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日本国憲法 - 国民主権・基本的人権・平和主義を掲げた新しい国家の原則
1946年11月3日、日本国憲法 が公布された。
1947年5月3日に施行され、それまでの 大日本帝国憲法 に代わって、日本の国家制度を規定する最高法規となった。
日本国憲法 には、国民主権、基本的人権、象徴天皇制、国会、内閣、司法、地方自治、平和主義など、現在の日本を構成する基本的な原則と制度が定められている。
しかし、日本国憲法 は1946年に突然生まれた独立した文書ではない。
その背景には、近代世界における立憲主義の形成、明治維新後の日本の近代国家建設、大日本帝国憲法、第二次世界大戦、日本の敗戦、連合国による占領、そして戦後の国家再編が存在する。
日本国憲法 を見ることは、国家は誰のために存在し、その権力をどのようなルールによって動かすのか。
その問いに対して、戦後日本が採用した国家の基本設計を見ることである。
憲法とは何か
刑法・民法・商法・税法・労働法・選挙に関する法律・行政に関する法律、国家には多数の法律が存在する。
日本国憲法 第98条では、憲法を 国の最高法規 と位置づけている。
通常の法律が「 社会の中で人や組織が守るルール 」を定めるのに対し、憲法には、国家権力そのものにルールを与える重要な役割がある。
誰が法律を作るのか、誰が行政を行うのか、誰が裁判を行うのか。
国家は個人の自由へどこまで介入できるのか。
国家機関同士はどのような関係にあるのか。
そして、その国家権力の根拠はどこにあるのか。
憲法 は、国家という巨大な組織そのものの基本構造を規定する。
国家にもルールを
1215年、イングランドで成立した Magna Carta( マグナ・カルタ )は、国王の権力に一定の制約を加える歴史的文書となった。
17世紀のイングランドでは、議会と王権をめぐる対立を経て、1689年に Bill of Rights( 権利章典 )が成立する。
18世紀になると、国家と個人の関係をめぐる思想はさらに大きく展開した。
1776年、アメリカ独立宣言。
1787年、アメリカ合衆国憲法。
1789年、フランス人権宣言。
こうした出来事を通じて、近代国家の制度へ組み込まれていった。
憲法 は、国家権力と社会、そして個人との関係を規定するものとして発展していった。
日本と近代立憲国家
19世紀、日本もこの世界的な国家制度の変化へ接続していく。
1853年のペリー来航、幕末の外交問題、1868年の明治維新。
明治政府は欧米諸国と並ぶ近代国家を構築するため、行政、軍事、教育、税制、司法など多くの制度を再編した。
その中には憲法と議会の整備も含まれていた。
自由民権運動によって国会開設や憲法制定を求める動きが広がり、1881年には政府が1890年の国会開設を表明する。
伊藤博文 らはヨーロッパへ渡り、ドイツ帝国やプロイセンをはじめとする各国の憲法制度を調査した。
その研究を基礎として、日本独自の国家制度が設計されていく。
1889|大日本帝国憲法
1889年2月11日、大日本帝国憲法 が発布された。
1890年11月29日に施行され、同日、第1回帝国議会が開会する。
大日本帝国憲法 では、天皇が国家元首として統治権を総攬するとされた。
日本は 成文憲法 と議会を持つ 立憲国家 として国家制度を整えていった。
その後、日本では政党政治の発展、普通選挙制度の導入など、憲法の枠組みの中で政治制度も変化していく。
1945|敗戦
第二次世界大戦 で日本は敗戦する。
1945年7月26日にアメリカ、イギリス、中国が発表した ポツダム宣言 では、日本に対して軍国主義的勢力の排除、民主主義的傾向の復活・強化、基本的人権の尊重などが求められた。
日本は8月に ポツダム宣言 を受諾、9月2日、降伏文書へ署名した。
日本は連合国の占領下に置かれる。
占領政策を日本で実施する中心機構となったのが、GHQ / SCAP
連合国軍最高司令官総司令部 だった。
憲法改正へ
敗戦後、日本政府は 大日本帝国憲法 の改正作業を開始した。
1945年10月、松本烝治を中心とする 憲法問題調査委員会 が設置される。
政府側では、大日本帝国憲法 を基礎とした改正案の検討が進められた。
しかし GHQ は、日本政府側の改正構想では改革が不十分だと判断する。
1946年2月、GHQ 民政局が 独自の憲法草案 を作成した、GHQ草案である。
そこでは、国民主権・天皇の象徴化・基本的人権・議会制度・戦争放棄。
など、新しい国家制度の基本構造が示された。
日本政府と帝国議会
GHQ草案 の提示後、日本政府はこれを基礎として日本側の憲法案を作成し、1946年3月6日、政府は 憲法改正草案要綱 を公表する。
その後、条文化された 憲法改正案 が帝国議会へ提出された。
日本政府による検討と条文化、帝国議会における審議、衆議院・貴族院による修正、枢密院での手続き、そして 大日本帝国憲法 第73条の憲法改正手続き、こうした過程を経て成立した。
同時に、その制定過程が 連合国による占領下で進められ、GHQ草案 が 新憲法の基本構造 に大きな影響を与えたことも、日本国憲法 成立の重要な歴史的事実である。
1946年11月3日
1946年11月3日、日本国憲法 が公布、1947年5月3日に施行された。
大日本帝国憲法 から 日本国憲法 へ。
日本の国家制度は新しい憲法体系へ移行した。
国家の主権はどこにあるのか
大日本帝国憲法 では、天皇が統治権を総攬する、
日本国憲法 では、主権は国民にある、とされた。
国民選挙 → 国会議員選定 → 国会が内閣総理大臣を指名
内閣は国会に対して責任を負う。
