodshei kodashimを食べ、kodashim kalimまたはmaaser・sheniを城壁の外で食べ、過越祭のいけにえの骨を折る者、-40回の鞭打ちを受ける。しかし清い肉を残し、汚れたものの肉を折る者は、40回の鞭打ちを受けない。
ここでも鞭打ち刑になる行為を列挙している。1つずつ確認する。
「唱える前にbikkurimを食べること」については、簡単な復習でも、まとまった知識を確認しなくてはならない。
トーラには次のように書かれている。
あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。
この「土地の最上の初物」とは、イスラエルの土地がその為に讃えられる7つの作物の初物を指している。トーラを引用する。
7あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、 8小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。
この通り「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブの木、蜜」の7つである。これらの作物の初物がbikkurimと呼ばれる。
bikkurimはエルサレムに運び、一定の儀式を経て祭司のものとなる。
その儀式を経ていないのに、祭司がbikkurimを食べるなら、鞭打ち刑に関して有責になるという規定である。
bikkurimについては、以下の記事から詳しい内容を確認することが出来る。
◉bikkurim(ビックリーム)の法理(上) ― 聖地の初物奉納における土地所有権、七種産物、およびmaamad(マアマド)参詣に関する律法学的詳解
https://note.com/mishnah/n/n5ec92f53d77f
◉bikkurim(ビックリーム)の法理(下) ―「Bikkurim」第3章における奉納儀礼の規定:アグリッパ王の自己運搬義務、祭壇南西角の空間的制約、および初物の財産権的帰属に関する律法学的詳解
https://note.com/mishnah/n/n1ffd55a9af67
次に「カーテンの外でkodshei kodashimを食べること」についてであるが、これは贖罪の献げ物の肉など、神殿の敷地内で食べるべきものを、神殿の外で食べるなら、鞭打ち刑に関して有責になるという事である。
「kodshei kodashim」は文字通りには「聖なるものの中でも聖なるもの」である。不確かな方は、逆引き辞典から確認して欲しい。
◉【聖書・ミシュナ語彙 総合逆引き事典】律法の現場を再構築する一次史料・専門用語解説(随時更新)
https://note.com/mishnah/n/n66230ec040ed
次に「kodashim kalimまたはmaaser sheniを城壁の外で食べること」とは、これらエルサレムの城壁内で食べなくてはならないものを、城壁の外で食べた場合に、鞭打ち刑に関して有責になることを言っている。
kodashim kalimについては、和解の献げ物などが相当する。上のkodshei kodashimよりも聖性が軽い。祭司以外のイスラエルの民も食べることが出来、エルサレムの町の中であればどこで食べてもよい。
しかしエルサレムの外に出して食べるなら、鞭打ち刑になる。
「過越祭のいけにえの骨を折ること」については、トーラの次の禁止命令に関係している。
一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。
ただし、過越のいけにえの骨を折ったら鞭打ち刑というのは、そのいけにえが有効である場合に限る。
もしもいけにえの肉が祭儀的な汚れを負ってしまったら、その骨を折っても免責される。
それが「汚れたものの肉を折る者は、40回の鞭打ちを受けない」の意味である。
なお、トーラでも本節でも鞭打ち刑の数は40回と書かれているが、実際には39回で行われている。それについては後の回で解説する。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Makkot』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n66ed90d1aaf4
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
