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bikkurim(ビックリーム)の法理(下) ―「Bikkurim」第3章における奉納儀礼の規定:アグリッパ王の自己運搬義務、祭壇南西角の空間的制約、および初物の財産権的帰属に関する律法学的詳解

*本稿は旧約聖書(トーラ)および口伝律法(ミシュナ)の厳密な法理に基づき、イスラエルの初物奉納「Bikkurim(ビックリーム)」の構造を詳解するシリーズ2回目である。

 アグリッパ王の参詣に見る自己運搬の義務、祭壇近くまでの非祭司の進入、及び奉納されたbikkurimの民事上の処分権(奴隷や不動産の購入、債務の差し押さえ対象としての性質)について、伝統的なhalachah(ハラーハー)の解釈に基づき記述する。

 既存の通俗的な聖書解説を排し、宗教儀礼と法理的帰結の接点を明示することで、2,000年前の「律法の現場」を歴史的・法学的な深度で再構築する。


前回の振り返り


 前回は以下の内容を確認した。

【1】bikkurimの定義と法的根拠

 bikkurimは、土地から取れる「最上の初物」をエルサレムの神殿に携え、祭司に渡す義務のあるものである。これはモーセ五書(トーラ)の出エジプト記、民数記、特に申命記26章に詳述されている。

【2】奉納の義務主体と対象

 bikkurimを献げる義務は、自らその土地を正当に所有している者に限定される。その為小作人、賃借人、あるいは土地を強奪した者などはこの義務を負わない。

 奉納するのは、聖地の豊かさを象徴する「7つの産物」(小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブ、ナツメヤシ)であり、その内の最上のものに限られる。

【3】聖別と収穫のプロセス

 農夫は自分の畑で実がなり始めたのを確認すると、対象の房などに紐を結んで特定し、「これらはbikkurimである」と宣言することで聖別を行う。この宣言は、基本的には収穫後にまで再度行う必要はない。

【4】奉納の時期と集団参詣

 bikkurimは七週祭(Shavuot:シャブオット)以降に神殿へ運ばなければならない。それ以前に新しい収穫を献げることは禁じられる。

 奉納は個人単位ではなく、maamad(マアマド)と呼ばれる地域ごとの代表団による集団参詣の制度を元に行われる。

 参詣者たちは死者による汚れを避けるため、maamadの町の家屋には入らず、広場で夜を明かしてからエルサレムへ向かう。

 これらの内容に不安を感じる方は、以下のリンクから確認して欲しい。

◉bikkurim(ビックリーム)の法理(上) ― 聖地の初物奉納における土地所有権、七種産物、およびmaamad(マアマド)参詣に関する律法学的詳解

https://note.com/mishnah/n/n5ec92f53d77f

 今回はその続きである。「Bikkurim」3章3節から引用する。

bikkurim移送の律法規定:出発地の距離に応じた産物形態の区分

 近くに住む者は新鮮ないちじくやぶどうを持って来る。遠くの者は乾燥させたいちじくやレーズンを持って来る。
 雄牛が行列の前を歩く。その角は金を塗られており、オリーブの枝の花冠を頭に被せられている 。
 フルート奏者も行列の前にいる。エルサレムに近付くまで。
 彼らがエルサレムに近付いた時、彼らは使節を派遣する。そしてbikkurimを入れた籠を装飾する。

(Bikkurim 3:3)

 まず冒頭の文章「近くに住む者は新鮮ないちじくやぶどうを持って来る。遠くの者は乾燥させたいちじくやレーズンを持って来る」であるが、出発する町がエルサレムに近いかどうかで場合分けをしている。次のように整理出来る。

①エルサレムに近い町から出発
 新鮮な生のいちじくやぶどうをそのまま運ぶ。

②エルサレムまで距離が遠い町から出発
 乾燥させたいちじくやレーズンを持って行く。

行列の編成と社会的通告:雄牛の装飾およびフルート奏者の役割


 一行は行列を組んで行く。先頭は特別に装飾された雄牛である。その角は金を塗られ、オリーブの花冠をかぶせる。

 この雄牛は最後に和解の献げ物として屠られる。

 「フルート奏者も行列の前にいる。エルサレムに近付くまで」とある。エルサレムまで、行列を奏楽によってもり立てる。これによって近隣に、bikkurimの行列が通ることを知らせる。

 エルサレムに到着すると、奏楽をやめ、行列が止まる。

 「彼らがエルサレムに近付いた時、彼らは使節を派遣する」とは、エルサレムから一定の場所まで近付いた時、エルサレムの人々にbikkurimの行列の到着を知らせる為に人を派遣するという事である。