国家権力の正統性を国民へ接続する仕組みが、憲法上の基本構造となった。
天皇の位置
天皇制度そのものは、日本国憲法 でも存続した。
大日本帝国憲法 では、天皇は国家元首として統治権を総攬する存在だった。
日本国憲法 では、日本国の象徴・日本国民統合の象徴とされた。
天皇制度を維持しながら、統治権から切り離す国家設計が採用された。
これは日本の歴史的制度と、戦後の国民主権という原理を接続する仕組みでもあった。
臣民から個人へ
大日本帝国憲法 でも、臣民の権利は規定されていたが、日本国憲法 では、基本的人権を侵すことのできない永久の権利として位置づけた。
そして第13条には、「 すべて国民は、個人として尊重される。」という原則が置かれ、国家権力そのものが個人の基本的人権によって制約されるという構造が明確に置かれたことである。
国家権力を分ける
国家には巨大な権限がある。
権力が一か所へ集中することを防ぐため、日本国憲法 では国家機能が複数の機関へ配置されている。
国会|立法
内閣|行政
裁判所|司法
それぞれが独立した役割を持ちながら、相互に関係する。
権力分立という考え方は、近代立憲国家の形成過程で発展し、アメリカをはじめ多くの国の憲法制度へ取り入れられてきた。
日本国憲法 も、その世界的な立憲制度の流れの中に位置している。
平和主義
日本国憲法 を国際的に特徴づける要素の一つが 第9条 である。
日本は 第二次世界大戦 の敗戦直後に新しい憲法を制定した。
その中で、戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認 が憲法に明記された。
第二次世界大戦 後には、国連憲章を中心として国際社会でも武力行使を制限する法体系が形成された。
一方、日本国憲法 第9条は、戦力の不保持まで憲法本文に規定した点で強い特徴を持つが、その後、自衛隊が成立し、第9条と自衛権・安全保障をめぐって長い憲法解釈と政治的議論が続いている。
世界の憲法と日本国憲法
日本国憲法 の基本的な構造の多くは、世界の近代立憲主義と接続している。
国民主権・基本的人権・議会制度・権力分立・司法権の独立。
憲法を国家の最高法規とする考え方。
日本国憲法 には、象徴天皇制 など日本固有の歴史的条件から形成された制度も存在する。
長い歴史を持つ天皇制度を存続させながら、国民主権の国家制度へ組み込むという構造は、日本独自の歴史との接続によって成立している。
そして第9条も、第二次世界大戦 での敗戦と占領という歴史的条件を強く反映した規定である。
つまり 日本国憲法 は、世界的な立憲主義の流れと、日本固有の歴史が交差する場所に成立している。
憲法と民主主義は同じものではない
憲法 と民主主義は密接に関係するが、同じ意味ではない。
民主主義では、多数の意思によって政治的な決定が行われる。
国会で多数を獲得した政党も憲法による制約を受ける。
国会が制定した法律も憲法に反することはできない。
政府も憲法を超える権限を持たない。
そして多数派によって、少数者や個人の基本的人権を自由に奪うことも認められない。
ここに、民主主義による意思決定と、立憲主義による権力の制約という二つの仕組みが接続している。
最高法規という意味
日本国憲法 が最高法規であるということは、憲法が法律より上位に存在することを意味する。
憲法によって国家機関が作られ、その国家機関が法律や政策を作る。
国家そのものを法の下へ置く。
これが近代憲法の重要な役割の一つである。
変えられない法律ではない
日本国憲法 には憲法自身を改正する手続きが定められている。
国会による発議と国民投票を必要とするため、通常の法律よりも厳しい改正手続きが設定されている。
1947年の施行以来、日本国憲法 は一度も改正されていない。
憲法の条文そのものが維持される一方、その条文をどのように解釈し、具体的な法律や制度へ接続するのかについては、政治、行政、司法を通じて積み重ねが続いている。
世界史から現在へ
国によって制度も成立過程も異なる。
しかし 日本国憲法 もまた、何世紀にもわたって形成されてきた「 国家と権力を法によってどう構成するか 」という歴史の中に存在している。
Archive Point
Constitution of Japan( 日本国憲法 )は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された日本の最高法規である。
その成立には、近代立憲主義・明治維新・大日本帝国憲法・第二次世界大戦・日本の敗戦・ポツダム宣言・GHQ / SCAPによる占領・日本政府による憲法改正作業・帝国議会での審議 という複数の歴史が接続している。
日本国憲法 によって、日本の国家構造は 国民主権 を基礎とする体系へ移行し、基本的人権によって国家と個人の関係を規定し、国会・内閣・裁判所へ国家権力を配置し、天皇を象徴として位置づけ、第9条によって戦争と戦力について憲法上の規定を置いた。
国家を動かす者自身も、ルールの外には立てない。
国会も、政府も、裁判所も、憲法によってその権限を与えられ、同時に制約され、法律や行政を通じて社会へ接続し、最終的には一人ひとりの生活へつながっている。
日本国憲法 は、戦後日本の制度を記した文書であると同時に、国家・社会・個人をどのような関係として構成するのかを定めた、現在の日本の基本設計である。
衆議院|日本国憲法 全文 ※ 衆議院公式HP
公布|1946年11月3日
施行|1947年5月3日
全11章・103条
日本国憲法の原文を、前文から第103条まで収録する資料Archive。

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