 それから、神殿からの出迎えを待つ間、「bikkurimを入れた籠を装飾する」とある。これは見栄えの良いように籠の中身を配置することを指す。例えば新鮮なものが上に来るようにする。

 その後、行列の規模に応じて、エルサレムの主だった者たちが出迎える。それが「祭司の主だった者たち、レビ人の主だった者たち、神殿の財産を管理する者たちが彼らを迎える」という箇所の意味である。

 次の箇所である。次のように書かれている。

 働いている者たちも彼らの前で立ち上がり、その安否を尋ねる。「兄弟たち、どこどこの町の人々よ、平安の内に到着したのだろうか?」

(Bikkurim 3:3)

 bikkurimの行列がエルサレムに入り、神殿に向かうと、町の人々は立ち上がって迎えなくてはならない。そうして道中トラブルに見舞われなかったか尋ねる。

 次節に進む。

神殿の丘における運搬義務:アグリッパ王の事例に見る自己運搬の原則

 フルート奏者は神殿の丘に着くまで彼らの前を歩く。神殿の丘に着いたら、アグリッパ王ですら自分の肩にバスケットを担いで神殿の敷地にまで行く。敷地にまで着いたら、レビ人たちは詩編を歌う。「主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく、わたしを引き上げてくださいました。」(詩30:2)

(Bikkurim 3:4)

 エルサレムの主だった人たちに迎えられた後、行列の行進が再開し、神殿に向かう。この時再びフルート奏者に先導され、神殿の丘まで至る。

 エルサレムの旅まで、各人は必ずしも自分でbikkurimを運ぶ義務は無い。しかし神殿の丘に到着すると、如何なる立場の者であっても、自ら運ばなくてはならない。ここでは王でさえ自ら運んだことを記録している。祭司は各人から受け取る。

 bikkurimの行列はフルートだけでなく、賛美を伴わなくてはならない。神殿の内庭に着いたら、レビ人が詩編30を賛美する。

神殿内部への進入経路:ニカノール門からイスラエル人の庭への動線


 この「内庭」の場所であるが、bikkurimを献げる儀式は、祭壇のすぐそばで行われる。その為、籠を担いだ人々は、女性の庭の奥にある「ニカノール門」を通り、さらに内側の「イスラエル人の庭」まで進んだ。

 下の写真を見て欲しい

ニカノールの門とレビ人が賛美する階段

 赤のしるしが付けられているのがニカノールの門である。レビ人が賛美したのは、黄色で囲った階段、またその周辺と思われる。

 次節に進む。次のように書かれている。

 若い鳥がバスケットの上にあるが、これは焼き尽くす献げ物になる。それは祭司に渡される。

(Bikkurim 3:5)

 籠の中にあったのは、7つの産物だけではなかった。飾りとして周辺に鳥が付けられていたようである。

 文字通りには「バスケットの上」であるが、実際には籠の周辺に吊るされるようにしてあったようである。本当に上に置いたなら、中を汚してしまう。次に進む。

 バスケットを肩に担ぎながら、彼は「今日、わたしはあなたの神、主の御前に報告いたします」(申26:3)から最後まで読む。

(Bikkurim 3:6)

 これは申命記の下の箇所である。再掲する。

 あなたは、そのとき任に就いている祭司のもとに行き、「今日、わたしはあなたの神、主の御前に報告いたします。わたしは、主がわたしたちに与えると先祖たちに誓われた土地に入りました」と言いなさい。

(申26:3)

 「そのとき任に就いている祭司」とは、mishmarotの当番の祭司である。バスケットを肩に担いだまま、まず「今日、わたしはあなたの神、主の御前に報告いたします。わたしは、主がわたしたちに与えると先祖たちに誓われた土地に入りました」(3節)を唱える。

 その後、続いて5~10節まで読む。以下の通りである。

 5わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。 6エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。 7わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、 8力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、 9この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。 10わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。

(申26:5~10)

 5節は「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人」とあるが、これは支持し難い。ユダヤ人の祖先はアラム人ではない。「アラム人は私の先祖を滅ぼそうとした」というのがユダヤ教の正当な翻訳と思われる。具体的なエピソードは創世記29~31章に描かれている。

 申命記26章の宣言に戻るが、イスラエルの奴隷生活と、そこから神が救って下さったことを告白する。

 この点、ラビ・ユダは異説を唱えている。次のように書かれている。

申命記26章の宣言とラビ・ユダの提言:奉納動作(tenufah:テヌーファー)の執行手順

 ラビ・ユダは言う。彼が読むのは「アラム人がわたしの父を滅ぼそうとした時 」(申26:5)の箇所までである。
 彼が「アラム人がわたしの父を滅ぼそうとした時」の箇所まで来たら、彼はバスケットを肩から下ろし、その縁の部分を持つ。祭司は手をその下に入れ、奉納する。
 それから彼は最後の部分まで読む 。
 彼はバスケットを祭壇の横に置き、礼拝をしてその場を去る。

(Bikkurim 3:6)

 ラビ・ユダは告白を2つの部分に分ける。彼が言っていることは、以下の内容である。

①「アラム人がわたしの父を滅ぼそうとした時 」(申26:5)まで来たら、バスケットを肩から下ろし、縁の部分を持つ。

②彼が縁を持ったまま、祭司は籠の下に手を入れ、奉納する。一緒に東西南北、上下に動かすという事である。

③奉納した後、彼は10節まで読む。

④所有者が「バスケットを祭壇の横に」置く。これは祭壇の南西箇所とされる。写真の辺りと思われる。

tenufahの行われる祭壇の南西箇所

 驚くべき事であるが、通常このエリアに祭司やレビ人でない者が入ることは許されない。しかし祭壇と神殿の入口の間を通らない仕方で、この南西部分に置いたと考えられているようである。ここではこれ以上立ち入らない。

⑤「礼拝をしてその場を去る」の「礼拝」は、神殿に向かって床にうつ伏せに平伏することを指す。

 その後、神殿の方に体を向けたまま、後ろ向きに出て行く。このようにすることで、聖所への敬意を払っている。

 以上でmaamadの町で始まったbikkurimの為の行列、エルサレムでの奉仕は終わりになる。

祭司の所有権と法的処分権:bikkurimの換金性およびchaverim(ハヴェリーム)規定

 彼らの土地にできた初物で、彼らが主に携えるものはすべて、あなたのものとなる。

(民18:13)

 トーラに書かれている通り、bikkurimは祭司のものとなるが、それはどこまで「所有権の行使」が認められるのだろうか?「Bikkurim」3章12節に次のように書かれている。

 どのような点でbikkurimは祭司の所有であると言えるのだろうか。彼はそれで奴隷、土地、kosherでない動物を得ることが出来る。金貸しは借金の回収の為にそれを差し押さえ、結婚の為に女性に贈られる。トーラの巻物のように。ラビ・ユダは言う、「わたしたちはそれを『ベ・トヴァー』としてchaver以外に与えることは出来ない」。しかしラビたちは言う、「わたしたちはそれを護衛の者たちに与え、彼らはそれを分け合う。神殿の聖なるもののように。」

(Bikkurim 3:12)

 意外な事に、祭司はbikkurimを現金と同じように使うことが出来るし、第三者からの差し押さえの対象としても認められる。

 「kosherでない動物を得ることが出来る」は奇妙な言い方だが、kosherの動物が買えないという意味ではない。如何なる目的でも使えることを言っている。

 「トーラの巻物のように」も誤解を招く表現だが、トーラの巻物も自由に売ったり差し押さえの対象になってよいと言っているのではない。それが許されるのは差し迫った事情がある場合である。

 ここでは債権者が保護されるという側面を強調して述べているようである。

 ラビ・ユダは「わたしたちはそれを『ベ・トヴァー』としてchaver以外に与えることは出来ない」と言っているが、これは次の意味である。

①祭司は祭司だけにbikkurimを与えてよい。それは無償であるべきである。

②祭司なら誰でも良いのではない。祭司の中でもchaverim(単数形:chaver)である必要がある。

 chaverim(ハヴェリーム)とは、食事や汚れに関する掟を厳格に守ることを誓い、公式にその立場が認められた人のことを言う。これは以前の記事で詳しく取り上げた。

◉ファリサイ派とは何者か?(1)―アム・ハアレツとネエマンの境界線

https://note.com/mishnah/n/n3a426e938ba8

◉ファリサイ派とは何者か?(2)―「仲間(ハヴェリーム)」だけが座れる聖なる食卓

https://note.com/mishnah/n/n4a2d40c61717

 ラビ・ユダは祭司のbikkurimに関する処分権は、このように制限されたものであることを主張する。

 しかしその他のラビたちは、「わたしたちはそれを警護の者たちに与え、彼らはそれを分け合う。神殿の聖なるもののように」と言う。

 「警護」は祭司の神殿奉仕の1つである。chaverimかどうかという基準でbikkurimの処分権を限定しないことを言っている。献げ物の肉の分配も、chaverimだけにされるのではない。

 以上でbikkurimについての解説を終える。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉聖別と奉納の法理:ミシュナが解き明かす「祭司の取り分(matanot kehunah:マタノット・ケフナ)」と聖なる生活秩序の全貌

https://note.com/mishnah/n/nb10ab99a02a4

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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